第二想・序曲
陽が陰ったことに天を見上げると、数秒前まで晴天だった空が今は厚い雲で覆われていた。間を置かずして天から冷たい雫が落ちてくる。あっという間に勢いを増した雨は、咲き誇る菖蒲だけでなく庭に立ち尽くす彼にも容赦無く叩きつける。
無慈悲な雨に抗議するかのように揺れる菖蒲の花びらを見つめ、その口元に微かな笑みが刻まれる。新緑の緑よりもさらに深い色の双眸が、すっと細められた。
軽く手を掲げると、既にずぶ濡れになっている掌をさらに雨が打ちつけた。
「…天が、啼いたか」
呟きは降り続ける雨に吸い込まれて消える。
これは、天の流した涙。神の気まぐれ。
その滑稽さに嘲笑とも取れる笑みを浮べ、彼は門へと足を向ける。少し歩けば逢えるだろう。天が啼いた原因に。神の流した涙の相手と。
彼の姿が門の外へと消えたその直後、西洋の城を小さくしたような、赤レンガ造りの建物の二階窓が開け放たれた。
そこから顔を出し、庭を覗いたラキは首を傾げる。
「主…?」
つい先程まで庭にいたはずの主の姿が見当たらない。くの字に曲げていた体を起こし、ラキはどうしたものかと顎に手をやった。
「今日はラベティーユでしたのに…」
『月雫花』に『星の欠片』。隠し味に『桜粉』を少々。特に『月雫花』は、雪の三日降り続いた後の望月の夜にしか咲かないという非常に貴重なもので、中々手に入らないのだ。たまたま知人から譲り受けたので、紅茶好きの彼に喜んでもらえると思ったのだが…。
当の本人がいなければ話にならない。
季節外れの菖蒲が咲き誇る無人の庭を見下ろし、ラキは再び溜め息をついた。紅茶は淹れたてが美味しいのであって、冷めてしまってはその上品な味が落ちてしまう。
さてさて。どうしたものか。沈思していたラキは、ふと気が付いて天を見上げた。
先程から降り続いている雨。これは、自然のものではない。
成る程と、ラキは納得する。だとしたら、主は当分戻らないだろう。
「…趣向を変えて、アイスティーにでもしてみましょうか」
長月。暦上は季節は変っても、まだまだ残暑の厳しいこの時期、さっぱりアイスというのも悪くない。
早速準備に取り掛かるべく、窓を閉めたラキは踵を返した。
ΨΨΨΨΨ