尊敬する貴女と祖国 ~尊敬的女士和祖国~
中華人民共和国北京市、天安門広場前。その日、米国のとある大企業の重役をある大企業の役員が案内していた。米国と中国の政治的また経済的な対立がまだ考えられてない時代のこと。
「私らはお前らに言われて一生懸命尽くしたのだぞ! 尽くしていたのにそんな如何わしい奴らの為に捨てられたのだぞ! お前らの勝手にさせるものか!!」
その男は突然現れた。持っていた灯油タンクから灯油を全身にかけて引火し、天安門広場前を駆けてきた。標的は米国人の方なのか役員の方なのか。しかし彼は居合わせた警察の発砲を受け、敢え無く倒れて絶命した。
この男は下請け会社の社長を担う男だったらしいが、標的にされた者たちは皆「見覚えがない」「面識がない」と口を揃えていた――
そんな話をテレビの報道でぼんやりと眺める。「変なキチガイもいるものね」と母がぼやく。父はテレビより仕事の下準備に夢中。私は母が焼いてくれた好物のトーストを食べ終えると「いってきます」と学校に向かった。
そんな何気ない日常。だけど私にとって特別なひとときがあった。
気になっているコがいた。目と目が合うだけで心が弾む。そんな存在。
名前は若汐。王若汐。
いつからだろうな。親友の子豪とふと話した事があった。
「お前さ、ずっと若汐の事ばかり見ているだろう? 好きなのか?」
「え? 見てないよ? ずっと授業に集中しているぞ?」
「嘘つけ。こないだ俺がずっと話しかけたのに上の空だったじゃねぇか」
「家に帰っても勉強しているからな。お前と違って呑気に生きてないよ」
「お前さ、こないだのテストの点でよくそんな事を言えるな?」
「うっ……イチイチうるさいな? 何が言いたい?」
「たまには気晴らしでもしたらどうだよ? 最近ビリヤードを一緒にする仲間ができてさ、これが楽しくて堪らなくてよ! どうせ実らない妄想に憑りつかれるよりも断然為になると思うぞ?」
「だから好きになってもない!」
「お前さ、頬が赤くなっているぞ? 鏡でみてみろ?」
私の父は料理人で代々店をしていた。しかし父は私に勉学に励むよう、頑固で熱心で口うるさい父親だ。友人と遊ぶ時間すらもくれなかった。母も父の味方で私は物心がついた時から勉強しかする事がなかった。子豪のように大金持ちの親の元で生まれたら違っていたのかもしれないが……なんて事をぶつぶつ考えた。
そんな私が10代の頃、密かに夢中になっていた事があった。
絵を描く事だ。最初は目の前にあるぬいぐるみやコップを描いてみることから始めたが、次第に若汐の顔ばかりを描くようになった――
そしてある日、それが父にばれた。
「こんな如何わしいモノに執着なんかしやがって! もっと勉強に集中しろ!」
父は私の目のまえでこれ見よがしに若汐の似顔絵を破りだした。
私は泣きながら「やめてくれ! やめてくれ! もっと勉強に集中するから!」と必死で彼女の似顔絵を護ろうとした。母が「そこまでにしたら」と仲介をして、場は何とか収まった。しかし約百枚に及ぶ彼女の似顔絵は残り数枚までに。
私はもう必死で勉強をするしかなかった。
考えてみれば、若汐はクラスどころか学年でもトップの成績を残すと言われる才女だ。それを遠くから眺めている事で満足している自分を変えるしかないのだ。そう想ったとき、私のなかで何かが変わった――
私はそれから猛勉強に猛勉強を重ねて、遂に学年トップの成績を収めるまでになった。そして第一進学クラスに進学。校舎が自宅から離れた地にあったので、そこから寮生活も始まった。
思えばこの頃が人生で1番楽しかった時代なのかもしれない。
何の運命か私は若汐と同じクラスになり、また風紀委員をともにする事になる。
「初めまして? いやクラスじゃいつも一緒だったね」
「はっはっは! そうだね! 僕は趙泰然だよ! これからは風紀委員で一緒に頑張ろう!」
「ええ、貴方ってこんなに明るいのね? 暗い人だと思っていたわよ?」
彼女と言葉を交わせる事に私は歓びを感じるばかりだ。だが風紀委員の仕事は皮肉なもので、学年のなかでマナーの悪い生徒を摘発する事を担う事であった。それは恋愛に現を抜かす生徒の事も含めてだ。
私は彼女とともにその委員の仕事を全うした。でも私自身は嘘をついている。私は彼女に恋し続けていたのだから……。
ある日、生徒会から私達2人に生徒会入りの打診が降りた。
「勿論、喜んで! 彼となら何でも出来る気がします!」
私は彼女のその言葉に感激するあまりに言葉を失った。
「泰然君?」
「あ、ああ! 僕も喜んで! 彼女となら何でも出来る気がします!」
「ふふっ、趙君は王さんのことが好きなのかい?」
「え? いいや、え? いいや、好きって友達としてなら、ええっと」
「先生、彼が変な事を考えているようなら、私がふっとばしますよ!」
「はははっ! 王さんは頼もしいなぁ! じゃあ2人とも内定だな! 来週には生徒会の仲間を紹介しよう! 彼らにも君達の事をよく伝えておくよ!」
その日の晩、私の寮の部屋に若汐がやってきた。
「忘れ物よ。届けに来たわ」
「ありがとう! だけどここは男性寮だよ? よくここまで……」
「私と貴方の仲じゃない?」
彼女はそう言うと私と唇を重ねた――
彼女は「内緒にしてね」と呟き、そのまま走り去っていった。私の唇には仄かに感じた事のない匂いと感触が暫く残った――
私達はそのまま生徒会入りし、そして内々で交際をするようになった。これで成績が落ちてしまえば、一気に退学なんていう事もありえる。学校近くの公園で真夜中に彼女と会う日課を続けていたが、そういう不安があるかどうかを彼女に尋ねた。
「泰然君は何で勉強を頑張るの?」
「え?」
ブランコを漕ぎながら彼女が逆に尋ねる。私は答えに戸惑った。
「大学に行く為かな?」
絞りだした答え。どこか喉が詰まるようだ。
「そりゃあ、みんなそうじゃない?」
「若汐は違うの? 僕は父親が良い大学にいって公務員になれっていうから」
「私のお父さんは突然死んだの」
「え?」
「うん」
若汐がブランコを止める。私も止めた。
「天安門広場で焼身自殺をしたって聞いたの。私はお父さんが大好きだったわ。でも、誰も何でお父さんがそんな事をしたのか教えてくれないの。だけどそれを黙って納得する私でもない」
「君は何をするつもりだ?」
「真実を知る為に学んでいるの。警察でも弁護士でもいい。真実を知ってそれを護る人に私はなりたいのよ」
「僕は……」
「ねぇ泰然」
「…………」
「目標って大事よ?」
「これを破られたから、もう破られたくないって思って」
私はポケットにしまって持ってきていた1枚の絵を彼女に渡した。
それはあの日、辛うじて護れた彼女の似顔絵だ。
「素敵……でもこんなにクシャクシャになって色褪せて……」
「もう何年も前のものさ。僕にとって目標はただ一つだった」
「…………」
「君と一緒に過ごしてみたい。君のようになってみたい。君こそが僕の目標だ」
「そう……ありがとう。でも私が目標じゃあ小さくないかな?」
「君の身長のことを話してなんかないよ」
「違うってば! もうっ!」
私たちはブランコから降りて抱き合った。このとき、まさか思いもしなかった。これが彼女と恋人として過ごす最後のひとときになるとは――
父が倒れた。その連絡が寮に入る。私はその連絡を受けてすぐに実家の地方へ戻った。彼は何とか一命をとりとめたようだが、仕事の復帰は難しい事だろうと医師より宣告を受けた。母から全てを聞いた。
病床の父はおとなしく寝息をたてて寝ている。
私はその父のまえに立ち、彼を見下ろした――
父の意識が復活したとき、私は母と叔母と一緒に彼の回復を喜んだ。
「泰然、学校はどうした?」
「辞めたよ」
「何だと?」
「お父さんの今の身体じゃあ、お父さんが店を続ける事はできないよ。僕が店を継ごうと思う。お母さんと話し合った」
「このドラ息子が!!! 今すぐ学校に戻れ!!! ゴホッ! ゴホホッ!?」
「あなた! ごめんなさい! 私が泰然にお願いしたの! ごめんなさい!!」
「お前まで……そんな事を……うぅ……」
母は嘘をついていた。父が意識を回復するまで3日はかかった。最悪の事態を迎える覚悟も医師から告げられていたのだ。僕はその話を聞いて覚悟した。そもそもこの父がいなければ私の人生はなかったのだ。私の恋の夢物語だって。
そして若汐の夢も私の心に響いて残った。それが私を突き動かしたのだろう。
父は翌年に他界した。他界する前に嫌々ながらも仕事のノウハウを私に教えてくれた。父には頼れる親友が何人もいた。その彼らがサポートしてくれることもあって、私は父の店をなんとか存続させた。また父の人脈は素晴らしく厚くあり広かった。青二才の私が店主になってすらも、常連客は足を引かずに通い続けてくれたのだ。
私がそのキャリアを始めた頃、若汐とは電話で連絡をとりあっていた。しかしいつしか私も仕事が忙しくなり、彼女も大学生となって海外に留学で出ていった。そこからはもう恋人としても友人としてもあっという間にいなくなった。
それでも私は彼女の事を忘れまいと仕事が終わるたびに彼女の似顔絵を描いた。しかし日々を重ねるなかで彼女の記憶はどんどん薄まっていく。
そしていつしか私は彼女の顔を忘れてしまった。
その時に涙が零れ落ちた。
私は気がつけば親族の勧めでお見合いをし、結婚をした。
それはもうここで話す物語ではないだろう。しかし私がこれまでに話してきた物語はまだ続きがある。
私は結婚した翌年に息子を授かった。ふくよかな女房によく似た逞しくもあり、元気で溌剌とした息子だ。私に似て勉強を面倒くさがり、絵を描く事が好きな彼であるが、ある日こんなことを言い出した。
「ぼく、天安門広場にいってみたい」
「行ってどうするつもりだ?」
「この目でソレを見ながら描くの!」
「ねぇ貴方、いいじゃない? たまにはそういう事してあげてもさ」
「しかしなぁ」
「パパだってテレビで天安門広場が映るたびにじっと観ているくせに!」
「えっ…………」
「あらぁ~偉い子ねぇ。よくみているじゃないの。ほら、貴方、今月の24日が休みでしょう? まだこの子も8歳よ? 考えてあげてもいいのでなくて?」
「お前が言うなら仕方ないな」
私が子供だった頃、父親というものは威厳のあるもので無敵なものであった。でも今は違う時代なのだろうか? 女房には敵わない気がして仕方ない。
そして先日の12月24日になった。世界ではこの日を「クリスマス」と呼び、盛大に祝っているようだが我が国は全く関係ない。「隣国の日本や韓国ではそんな西洋の風習に毒されたが為に馬鹿な国になってしまったのだ」とテレビで学者が話しているのを観た。私もそういうふうに世界をみて想う人間の一人だ。
冬の北京は寒い。しかし天安門広場を前にしてはしゃぐ女房や息子はそんな事など気にしてないのだろう。夜は今や人民解放軍で長らく仕えているなんていう子豪と何十年ぶりかに会う。それが私にとってその日の楽しみであったが、その予定すら吹き飛ばしてしまう出来事があった。
「泰然君」
「はい?」
「あ! やっぱり! 泰然君なのね! 立派になられて!」
「あの? 誰ですか?」
「名前は若汐。王若汐」
「えっ!?」
その刹那、全ての記憶が駆け巡るように蘇った。そして自然と涙が零れた。
「奥様とお子さまですか?」
「ええ、旦那と知り合い?」
「その……高校時代に一緒に生徒会をしていた親友で」
「あら、こんなに美人な御方とそんな事をしていたの」
「あはは、奥様ほど私は美しくないです」
「うまいこと言っちゃって! ねぇ、貴方も何か言ったらどう?」
「…………元気そうで何より」
「あなたもね。じゃあ、ご家族で楽しいひとときを」
私は嫌でも彼女の薬指に指輪が嵌められているのを目にしていた。
彼女が去っていく。去っていくのだ。
そう想うと私は大声で彼女を呼んだ。
「若汐!」
彼女は驚いて振り向く。
「真実はわかったのかい?」
彼女はそっと微笑む。そして続けて首を横に振った。
「ううん、何もわからなかった。でも、それで良かったの。それで良かったから、私はいま幸せでいる。良いお父さんになってあげてね。お父さん」
彼女は優しく手を振って今度こそ去っていった――
私はただ去りゆく彼女を眺めた――
嗚呼、懐かしき青春の日々。それはもう昔話に過ぎない。それでも今なおも愛おしく思えるあの日々を私は息子にいずれ語るだろう。さようなら。王若汐。
∀・)XI様主催「真・恋愛企画」の参加作品にして僕主催「なろう恋トラベル」の参加作品でございます。大好きな中国のことを調べに調べ上げて書きました。おそらく年代的には90年代のおはなしだと思うんですけど、大人になってからの泰然たちはごく最近だと思います(笑)ところどころ、もしかしたら失礼にあたる箇所がいくつかあるかもしれません。でもそれは中国のことを想って僕が敢えて書いたところかもしれませんので、ご了承頂けたらと思います。日中国交正常化50周年を祝し、これからもアジアの大国として両国が良きパートナーとなることを心から願います。現実は厳しくても心から願います。