第二想・祝奏
「…ここは…?」
霞みかかった意識がはっきりとしてくる。視界に入ったのは、死者の為に手向けられた花。
ここは、自分の息子になるはずだった彼が、亡くなった場所だ。
赤いリボンでまとめた花束の横に、摘み取ったばかりと思われる菖蒲が一緒に置かれていた。何故この時期に菖蒲が?と疑問に思ったが、そういえばあの屋敷には菖蒲が沢山咲いていたなと思い出して納得する。
彼が、手向けてくれたのだ。名前も聞いていなかった。顔も、思い出せない。ただ、鮮明に残っているのは、あの深い色の瞳だけ。
「彼は…誰だったのかしら」
疑問を口にしてみて、そんな事はどうでもいいのだと思う。
彼が誰でもいい。例え、自分が迷い込んだ場所がこの世でない何処かだったとしても。あの子の笑顔を、想い出すことが出来たから。
「若菜」
背後からかけられた声に、若菜はゆっくりと振り返る。横断歩道を渡ってこちらに歩いてくる彼に、若菜は優しく微笑みかけた。
眼鏡をかけた優しげな風貌の彼は、若菜の隣に並んで手向けられた花を見つめた。その瞳が湛える光は、とても穏やかなものだ。
しばらくの間二人は無言で風に揺れる花束を見つめていたが、不意に彼が若菜を呼んだ。
横に立つ彼に顔を向けると、彼は真剣な瞳を若菜に向けていた。そして、気恥ずかしそうに上着のポケットから小さな箱を取り出した。
「――僕と、結婚してください」
微かに顔を赤らめ、彼は箱を開けて若菜に差し出す。
箱の中に収められた指輪に、若菜はその黒曜石の瞳を見開いた。予想していなかった事態に、言葉も無く差し出された指輪をじっと見つめる。
「ずっと切り出せなくて…。朔の前で、ちゃんと言っておきたかったんだ」
一度電柱の下に置かれた花束に視線を落とし、彼は若菜を真っ直ぐに見据えて、もう一度先程の言葉を繰り返した。
「僕と、結婚してください」
真剣な光を宿す眼鏡の奥の瞳を真っ直ぐに見つめ、若菜は淡く微笑んだ。
「――――はい」
差し出された、指輪の入った箱を受け取る。
指輪を掴んだ彼は、若菜の手を取ってその薬指に填めた。
若菜の指にピッタリと合ったそのダイヤの指輪が、陽光を受けて輝いた。それはまるで、彼等を祝福しているかのよう。
どうちらからともなく手を握り、微笑み合った二人は事故現場を後にする。
二人の新しい門出を、風に揺れる花束が優しく見守っていた。
*