想曲・伍〜欠片〜
見慣れない天井が視界に映った。半分以上眠ったままの頭で、ここは何処だろうと疑問に思う。
床板の軋む音がした。一秒と経たないうちに影が差す。
「――起きられましたか?」
穏やかな声が問いかけてくる。
燈牙は体を起こした。まるで図書館のように四方を高い本棚で囲まれた室内を見回し、最後に傍らに立つ青年へと視線を向ける。
「家の前で倒れていたのですよ。意識が戻って本当によかった」
優しげに、青年は微笑む。
「あ・・・・・・」
記憶が曖昧だった。それでも、ただ一つ、確かな事は――…。
「い…今何時ですか!?」
今まで寝ていたソファから勢いよく立ち上がり、同じくらいの背丈の青年に詰め寄る。
そんな燈牙の行動に動揺する事無く、彼は丁寧に質問に答えてくれた。
「朝の八時二十三分です。ここは、○○町二丁目ですよ」
「八時…ッ。なら間に合う!」
「そんなに慌てて、何かあるのですか?」
ほっと息をついた燈牙に、青年は穏やかに訊いてくる。
照れたように、燈牙は顔を伏せた。
「…今日は、結婚式なんです」
返答は小さすぎたが、青年は燈牙の声を聞き取ったようだ。穏やかな微笑みが浮かべられる。
「それは、好かったですね」
「―――はい」
心からの祝福に、燈牙は笑顔を返す。そして何気なく視線を落とした先にある物に、目が留まった。
身を屈めて、それを手に取る。テーブルの上に置かれていたのは、胡蝶蘭を象ったペンダント。
「…すみません。これ、頂いても構いませんか?」
しばらくの間ペンダントを見つめていた燈牙は、隣に立つ青年に尋ねた。
今までどんな事にも動じなかった相手の、驚きに瞠られた紫の双眸が燈牙を凝視する。
「あの…」
困惑気味に燈牙が声を掛ければ、青年は一瞬にして動揺を己の身の内に隠してしまった。
「――失礼しました。どうぞ、お持ちください」
自身の非礼を詫びて軽く頭を下げ、青年はそう返答する。
「いいんですか?」
「貴方が望むのなら、それは貴方の許にあるべきなのでしょう」
意味ありげな言葉と共に贈られた淋しげな微笑。
その哀しげな表情の意味を知りたかったが、時間がそれを赦してはくれない。
燈牙は何度もお礼を口にして扉を開ける。部屋を出て行きかけたところで、青年の呼び止めに振り返った。
「幸せになってください」
燈牙は一瞬驚いた顔をしたが、すぐに笑顔になって。
「はい。ありがとうございます」
扉が閉められ、青年の姿が視界から消えた。
ΨΨΨΨ