想曲・参〜断罪〜
燈牙は混乱した。何故彼が自分の名前を知っている。何故彼が自分の事について知っている。何故…?
浮かんでくるのは疑問の言葉ばかりで、しかしそれは音にはならない。真っ直ぐに見据えてくる深緑の双眸が怖くてならなかった。
「ちなみに、どうして貴方の事を知っているのかというと、それは企業秘密なので。悩んだところで解決しませんよ。時間と労力の無駄遣いです」
にこりと笑いかけられて、燈牙はがくりと肩を落とした。
どうやら、ここでは自分の常識が通用しないらしい。だったら、もうどんな非常識な事にも驚くまい。驚くだけ損というものだ。ここではそれが当たり前なのだとそう無理矢理納得するしかない。でなければ、こちらが疲れる一方だ。
「七分十一秒八六。記録更新」
ナダが嬉しそうに笑う。燈牙が怪訝そうな顔をすると、ナダは笑みを口元に刻んだまま説明してきた。
「貴方がこの状況に適応するまでの時間。今まで来た“神楽”さんの中で一番早かったのは荒井千佳さんの十分二秒三四だったんだけど、貴方はそれよりも二分も早い。ここまで来るのに時間がかかったのに。これだから人間という生き物は…」
くすくすと、ナダは笑う。
何が楽しいのか燈牙には理解出来ない。静かに笑い続けるナダにかけるべき言葉が見つからずに沈黙していると、やがて笑いを収めた本人が燈牙を見据えてきた。
「――――――ッ!」
正面から射抜いてきた深緑の双眸に、燈牙は息を呑む。その輝きがあまりにも綺麗で、そして、残酷だったから。心の奥底を見透かす、深い瞳。
ナダがおもむろに右手を顔の前にかざした。
その手に握られている物を視界に入れた瞬間、燈牙の黒曜石の瞳がこれ以上ない程に見開かれた。彼の視線が、太陽の光を反射して煌くそれに釘付けになる。
「――見覚えがありますよね?燈牙さん」
左手で頬杖をつき、ナダは静かに確認の形で問いかける。燈牙からの返答はない。元からナダの方も期待していない。
「貴方が関山永遠さんにあげた物です。随分と洒落ていますね。僕は嫌いじゃない」
顔の前にかざしたペンダントを眺めやり、ナダはその深緑の双眸を細めた。
燈牙は愕然とした。
何故、あれが彼の手元にあるのだ。あれは、永遠が持っていったはずだ。そうしてくれと、彼女が頼んだ。それなのに―――。
「僕がこれを持っているのが不思議ですか?でも、勘違いしないでくださいね。永遠さん本人が僕に渡してくれたんですから」
「何…を…?」
頭が混乱する。永遠が自分で持ってきた?そんなはずはない。だって、永遠は――…。
「――貴方が、殺したんですものね」
静かな声音が、真実を告げる。
びくりと燈牙は肩を震わせた。真っ直ぐに見据えてくる深緑の双眸が怖い。逃げるように視線を外し、燈牙は掠れるような声で呟いた。
「…俺じゃない。俺が殺したんじゃない…ッ」
あの時の光景が脳裏に蘇る。
視界を赤く染めた鮮血。それは、大切な人が流した命の欠片。抱き起こした体は暖かかった。でも、もうその瞳は開かない。声を聴くことは叶わない。
病に蝕まれていた永遠。己の無力さに泣いた自分を慰めてくれた彼女。心配ないよと、大丈夫だと笑った永遠。――全ては、運命の悪戯が見せた夢。
頭を抱え、燈牙はその場にうずくまる。ナダは何も言わない。その場を支配する沈黙が、まるで己を責め立てているかのようだ。
「俺はただ…、永遠を愛していただけだ」
愛している――貴女にそう伝えた。心からの言葉。彼女となら、生きていけると思った。例え、全てを捨てることになっても。それでもいいと。
「でも、彼女は俺を裏切った…ッ」
返された想いは残酷なものだった。送られたダリアの花。だから俺は、彼女を捨てた。
「―――選んだのは貴方だ」
ナダが初めて口を開く。発せられたのは、残酷な言葉。
顔を上げた燈牙に、彼の容赦のない言葉が浴びせられる。
「未来を選んだのも燈牙さん。彼女を信じきれなかったのも燈牙さん。他の誰でもない」
反論しようと口を開きかけ、しかし何の言葉も出てこなかった。
わかっている。ただ、認めたくなかっただけだ。