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上天の巫女は愛を奉じる  作者: 紬夏乃
春の章 二巡
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麦と大豆






「麦と大豆だ!!」


 家守は両手を挙げて喜んだ。ついに今日、牛守(うしのかみ)が育てていた麦と大豆が届けられたのだ。


 牛守(うしのかみ)は前に、青い大豆を眺めながら「青い豆を塩茹でにしても旨いのだが……」と少し惜しそうに呟いていた。そうせずに熟させたのは、家守の顔を思い浮かべたからだ。家守はずっと、味噌と醤油が作りたい、豆腐も作りたい、炒り豆もきな粉も良いし、豆乳から湯葉も引きたい、おからもとれるのだぞ、と何度も何度も繰り返し、それはもう大豆が採れるのを心待ちにしていたのだ。


「八重殿は何を召し上がりたいか?」


「そうですねえ、やっぱり味噌は恋しく思います。豆腐は頂いたことがないので、そちらも楽しみです」


「そうかそうか、たんとお作りするからな。豆腐は明日にでもお作りしよう」


「はい、楽しみにしていますね」


 からからに干された大豆を水に沈め浮き立つ家守に、八重はくすくすと笑い声を上げた。


「豆腐とはどういう食べ物なのですか?」


「こうやって水に漬けた大豆をすり潰してな、水と合わせて煮てから絞り、にがりを加えて固めるのだ。にがりは龍守(たつのかみ)様からいただける」


 にがりは海からとれて、海のものは龍守(たつのかみ)が届けてくれるのだと家守は浮き立った声音で話す。なんでも海の水から塩を作る際ににがりがとれると言うのだが、山塩が身近だった八重には想像もつかないことだった。


「まずはおぼろ豆腐をお作りしようか。なめらかで柔らかく、塩を振るだけでとても美味いのだ」


「考えてみても、ちっとも見当がつきません。明日がたのしみです」


「たんと楽しみになさるといい」


 家守は自信たっぷりに胸を張って笑う。土間には、たくさんの(たらい)が並んでいる。あれは味噌に、醤油に、豆腐に、と、沢山の大豆を水に浸けているのだ。


 麹菌を扱う建物は、屋敷の裏手に別に建っている。酒蔵と醤油蔵に分かれていて、酒蔵は井守が、醤油蔵は家守が管理している。八重はそのどちらにも立ち入らないようにと頼まれていた。酒も醤油もとても繊細で、少しのことで容易く腐ってしまうそうなのだ。


 八重は田畑や山にいることが多いのでその姿を見たことがないが、井守も家守も、蔵に行くときは専用の着物に着替えているらしい。万一にでも、八重の不注意で白陽にお出しするものを腐らせてしまってはとんでもないことだと、八重は蔵の近くにさえ寄らないように過ごしていた。


 米作りは今稲苗を育てているところで、畑はわかめの粉を撒いて馴染ませているところだった。八重はふと牛守(うしのかみ)との会話を思い出し、家守に声をかける。


「そうだ、家守さん。そろそろ畑に種を蒔こうと牛守(うしのかみ)様と話しているのです。家守さんは何の作物がご入用ですか?」


 前回は、牛守(うしのかみ)とその場で何を蒔くかを決めてしまった。後々八重は、しまった、と思ったのだ。料理を作るのは家守なのだから、家守に相談すべきだった、と。


 家守は謝ってぺこぺこと頭を下げる八重に「大根も蕪も使い勝手が良くて助かる」と笑いかけた。次こそは種を蒔く前に家守に相談すると、八重はその時からずっと思っていたのだ。


「そうだなあ……紫蘇があると良いな。赤紫蘇と青紫蘇だ。あとは唐辛子も欲しいところだな。それからししとうやおくら、茗荷(みょうが)(はじかみ)も良いな」


 家守があげるものは、どれも添え物や彩り、薬味になるものばかりだった。どれもこれも八重には思いつかないものや聞いたことのないものばかりで、八重は感心したようにほうと息を吐く。


「覚えきれるかどうか……」


「ならば我儘放題、紙に書いてお渡ししよう」


牛守(うしのかみ)様にお渡しいたしますね」


 ふたりは顔を見合わせて笑い合う。家守は言った通りにその日のうちに書き付けを用意して、翌朝歌の奉納から帰った八重に手渡す。八重はそれを持って、田畑に向かった。


 田畑にはすでに牛守(うしのかみ)が立っていて、「家守さんが欲しい作物だそうです」と言って八重は書き付けを牛守(うしのかみ)に渡した。牛守(うしのかみ)は書き付けに目を通し、「家守の欲しがりそうなものだ」と豪快に笑った。


 色々な作物を、少しずつ蒔こうか、と決めて、牛守(うしのかみ)は屋敷から様々な種を持ってくる。やはりあれば助かるからと大根は作ると決めていて、牛守(うしのかみ)はもう一度胡瓜も作ろうと八重に笑いかけた。何でも醤油を作る際にできるもろみ醤油を胡瓜に付けて食べると絶品とのことで、八重は喜んでその提案に頷いた。


 あとは人参や茄子も植える。季節の違う作物がいっぺんに植えられるなど、やはりなんとも不思議なことだ、と感じながら、八重は牛守(うしのかみ)と畑を耕し、畝を作り、種を蒔いた。


 苗箱の稲苗は風に揺れて、あと数日で田植えが出来る。田んぼにもわかめの粉を馴染ませてあって、明日には田起こしをしようか、と八重は田を眺めた。


 牛守(うしのかみ)は八重の隣に立って、共に田んぼを眺めては「次は山の落ち葉を頂くか」とつぶやく。海の神気も、山の神気も頂けば、神米はいっそう美味しく立派に実ることだろう。八重はまだ空っぽの田んぼを見つめて「それは楽しみなことですねえ」と返し、それから顔を見合わせて、気が早かったかと笑い合った。


 八重が仕事を終えて屋敷に戻れば、家守は待っていたぞと言わんばかりに八重を出迎える。白陽の膳を差し出しながら、「八重殿の膳をご用意してお待ちしているからな」と声を弾ませた。


 白陽の膳を下げて、自分の膳の前に座った八重に、家守はわくわくと浮き立つような視線を送る。八重も心を弾ませておぼろ豆腐に匙を入れ、口に含んだ。


 おぼろ豆腐はなめらかで、とろけるように柔らかかった。大豆の甘みと風味が口いっぱいに広がって、つるりと消えていく。少々振られた塩がまたいい塩梅に甘みと香りを引き立てて、いくらでも食べられそうに思った。


 八重は目を輝かせて、「このように柔らかくとろける食べ物は初めてです……!」と歓声を上げる。家守はとてもうれしそうに笑みこぼれて、「畑に植えていただいた薬味を添えるとまた旨いのだ」とこたえた。


 八重は、このままでこんなにも美味しいのに、と思いながらおぼろ豆腐に舌鼓をうつ。米が実るのも、畑の作物が採れる日も、とても楽しみだった。


 残す神々はあと五柱。二度ほど米を収穫すれば、きっと皆が目覚めるだろう。先行きが明るいと、八重は微笑んで匙を口に運んだ。






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