撃退と断絶
彼の発言は、なかなかに衝撃的だった。
どういう意味かと目で問えば、苦笑気味の答えが返る。
「あの化粧品は、言うまでもなく僕からディアナへのプレゼントだからさ。──それにもう一つ、僕はあの日の昼間、チャールズとのミーティング後に出くわしたアニカ嬢へ、彼と一緒に容赦ない物言いをぶつけたんだ」
「チャールズと? そんなことがあったの?」
チャールズ・ブライトは伯父の長男で、私の六つ年上の従兄だ。二十代後半にしてブライト・グループ次期総帥の座をほぼ手中に収めている彼は、決まった相手がまだいないために、花婿としては州でも指折りの物件と言われている。
父が再婚してからというもの、アニカは「私、チャールズ兄さんのお嫁さんになるわ! 絶対よ、決めたの!」と高らかに宣言した上、悪い意味で子供らしいアプローチを散々繰り返し、随分と彼には迷惑をかけていた。
私が婚約してからは、メインターゲットはマリウスに移ったけれど……確か最近でも、チャールズがいてマリウスがいない場では、アニカは嬉々として彼に近づいていたはず。マリウスとは親友同士ということもあって、アニカへの態度は塩対応どころではなかったのに、あの娘のめげなさには今更ながら恐れ入る。
「ああ。アニカ嬢は最初、例によって僕たち両方に露骨に媚を売ってきていたんだけどね。相手にせず放置して行こうとしたら癇癪を起こして、『私だって姉さんの妹でブライト家の娘なのに! 今の婚約が駄目になったって、どうせ姉さんならすぐに、同じくらい素敵なフィアンセをお祖父様たちが見つけてくれるでしょ!? だったら私がマリウスの婚約者になって何が悪いのよ!?』なんて言い出したから、僕たちも流石にいらいらして──」
『仮に君がマリウスと婚約したとしても、ディアナに『同じくらい素敵なフィアンセ』ができたなら、君はどうせすぐにマリウスを捨てて、その『素敵なフィアンセ』に全力で言い寄るんだろ? そんな不誠実極まる娘を、『ブライト家』の名を背負わせて親友に嫁がせるなんて、ジョークだとしても悪質どころの話じゃない』
『それ以前の問題として、アニカ嬢。もしもディアナとの婚約が駄目になっても、僕は君と改めて婚約しようとは絶対に思わない。国家予算を積まれたとしたってお断りだ。──無論ディアナなら、ブライト家の名がなくたって喜んで結婚するけれどね。どうせなら何も持たずに、身一つで嫁いで来てくれても構わないくらいだ』
『……いつもながら、本っ当にディアナに惚れ込んでるなあ、マリウス』
『悪いか?』
『いや全然。一つ注文を付けるなら、同棲や結婚後もせめて季節に一度くらいは、ディアナにはパーティー以外でも我が家に顔を出すようにしてほしいってことだけだな』
『……………………考えておく』
『即答しろよ! しかもそれだけじっくり悩んでおいて、了承じゃないってどうなんだ!?』
……という、何とも言いがたいやりとりがあったと聞かされて、私はどうにも居たたまれなくなってしまった。
「マリウスったら……私が本邸に顔を出すのがそんなに嫌?」
「まさか。ただ、ディアナがブライト本邸に行くと、ほぼ間違いなく泊まり込みになるだろう? それが一晩ならまだしも、続けてとなったら流石にね。その間、僕が一緒に泊まるのも気詰まりだし、せっかく正式な夫婦になれる日も近いのに、あまり長いこと離れるのは嫌だってことだよ」
「……じゃあ、できるだけ一泊だけにする努力をするわ。でもそれはそれとして、今の物言いのどこがアニカの死に繋がるの?」
「ほら、『何も持たずに、身一つで嫁いで来てくれても構わない』ってところ。あの後の彼女は、物凄い目で僕たちを睨んでから無言かつ大股で去っていったんだが、あの様子からして、『身一つでいいと言うなら、お望み通りに姉さんの物を全部取り上げて、そのまま放り出してあげるわよ!』とでも考えていておかしくなさそうだったんだ。けどそれもやっぱり『今思えば』の話になるのが、我ながら情けない限りだね」
プライドを傷つけられて激怒したアニカの様子は簡単に想像がつくが、それが果たして彼女の死に直結したかどうかと言われると……
「うーん……確かにアニカなら、そんな思考になってもおかしくはないけれど。別にマリウスの言葉がなくたって、あの娘は私がプレゼントされた物を嗅ぎ付けて、すぐに欲しい欲しい攻撃を繰り出して取り上げにかかるのはいつものことだったし、結局はあまり関係なかったと思うわ。私が隠し棚にしまう前にあの娘に押し掛けられたのと、カムフラージュのブレスレットに見向きもされなかったことは事実だとしても……
それに大体、私だって一対一なら、大抵の攻撃はシャットアウトできていたし、今でもする自信はあるのよ? しっかり学習したアニカが積極的に両親を巻き込むようになったから、多勢に無勢でどうにも抗しきれなくなっただけで」
「だろうね。──さて、そういうわけですが。ブライトご夫妻のご意見は?」
促すマリウスに、傍らの妻と同じく蒼白の顔をした父は、それでも果敢に口を開いてこう尋ねてきた。
「──つまり、マリウス君、ディアナ。君たち二人はどうしても、アニカの死の責任が我々夫婦にもあると認めさせたいというわけか?」
「先に彼女の死が、ディアナや僕の仕込んだ毒のせいだなどと、あまりにも根拠に欠けることを主張したのはあなたがたご夫妻ですよ。
警察の結論では、アニカ嬢の死は不幸な事故です。が、愛娘を亡くしたご両親としては、その事故の原因やそこに至る経緯のどこかに責任を求めたいのでしょうし、気持ちは理解できます。だからこそディアナと僕は、自分なりに責任があったと思う点を挙げた。──ミスター・ブライト、ミセス・ブライト。あの日あの時、アニカ嬢の行動を止められる可能性が一番高かったのは、他の誰でもない、あなたがたお二人です。周囲をむやみに責めるのではなく、自分たちにも責任がなかったのか、まずは振り返ってみるべきでは?……ああ、それとも既に振り返った上で、直視できない結論に至ったと、そういうことですか」
「────っ!!」
急所のど真ん中を突かれたのだろう。完全に色というものを失くした顔の中、噛み締められた震える唇から、いっそ痛々しいほどに必死かつ稚拙な反論が紡ぎ出される。
「ば、馬鹿なことを! 私もアマリアも、あの化粧品が蜂蜜入りだなどとは知らなかった。勿論アニカもだ! それなのに何故、我々が買い与えたわけでもない物を使ったことによる娘の死が、私や妻の責任になると言うんだ!?」
「そ、そうよ! あの娘が死んだのは、他の誰でもなくディアナのせいだわ! だってあれは、もとはディアナのもので、蜂蜜入りだと知っていたのはディアナだけだったのよ! アニカにとっての危険物を、あの娘が欲しがるようにこれ見よがしに見せつけていた、あの女の娘に責任があるに決まっているでしょう!! アニカは勿論、私たち夫婦も被害者なのに、どうして娘の死の責任まで押し付けられなければいけないの!?」
──知らなかったから責任がない? 知っていたとしても、どうせ私の出任せだと言い張って、あの娘を止める気は皆無だったでしょうに。
──『これ見よがしに見せつけていた』? アニカは無断でずかずかと私の部屋に入り込み、まだ開けられてもいない箱を当然のように持ち去ろうとして、制止する私と声高な言い争いになったのよ。それを咎めるべき立場にあったあなたがたお二人は、何故か窃盗行為を肯定するどころか、むしろ積極的に促すような言動をしていたと、使用人たちがいくらでも証言してくれるわ。
言いたいことは山どころか、山脈を形成しかねないほど存在するけれど、最早口に出す気にもなれなかった。
悲しみのあまりの現実逃避だとしても、単なる責任逃れのみならず、都合の悪いことは何であれ私のせいにしたがるところは実に相変わらずで、もう呆れるほかない。
そんなマリウスと私の様子を、反論できないせいと勘違いしたらしく、勢いづいた父は更なる妄言を発した。
「そうだ、お前だってアニカの姉だったろう、ディアナ!! 私やアマリアを責める以前に、お前がまずアニカにきちんと言い聞かせていれば済んだ話だ!! それを棚に上げて、一方的にこちらの責任を問うなど──」
「あははははははっ!! まあまあ、パパったら。責任転嫁もそこまで行けばいっそ見事ね」
親としての責任放棄に等しいなすりつけに、私の口から高らかな笑いがこぼれて止まらなくなった。
これが私の父親かと思うと、あまりにも馬鹿らしくて情けなくて呆れ果てて、笑い飛ばす以外の選択肢が存在しない。
──こんな姿、マリウスにだけは見せたくなかったけれど、彼は変わらぬ温かさと確かさをもってその場を動かず、しっかりと私の手を握ってくれている。
勇気づけるように力の込められた手をきゅっと握り返して、私はこの瞬間まで溜め込んできた思いを含め、存分に本音を吐き出すことにした。
「ねえ、パパ。あなたがお義母さんと再婚してからの十二年間、私がアニカに何かを言い聞かせられるだけのチャンスがどこにあったかしら? それだけの影響力が私にあるのなら、私はとうの昔に、自分の物を何かと理由をつけて奪い去っていく妹の悪癖を、徹底的にお説教やお仕置きをして改善させていたはずでしょう。
そうならなかったのは、いえ、そうさせてくれなかった元凶は、他ならぬあなたとお義母さん。見かねたお祖父様や伯父様が、何度も私を本邸に引き取ろうとしてくれていたのに、『世間体が悪いから。本家との縁が切れかねないから。何よりアニカが悲しむから』と突っぱね続け、私の独立を徹底的に阻んだのもあなた方お二人。私とアニカを早いうちから引き離して育てていれば、こんな不幸な事故は起きなかったかもしれないのに。──ああ、強行手段を取れば出ていくことも不可能ではなかったのに、曲がりなりにも家族ではあるし大学卒業までの我慢だから、無駄に長くこの家に留まっていた私にも間違いなく責任はあるわね。
でも、パパ、お義母さん。この期に及んで他人に全面的に責任を押し付けるなんて見苦しい真似をするのでなく、自分の数えきれないほどの選択ミスが愛娘の死を招いたという事実を、きちんと正面から受け止めて反省すべきだわ。それが親としての責任であり、アニカへの正しい償いではない?」
尋ねれば案の定、父の顔は主に怒りで、落差の激しさが心配になるほど真っ赤に染まった。
「う、うるさいうるさいっ! 子供のくせに、一人前のように親に説教をするなど、何様のつもりだ!! 独り立ちもしていないたかが学生の分際で、子を持つ親の苦労も知らずに分かったような口を聞くな!!」
「やれやれ、逆切れですか。ミスター・ブライト、あなたの『子を持つ親の苦労』とやらは、せめて婚姻中に婚外子を作らなければ、半減程度にはなっていたと思いますがね。……まあ、僕が言えた義理ではないところもありますが」
そう付け加えたマリウスに、意外と言うべきかそれとも当然なのか、すぐさま父が食いついてくる。
「何だと!? マリウス君! 君はまさか、ディアナと婚約していながら、他の女性との間に子供を!?」
「最低な誤解はやめてちょうだい。マリウスとパパを一緒にしないで。大体、そんなことになっていたなら、私はこうしてマリウスの隣におとなしく座ってなんかいないわ」
いくら長女に興味がないとしても、その程度のことは想像しなくとも分かりそうなものだけれど。
「し、しかしだな、ディアナ! 今の言い方だと、それ以外のどんな結論がある!?」
「単にパパが早とちりなだけよ。──私のお腹にはマリウスの子供がいるの。結婚前の妊娠だから、『言えた義理ではないところもある』ってこと」
「…………な、に……!? ディアナが、妊娠だと……!? まさか、そんな……」
流石に予想外だったらしく、愕然とつぶやく父。
何がどう「まさか」なのかは聞かないでおこう。どうせ気分のいい答えは返ってこないから。父の中での私とマリウスの関係は、「可愛げの欠片もない娘と、その名ばかりの婚約者」くらいの認識だったのだろう。
そんなことを気にするより、両手でそれぞれ腰を抱き優しくお腹を撫でてくれるマリウスに全神経を集中する方が、よほど幸せで有意義だ。
「三日前の朝に検査をしたら陽性だったので、その日にローランド家の主治医に診てもらいましたから間違いはありません。
正直に言えば、葬儀の日に報告というのも複雑ですが……この子が生まれたら、ディアナも僕も、教えるべき大事なことはきちんと教えるつもりですよ」
「────!!」
再びの痛烈な一撃が、父の言葉を容易く奪い去る。
──そうして室内に満ちた静寂を、ごく短時間で破ったのは、地の底から響くような義母の声だった。
「……さ、ない」
「え……ア、アマリア?」
「絶対に、許さないわ!! どうして可愛いアニカが死んだというのに、ディアナなんかが幸せになれるの!? 大会社の御曹司と愛し合って、祝福された結婚をするのはあの娘であるべきだったのに!! なのにどうして、忌々しいあの女の娘が、アニカのいるべき場所にいるのよ!! おまけにお腹にはもう子供がいるだなんて……!!
──ディアナ!! お腹の子を殺されたくなければ今すぐそこをどいて、アニカにさっさと明け渡しなさい!!」
──そんな言い分を聞いたところで、アニカが生き返ることなど有り得ないのに。
一時的な錯乱か現実逃避か、はたまた本当に狂ってしまったのか。
流石に少し言い過ぎたかという後悔と、僅かばかりの同情は覚えるものの、聞き逃せない発言は速やかに訂正してもらわなければならない。
「お義母さん。今の言葉は、紛れもない脅迫よ? 今のうちに取り消さなければ、マリウス個人だけじゃなくローランド家そのものを敵に回すことになるわ。無論、ブライト本家は言うまでもなくね」
「黙りなさい!! あんたは余計なことを言わず、言われた通りのことをすればいいのよ! 可愛いアニカを差し置いて、あんたみたいな可愛げも愛想もない娘が幸せになるなんてこと、あっていいはずがないんだから!!」
「アマリア、頼む、落ち着いてくれ!! ディアナのお腹の子は私の孫でもあるんだ。だから殺すなんてことは、間違っても言わないでくれ!」
「何よ、あなたまで!! 今までずっと、娘を娘とも思わない扱いをしてきたくせに、孫を身籠った途端に父親面!? アニカにはもう、子供を産むどころか生きることさえ許されないのよ!! なのに実の父親のあなたが、大嫌いな姉をかばったなんて知ったら、どんなにアニカが悲しむと思うの!!」
我に返って妻を羽交い締めにする父と、それに逆らおうともがきつつ喚く義母。
少なくとも義母の最後の台詞については、前半だけは諸手を挙げて賛成するが。
「もしかして狂ってしまったのかと心配したけれど、ミセス・ブライトは一応まだ正気ではあるようだね。娘への偏りすぎた愛が正気と言えるものかどうかは別にして」
「まあ、それは今に始まったことじゃないもの。私たちがこれ以上ここにいてもお義母さんを興奮させるだけだから、後のことは父に任せて帰りましょうか」
「ああ、そうしよう。ブライト本家にも報告に行かないといけないからね。……チャールズはともかく、会長や社長には殴られることを覚悟する必要がありそうだ」
言葉通りに席を立った私は、いつものようにマリウスに肩を抱かれて応接室を出、玄関へと向かう。
「むしろお祖父様は、案外喜びそうな気もするのよね。『早く結婚して曾孫の顔を見せんか!』と、チャールズにしょっちゅう催促してるくらいだもの」
「それとこれとは違う問題だと思うよ。最終的には喜んでくださっても、表に出ない場所を殴るか銃を突き付けられるくらいは──」
「ディアナ! 待ってくれ!」
何やら重い音がしたかと思えば、あまり聞きたくない声に呼び止められた。
振り向けば、義母と格闘していたはずの父が必死な顔で、応接室を出たところに佇んでいる。
……礼服が随分乱れているところからすると、義母はかなり抵抗したんでしょうけれど……今の重い音は、父に気絶させられた彼女が倒れた音かしら。
どういう手段で気絶させたのかまでは知りたくないわね。胎教にも悪そう。
意を決したように、こちらへ──いや、明らかに私に向かって近づこうと足を踏み出す父の、動きと視線を遮るように。
マリウスの広くたくましい背が、実に頼もしく私の前に立ちはだかった。
「……マリウス君、どいてくれないか。私はディアナと話がしたい」
「今更何を話すことが? 彼女の子はローランドの子であり、間違いなくブライト家に連なる存在ですが、あなたが自分の孫だと公言する資格はありませんよ」
「!? 馬鹿な! 正真正銘ディアナの父である私が、娘の子を孫と言うのに何の支障があると!? いくら君がその子の父親でも、そんなことを決める権利はどこにもないはずだ!!」
「そこは是非とも客観的に判断していただきたいわ、ミスター・ブライト。孫から見て叔母が死んだ事故の責任を、明らかな言いがかりで母親に被せようとする祖父の存在なんて、普通に考えれば有害でしかないと思いません?」
わざとらしく余所行きの口調で問えば、父は何やらとてつもなくショックを受けたように愕然とする。……家族の輪から私ひとりだけを、あんなにも徹底して締め出しておきながら──さほど入りたくもなかったとは言え──、今更そんな反応をされては、こちらの方が驚きだ。
──それだけ、血の繋がった孫という存在は大きいということなのかもしれないけれど。
「ディ、ディアナ……すまなかった!! 今までお前に酷い扱いをしていたことは謝る! だからどうか、そんな風に他人行儀な態度だけは取らないでくれ……!!」
「むしろこの十二年間、あなたがたと家族でいること自体が苦痛でしたわ。いっそ他人であればどれだけ楽だったかと、何度思ったか数える気にもなれないくらいですのよ」
「そ、そんな……ディアナ……!!」
長いこと散々除け者にしていた相手からすっぱり切り捨てられただけのことで、この世の終わりのような顔を見せないでほしい。
もっとも、これまで存分に享受していたブライト本家との繋がりが、私との絶縁で切れると思えば、そんな反応もおかしくはないかしら。
「別に心配なさらずとも、祖父や伯父から期待されるだけの業務をこなしていれば、グループ内での地位は今まで通り安泰だと思いますけど?」
「そんな問題じゃないのは分かってるだろう!! 頼む、教えてくれ、ディアナ! 私は一体どうすれば、その子の祖父として、お前の父親として認めてもらえるんだ!?」
血を吐くように問われて考える。
──父親として認める、ねえ……十年以上に渡る過ちを、ほんの短い時間──この子が生まれるまでだとしても、せいぜい七ヶ月程度だ──で取り返そうなどと思うのは、いささかどころでなく虫が良すぎる話だ。自覚はしていないのだろうが。
その上で尚、どうしても認められたいと言うのなら、この際だ。徹底した難題に取り組んでもらうことにしよう。
「ミスター・ブライト。あなたは一体、どの口でそんなことが──」
「いいわ、マリウス。条件が決まったから」
「え。でもディアナ、大丈夫なのかい?」
「ええ、平気よ。──では、ミスター・ブライト。ディアナ・ブライトとして、アニカの姉としての立場から答えさせてもらいます」
「あ、ああ!! ありがとう、ディアナ………!!」
マリウスの隣に進み出て直接向き合えば、父は私の言葉にすでに許された気でいるらしく、潤んだ瞳と口元が歓喜に緩んでいる。……気が早いと言うか勇み足と言うか、本当に私を見くびっているのだろう。
ならばせいぜい、痛い目に遭ってもらいましょうか。
「どうすれば認めるか、でしたわね? 私があなたに希望することはただ一つ──先ほど応接室で言ったことを、確実に実行してもらうことです」
「先ほど言ったこと……? すまない、どれのことだ?」
父の頭上に大きな疑問符が浮かぶ。どうやら本当に分からないらしい。あるいは分かっていて無意識に除外しているのか。
──でも、逃げることなどもう許さない。
私は一言一句違えることなく、要求内容を繰り返した。
「──『この期に及んで他人に全面的に責任を押し付けるなんて見苦しい真似をするのでなく、自分の数えきれないほどの選択ミスが愛娘の死を招いたという事実を、きちんと正面から受け止めて反省すべきだわ。それが親としての責任であり、アニカへの正しい償いではない?』」
「──っ!?」
蒸し返されるとは思わなかったに違いない。完全に予想外の一撃を食らい、父ははくはくと口を開け閉めするものの、そこから声が出ることはなかった。
私はかまわず言葉を続ける。
「あの娘の姉だからこそ、両親であるお二人にはそうあってほしい。勿論、成分の確認も何もせず、アレルギー物質を使ってしまった彼女本人の不注意は大きいとしても──アニカと同じ親を持つ子として、あなたには是非ともそうしてほしいと、心の底から願っています」
「な……あ……っ、そん……!!」
がくがくと震える父は、既に意味を為す言葉を紡いでいない。
言いたいことを全て言い終えた私は、生まれ育った家を後にする。がっくりと床に膝をついてただただ苦悩する、生物学的な繋がりしかない父を一顧だにすることもなく。
「──ま、待ってくれ……!! ディアナ、頼む──!!」
──バタン。
外観だけはとても立派な邸宅に相応しい重い音を立てて、扉が閉まった。
マリウスと私は無言で歩みを進め、彼の車が停められた場所で立ち止まる。
──鍵を開け、助手席のドアに手を掛けたマリウスが、ふと動きを止めた。
「……ディアナ……」
「え?……っ」
……つぅっ、と。
頬を伝った感触でようやく、自分が泣いていると気づいた。
止めなければと思うのに、両目から流れる熱い雫は、次々と溢れ出して止まらない。
「ご、ごめんなさい、何でもないの……! 変ね、ホルモンのせいかしら……もう少し待ってくれれば、きっと止まるから──」
「ディアナ」
──ぐっ、と。
遠慮も何もなく抱き寄せられ、私の泣き顔はマリウスの肩口に押し付けられる。
彼の最高級スーツを濡らしてしまうのが嫌で、何とか離れようともがくけれど、腕の力は全く緩んでくれはしない。
「マリウス、スーツが……!」
「そんなことはどうでもいい。……君はようやく、家族のことで泣けたんだから。今はもう、好きなだけ泣いていいんだよ」
「っ──!!」
マリウスの言葉が、私の涙腺を完全に決壊させる。
──悲しいのか辛いのか、それとも全く違う感情からなのか。
理由さえも定かでないまま、私は彼の腕の中で、ただただ涙を流し続けたのだった。