第二想・終曲
扉が開く音に、彼は読んでいた本から顔を上げる。紅茶の入ったグラスとパイを乗せたお盆を片手に、ラキが部屋に入ってくる。
テーブルに置かれたグラスに口を付け、主は珍しくその口元に笑みを浮かべた。
「ラベティーユ」
「流石は主。お見事です」
「隠し味は『桜砂』だね。粋な選択をする。見事だ」
最上級の褒め言葉に、ラキは喜ぶ以前に驚いたようにその紫暗の双眸を瞠った。
開け放たれた窓の桟にとまって眼を閉じていたラウも、その赤い瞳を再び分厚い本を読み始めた主の背中へと向ける。
しかしそれも数秒のこと。「有難うございます」と感謝の言葉を述べ、ラキはお盆に残っていたアップルパイを置いた。そして、すっかり晴れ渡った空を眩しそうに眺めた。
「綺麗な空ですね。朔さんが、二人の新しい門出を祝福しているのでしょうね」
主の視線が晴天の広がる空へと移される。その深緑の双眸が細められた。
「…主。後悔は、愚かな行為だと思われますか?」
ラキの唐突な問いかけに、彼は微かに眉を寄せた。
「後悔をしても、しっかりと前を向いて歩いていけるのならば――私は、それでいいと思います」
パタン!と、主は膝の上に置いた本を閉じた。そして、外界との温度差で生じた水滴のついたグラスを手に取り、口を付ける。
「僕は、『後悔』は人間の特権だと思っている」
自分の戯言などに付き合ってくれるとは思っていなかったラキは、言葉を発した主に完全に虚をつかれた。これ以上ない程見開かれた紫暗の瞳が主を凝視する。
「過去は変えられないと解っているのに、人間は繰り返し仮定する。戻らない時間に翻弄されて生きるなんて、滑稽じゃないか」
何が楽しいのか、主はクスクスと笑う。
そんないつもの主らしい物言いに、兄弟は互いに顔を見合わせた。
好んで人間と関わりながら、しかし彼は自ら引いた一線を絶対に越えようとしない。飽く迄も第三者的立場を崩さず、人間を見る目は常に皮肉気だ。
従者の不審気な様子など気にもせず、主は空になったグラスをラキに手渡す。
珍しくおかわりと要求されたラキは、嬉しそうにその顔に笑みを浮かべて部屋を出て行く。その後を、ラウが追った。
主の視線が季節外れの菖蒲が咲き誇った庭へと落とされる。その口元に、淡い微笑が刻まれた。
「――人間は我武者羅に生きようとする。だからこそ、美しい」
主の呟きを、二人は知らない。
***
死者の皆さん
生者に言伝はありませんか?
菖蒲が咲き乱れる道の先
古城の扉を抜けた部屋
そこで待つのは
ちょっと変った住人です
ご安心を
怪しい者ではありません
天の啼く雨の日に
責任をもってお伝えしましょう
あなたの死様は綺麗でしたか?
終劇