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短編小説集 à la carte

瘤つき

作者: 篠崎フクシ

 酒も入ったことだし、ちょっとだけ、昔の話をしてもいいかな? ようやく爺さんの介護も一段落した。今夜は寝つきが良い……、隣の部屋でぐっすりと眠ってるよ。

 さあ、呑めや。とっておきの純米吟醸だ。ツマミは俺とあの爺さんの物語だ。まあ、たまにはいいじゃないか、俺は滅多に自分の想い出なんて語ることはないんだ。いつもおまえの愚痴を聞いてやってるんだから、今夜くらい、いいよな? それに今夜はどうも冷える。ーー、窓の外は雪だ。

 

 俺は生まれてから小学校低学年ごろまで母親と二人で暮らしていたらしい。らしい、というのは、よく覚えていないからだ。誰だってそうだろう? 子どもの記憶なんてとてもあやふやで、ややもすれば美化されたまま、ぼんやりと記憶の底に仕舞い込まれてしまう。母親はたぶん、とても優しかった。何故だかわからないが、そんな気がする。だって、何処かに行くときは、いつも幼い俺の手を握って歩いてくれたんだから。とても暖かかった。こんな雪の日だって、とても暖かくて、いつまでも離さないでほしいと思っていた。


 ところが、今夜のような底冷えのする夜に、俺は養護施設に預けられたんだ。わけが分からなかった。もちろん俺は母親のことを何日も何ヶ月も何年も待ち続けたさ。クマのぬいぐるみを抱えながら雪の上を裸足で待っていたこともある。哀れだよな、我ながら。もちろん、いつまでたっても迎えになんか来ちゃくれなかった。


 そんな俺のことを見かねてか、何年かたったある雪の夜、養護施設のオニヅカ先生は言った。

「おまえの母ちゃんは男ができたんだ。分かるだろ?」

「そんな大人の身勝手な理屈、僕には分からない。でも、きっと母さんは迎えに来るよね?」

「さあな」

 先生は正直に自分の感想を漏らした。先生は悪い大人だって? 違う。オニヅカ先生は金髪、鼻ピアスで怖そうに見えるけど、嘘が嫌いだっただけだ。嘘で期待を持たせておいて、最期に真実のイカズチを落として落胆させることほど、罪なことはないだろう? 中学生の俺にとって、先生は優しくて頼りになる、数少ない大人の一人だった。

 

 オニヅカ先生は入所当時のことを、その時初めて詳しく教えてくれた。ガキの頃の記憶があやふやなのはさっき話したろ? 本当に覚えていないんだ。施設の門をくぐった時の俺の体重は同じ年齢の子どもたちよりも遥かに軽くて、身体中に痣があったそうだ。

 母親が俺の本当の父親とは違う男と暮らしはじめたのが運命の分かれ道だった。その男は瘤つきであることを承知で母親に近寄ったんだが、連れ子、つまり瘤である俺の存在がすぐに邪魔になった。……、まあそれで、よくある顛末と相成ったわけさ。


 そして最後に、オニヅカ先生は母さんが病気で亡くなったことを教えてくれた。生前、母さんが残した俺宛の手紙を添えて。

 

 腫れものと

 忸怩たる日の

 冬葵

 

 俺はその時、男への復讐を誓った。

 冬でも枯れない葵の花ように、どんな状況でも咲き続けてやろうと思った。

 身体を鍛え、本の虫になってありとあらゆる知識を詰め込み、〈その日〉に備えたんだ。ただ、母親が残した手紙の内容は、ほとんど理解できなかった。知識ではどうにも理解できないことが書かれていたからだ。

 

 その頃、俺と同い年の女の子が入所してきた。

 ミレイといって、痩せっぽちで髪もガサガサ、すっかりやつれているようだったけれど、とても可愛い娘だった。どこか俺に似ていて、鏡を見ているような気がした。俺はすっかり夢中になった。復讐を遂げた暁には、彼女と所帯を持ちたいとさえ本気で考えた。中学生なのに、マセたガキだね。

 

 ところが決行を速める出来事がその時、起こった。ある夜の遅く、忘れ物を取りに事務室に行くと、まだ灯りがついていた。不審に思った俺は扉に耳を当てた。オニヅカ先生が電話で児童相談所の職員と話している。ミレイの父親が事故で亡くなったとか、親権がどうとか聞こえる。そしてその後の会話の内容に、俺は耳を疑った。


「そんな……、双子の兄がうちにいたなんて、聞いてませんよ。いったいどう伝えたらいいのやら……」

 オニヅカ先生は困惑した様子で、受話器を下ろした。

 そう、ミレイは俺の、双子の妹だったのだ。

 

 瘤二つ

 哀れ散るらん

 寒椿

 

 失恋のショックと信じられないような事実に、俺は打ちのめされた。まあ、誰だって混乱するよな……、ちょっと、整理をしようか? つまり、俺の本当の父親が妹のミレイを引き取り、俺は母親に引き取られていたということだ。奇しくも父親は、母親と同じ時期に、二人仲良くあの世に逝っちまったってわけさ。

 

 俺はナイフを握りしめ、このクソな運命に終止符を打とうと決めた。早晩、オニヅカ先生は事実を伝えるだろう。しかし血気に逸る俺は、ミレイに、俺が兄であることを打ち明けた。


「ミレイ、今夜、あの男を殺りにいく。おまえは俺の分まで幸せになれ」

 俺もミレイも寒さと緊張で震えていたよ。

「そんなことしても、何にもならないよ」

 ミレイは泣きながら俺を止めた。

 相手は妹だというのに、俺は切なくて、気が狂いそうだった。

「もうすべて終わりにしたいんだ。奴をこの世から消すことで、この物語は完結する」

「じゃあ、せめて、わたしを連れていって!」

 雪の夜、ミレイと俺は養護施設を脱走し、男の家に向かった。これまで良くしてくれたオニヅカ先生には申し訳ないと思ったが、その時はほかの選択肢が思い浮かばなかった。

 

 住所は事前に調べがついていたので、男の住む薄汚いアパートはすぐに分かった。幼い俺もここに居たはずだが、まったく記憶になかった。

 二階の扉をノックする。返事はない。試しにドアノブを回すと、鍵が開いていた。心臓の鼓動が、速く大きくなる。

 思い切って扉を開けると、はたしてそこにはオニヅカ先生が立っていた。先生は先回りしていたのだ。


「やれやれ、おまえらの考えそうなこったな」

 オニヅカ先生は煙草に火をつけ、ふうっと煙を吐いてから、部屋の奥に眼をやった。

 年老いた男が一人、部屋の隅で震えていた。助けてくれ、と哀願するような眼で俺とミレイを見ていた。

 俺の復讐を本気で恐れていたらしい。

「さあ、どうする、爺さん? 瘤が倍になって帰ってきたぜ」

 オニヅカ先生は意地悪そうな笑みを浮かべて、男を睨みつけた。弱々しく震える老人は惨めだった。俺はなにもかも馬鹿らしくなって、ポケットの中のナイフから、手を離した。

 

 どうだい、昔話の〈瘤とり爺さん〉みたいで面白いだろう? え? この話にどんな教訓があるかって? 俺の人生に教訓なんていう気取ったものは何もないさ。だがな、結局、俺とミレイは今もこうしてあの老人を養っている。そう、おまえの目の前にいる死にかけの爺さんさ。


 母さんの遺言でもあったんだ。俺への謝罪の言葉もそこそこに、「どうかこのクズのような男を救ってください」だってさ。まったく、はた迷惑で不条理な話だ。赦せるわけ、ないのにね。

 ま、おまえが驚くのも無理はない。

 ただな、これが人生ってもんだ。

 

 さあ呑め。息子のおまえが二十歳になったから、今夜はこうして酒を酌み交わし、柄にもなく昔話の一つもしたくなったんだ。長々と聞いてくれて、ありがとな。【了】

 

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