財の護り手
「虎守様が来られたぞ!!」
「……家守、うるさい…………」
朝、八重が朝餉を平らげた頃に虎守が白陽の屋敷を訪れた。家守は両手を挙げて喜び、満面の笑みで虎守を歓迎する。
虎守はじとっとした目で家守を眺め、「守護、かけにきた」と呟く。家守は「お待ちしていた!」と声弾ませて虎守を招き入れた。
「田んぼに行かれる前に、八重殿も来られるといい」
何事か、と目を瞬かせていた八重に井守が声をかける。八重は頷いて、膳を洗い場に下げて皆の後を付いていった。
「何があるのですか?」
「何、すぐにおわかりになる」
井守はくすくすと笑いながら、土間の奥の勝手口から裏庭に出る。八重は後ろをついて歩きながら、首を傾げた。裏庭にあるのは、酒蔵と醤油蔵、そして米や穀物などを貯蔵している蔵……蔵しかないのだ。
家守と虎守は、貯蔵用の蔵の前で立ち止まる。虎守は前に歩み出て、蔵の扉に手をあてまじないの言葉を唱えた。
「閉じよ閉じろよこれより先は我が守護の内、我が護る財に一切の瑕疵はない」
肩口で切り揃えられた虎守の髪が浮き上がり、着物の袖がたなびく。一瞬、虎守の手元がこうと輝き、光が収束するように掻き消えた。カチリ、と鍵のかかる音が響く。
「いやあ、有難い」
「いい。白陽様のためだから」
喜ぶ家守に平坦な声でこたえ、虎守は八重を振り返る。
「『財福』こそ我が権能……私が守護する蔵は物が傷まない」
「まあ……!」
家守が喜ぶはずだ。八重は驚きに目を見張り、口元を押さえた。
「なんとありがたいことでしょう、米も、野菜も、傷まず保存できるのですか……!?」
「そう。限定的な時止めのようなものだから、巫女殿は蔵に入らないで」
虎守はそうこたえ、八重に向かって歩み出した。後退ることをためらい棒立ちになる八重に触れ合いそうなほど近付いたかと思えば、こぼれ落ちそうなほど大きな瞳で八重をじっくりと見つめる。
「うん。巫女殿はかなり人から外れているけれど、それでもまだ危ないから入らないほうがいい。巫女殿の時が止まってしまったら、大変」
「はい、仰せの通りにいたします」
八重はまず頷き、あまりに近い距離にどぎまぎとしながら虎守に話しかけた。
「……あの、私は人から外れているのでしょうか」
「神気をたっぷり内に宿している。人は人だけど、もう、仙に近い」
「なんと、まあ……」
小首を傾げそう告げる虎守に、八重は頬を押さえた。八重が上天で暮らし始めて一年半。米や野菜に宿る信仰心がつぶさに見えるようになるなど、多少の自覚もある。
「ええと……では、もうすぐナズナちゃんの言葉を聞けるようになれるのでしょうか……」
「『ナズナちゃん』?」
「いつも一緒にいてくれる野椎なのです」
「うん、それならもうすぐだと思うよ」
「まあ……!」
虎守は八重をじっと見つめたまま頷く。虎守の肯定に、八重は頬を緩めた。
「とてもたのしみです」
「そう。たのしみなら、良かったね」
虎守は大きな瞳を細めて、にっこりと微笑んだ。冷たい印象を与える整った顔立ちは、微笑んだ途端に稚く愛らしい印象へと変化する。虎守は齢十程に見える、童女なのだ。身長も八重の肩口より低かった。虎守の愛らしさに、八重は思わず口元を押さえて胸をときめかせた。
「これは珍しいものを見せていただいた」
八重の横に立っていた井守が、顎に手を当てて感心したように呟く。虎守は笑顔を引っ込めて、井守に視線を送った。
「笑うときは笑う」
「それは失礼した」
くすくすと笑みを零す井守を面倒くさそうに見やって、虎守は土間に向かって歩き始めた。
「用は済んだから、帰る」
「虎守様、有難うございました」
「ん」
蔵の前から送られる家守の礼に端的に返事をし、虎守はすたすたと歩いていく。土間の扉に差し掛かったところでふと足を止め、虎守は八重を振り返った。
「巫女殿、またね」
「はい!」
虎守はそのまま屋敷に姿を消した。八重は不思議な雰囲気を持つ少女神を見送って、ほうと息をついた。
「気に入られたな、八重殿」
珍しいことだ、と井守は笑い声をこぼす。そうなのだろうか、と問いたげな八重の視線を受けて、井守は、うむ、と頷いた。
「気まぐれなお方でな、物静かな場所や神を好まれる」
「その、気に入っていただけたならとてもうれしいです」
「我らは口やかましいらしい」
喜んで微笑む八重の元に家守がやってきて、そうこぼす。井守は家守の言葉に肩をすくめて、「あれもこれもと持たせようとするからだ」と返した。家守は「お前もだろう」と井守に呆れたような視線を向ける。八重はふたりの話しようにくすくすと笑い声をもらして、もう一度土間の入口を見やった。『また』が楽しみだと考えながら。
いつもより遅れて田んぼに向かうと、牛守が振り返って「おお、巫女殿」と声をあげた。
「遅くなり申し訳ありません」
「いやなに。どうかしたのか?」
「虎守様がいらっしゃって、蔵にご加護をかける様子を見せていただいたのです」
「ああ、蔵の護りか。それはいい。これで野菜がどっさり採れても心配いらぬな」
牛守は腰に手を当てて大声で笑う。八重は喜んで頷き、「畑の野菜が採れるのが、たのしみですねえ」とこたえた。
「そうだ、巫女殿。もうじき小豆が採れるぞ」
「まあ! それはたのしみです」
「兎守に届けてやらねばな」
「はい!」
守護神は皆目覚め、必要な作物も揃いつつあった。田んぼには、よく熟させた山の落ち葉を撒いて、馴染ませてある。苗箱には種籾を蒔いた。
暮らしが整ってきたと、日々感じる。八重はこれからまた実りをもたらす、空の田んぼを眺めて微笑んだ。人の世もきっと安定しただろう、と感じながら。