車いす
こちらは百物語五十八話になります。
山ン本怪談百物語↓
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私がまだ介護士として働き始めたばかりの時のお話です。
とある老人ホームで働いていた私は、先輩と一緒に初めて夜間勤務をすることになりました。
「色々と教えていくから、今日はちゃんと話を聞いておいてね」
先輩の後ろをついて行きながら、覚えなければならない仕事をメモ帳に記録していく。
「…とりあえずこんな感じかな。それじゃあ、次は巡回に行こうか」
時間は夜中の1時過ぎ。
先輩と私は入居者さんたちにトラブルが起きていないか確認するため、施設内を巡回することにしました。
「202号室のイケダさんはよく部屋の外に出てくるから注意してね。301号室のアサイさんは周りの入居者さんからの苦情が酷くて…」
色々なことを話しながら巡回を進めていると、真っ暗な廊下の奥から奇妙な音が聞こえてきた。
ギィ……ギィ……………ギィ………
聞き覚えのある音でした。
「先輩、あの音って…」
「あぁ、たぶん『車いす』の音だね。誰か起きてきたのかなぁ?」
先輩と私は懐中電灯で辺りを照らしながら、音が聞こえる方へゆっくりと進んでいったのです。
ギィ…ギィ……ギィ…
廊下を進んでいくと、音が少しずつ大きくなっていきます。
「あの…先輩…この先のエリアって入居者さんいましたっけ?」
「今はいないよ。ちょっと前にニシダさんが住んでいたけど…」
音が聞こえてくる方向にあるエリアは、現在入居者さんが住んでいない寂しい場所でした。
「あっ!」
さらに廊下を進んでいくと、入居者さんが住んでいない部屋の前に小さな車いすが止まっているのを見つけました。
「これが音の正体…いやまさか…」
車いすの持ち主を探そうと辺りをライトで照らしてみましたが、当然誰もいません。
「はは、この車いすが動いたんですかねぇ~」
冗談で言ったつもりでした。
しかし…
ギィイイイイイイィ…
目の前で信じられないことが起きてしまいました。
「えっ?」
どういうわけか車いすが勝手に動き始めたと思ったら、私たちに向かってゆっくりと近づいてきたのです。
まるで誰かが乗っているみたいに…
「こらっ!このお部屋はもうニシダさんのお部屋じゃありませんよ!気持ちはわかりますが、もう別のところに行ってくださいね!」
先輩が車いすに向かってそう怒鳴った途端、車いすが方向を変えて、廊下の闇の奥へ進み始めた。
「せ、先輩!」
私は慌てて先輩に声をかけましたが、先輩は驚くどころか平然とした様子で車いすを見送っていました。
「あの車いす、ニシダさんのお気に入りだったの。たまにこういうことがあるけど、あんまり気にしないでね」
先輩は私に向かってそう話すと、何事もなかったかのように再び巡回を続けました。
これが私の働く老人ホームの「日常」です。