空を仰ぐ
浅吉は風にそよぐ稲を眺めていた。
今年もだめか、と思った稲は、虫にも、然程上がらぬ気温にも負けず、背を高くした。雨の日が少なくなって、最近は根張りもよくなっている。
これなら、と茎に手を伸ばし太さを確かめながら浅吉は思う。これなら、腹一杯とはいかずとも、予想よりかは食っていけるのではないか、と。
春の豆の実付きは芳しくなかった。だがそれでも、ちゃんと育った。立ち枯れも、根腐れもせずに。その蔓を鋤き込んで馴染ませた畑に、夏野菜を植えた。胡瓜、茄子、おくらに瓜、唐辛子……どれもなんとか、実をつけている。夏野菜が終わったら、冬野菜を植えるのだ。また夏野菜の茎や葉を細かく切って畑に鋤き込んで。鋤き込んだものは次の作物の力になる。次はもっと実ると信じられる。別の畑には甘藷が植えてある。甘藷が採れる頃には、この米も実っている。近頃は、食べるものが増えたからか、病に倒れるものも少なくなってきた。
(ああ…………)
浅吉は稲の茎を、壊れ物でも触れるように丁寧に撫でた。
(あの子の命の上に、俺達は立っている)
いや、あの子だけではないかもしれない。死んでいった全ての命の上に。だが、あの子の犠牲は意味合いが違う。生きているものを、願いを届けてくれよと神の御下に送ったのだから。そしてきっと、その願いは届けられたのだと皆が感じている。
虫の音が聞こえる。空を鳥が飛んでいる。どちらも、この夏になってから久しぶりに耳目したように思えた。
きゃあ! とはしゃいだ子ども達の声に視線を向けた。泥鰌や赤蛙を捕まえているのだ。鍋にしたり、串に刺して焼いたりすれば、食べるものが増える。
雀や何かも罠にかけて捕まえる。鳥が捕れればご馳走だ。もっと余裕が生まれたら、合鴨を捕まえて里で飼えたらいい。そんな先を、考えることが出来るようになっていた。こうやって日々を重ねて、暮らしがもっと上向いたら、今はまだ無理でもその先で――八重に、受け取ったものを供えることができたら。
(ああ、でもあの子には、墓もないのに……)
どこに供えればいいと言うのだ――浅吉は空を見上げ、じっと考え続けていた。
§
上天の空に八重の歌声が響く。人々の祈りが八重の身体を駆け抜けていく。
(きっと、きっと届けるよ)
歌い終えて、大気に溶けゆく光の残滓を見送り八重は思う。
人の世に声を届けることが出来るなら、八重は里の皆に、元気に暮らしているよ、と、ちゃんと毎日笑っているよ、と、恩寵は必ず届くから、もう少しだけ堪えてね、と伝えたかった。もう住むところは違うけれど、ずっと変わらず、皆が幸せに暮らせるよう祈っているよ、と。
その術はない。だから、伝えられないたくさんの言葉の代わりに、人の世に、できる限りの実りと守りを。歌を歌い、米を作って。
(――それに)
八重は正面の白陽に視線を向ける。動かぬ大御神のためにも、八重にできる限りの真心を。
日々励む理由が、増えていく気がした。
照る日差しに 鳴く蝉の声
茂ろ茂ろよ 青々として――