舞台を降りて、舞台に登りて
新年祭といえば、この二人。
だからこそ補完するべきだと思ったのです。
遅刻してごめんなさい!
「全く、あいつにしては手が強引すぎるわね……サヤの手とも思えないけれど。それほどまでに切羽詰まってるという事かしら?」
にぎやかな酒場、その壁に張り出された冒険者向けの告知を眺めつつ呟いたのは、そのあたりの防具店で売っているような安物の軽鎧の上に布をかぶせ、それを少し過剰なほどに帯状のものを巻き付けただけの女だった。純人だろう、特にこれといった特徴は無い。その女は武器も持たず、あまり大きいとは言えない旅袋を担いではいるが、そこに入るのはせいぜい短剣が良いところだろう。しかし彼女はやはり冒険者に違いない。
なぜなら、そもそもこの酒場は冒険者の店と言われる類の場所であること、そして彼女の髪が明らかに何者かによって切られたかのような形跡があり、そして頬から首筋にかけて包帯がまかれているからだ。彼女が武器を持っていないのは単に休養中だからと、この場にいて彼女を初めて見た者たちはそう解釈するし、それは実際、ほとんど正しい解釈と言えた。
彼女はほんの七日前、とある場所でおきたとある事故に巻き込まれたのだ。
そしてその巻き込まれた事故において彼女はその髪の毛の一部を切る羽目になり、それが彼女の歪な髪型の理由だったし、頬から首筋にかけての傷もその事故で負ったものだ。そしてその事故は冒険者でもなければまず経験できないようなものである。
「黙ってないで何か言ったら? 言いたいことは明日言え、を可能な限り実行するのはあなたの美点でもあるけれど、同時に欠点でもあるのよ。去年の今頃ならともかく……まあ、去年の今頃でも大概はそうだったでしょうけど、私がレイの言う事を疑う事なんてないんだから」
そういって彼女は、その黒い目を下へと向ける。垂れ目気味の彼女ではあっても、その目の向きは少し威圧感を感じさせるだろう。
そんな彼女の目の前には、茶色と黄色でコントラストが強調されている髪を短く揃えた少年が居た。その少年の頭には猫のような耳があり、どころか尻尾もズボンから生えていて、その尻尾の色も茶色と黄色。猫のような特徴を持ったヒトには猫人という種族名がついていて、他にも兎のような耳としっぽを持つ兎人、犬のような耳としっぽを持つ犬人など、ヒトというくくりには多くが存在するがゆえに、猫人もさほど珍しいわけではない。
ただしその珍しいわけではない、というのは、あくまで猫人という種族に対する評価である。
その少年がこの店にいるという事実に対する評価は、いささか珍しいに傾くだろう。
ここは冒険者の集う店であり酒場であり、そうした店に子供が入ることそれ自体が滅多にないからだ。
ましてや彼は鎧の類を一切着ておらず、半袖に半ズボンというカジュアルな衣服にマフラーを巻いただけの姿格好。何かの間違いで入り込んでしまったのではないかと、普通の感性を持つ冒険者ならばまずはそう思うだろう。しかし彼は、彼女と一緒に入店していて、そして彼女は親し気に彼と話している。だから彼も冒険者なのだろう。今日は軽装、装備らしい装備はしていないのも、彼女に合わせて休息をとっているからだと判断できないこともない。
実際、その少年も冒険者である。
「いやあ。正直おいらにもよくわかんないんだよ、この場合」
そう言って、少年はぱたんと耳を倒した。
尻尾も不機嫌そうに揺れている。
「タータにはわかんないだろうけど。なんか、五千人から一気に別のことをしゃべられてる感じ。タータならどうする?」
「とりあえず四千九百九十九人排除して、残った一人とお話しするわ」
「に゛……タータらしいといえばらしいけど」
真似できないなあと苦笑しつつ、少年は机に突っ伏すような体勢を取る。からん、と、机の上に置かれたグラスの中で、氷がゆれて音を鳴らした。
紅色の髪の女、彼女の名前はアンスタータ・フーミロ。
猫人の男の子、彼の名前はフレイ・マルボナ。
彼らは幾度かの困難を乗り越えた二人組にして、大きな破局さえも乗り越えた歴戦の兵でさえあるのに、一切の知名度を持たないという異色の冒険者だ――その冒険譚の一端は、また別のお話として。
「まあいいや。タータ、怪我の具合はどう?」
「だいぶ良くなったわ。あなたが作ってくれた薬のおかげかしら」
「それは無いかな。おいらが作ったの痛み止めだし。タータの治癒力が高いんだよ」
「あら、そうなの?」
そうなの、と頷いて、しかしフレイは不安げにアンスタータを見上げた。
「でも、まだ傷は傷でしょ。舞台はやっぱり、やめておこうよ、タータ」
「お気遣いには感謝するけど、傷は傷、舞台は舞台よ。普段の舞台ならともかく、今回のそれは特別なの。この程度の怪我でキャンセルは出来ないわ」
「にー。タータって結構、頑固なところがあるよね」
「お互い様でしょう」
間髪入れない返答に、フレイはきょとんとして。
その後、けらけらと笑い出した。
今日は新年を祝う祭、新年祭。
彼女たちはこの日、英雄としてではなく、無名な冒険者としてでもなく。
一組の旅芸人として、この町で開かれるその祭典に訪れたのだった。
竜に恋した小娘と、娘に従う小猫の噺
番外 舞台を降りて、舞台に登りて
アンスタータとフレイの芸は、フレイのギターを演奏として踊るアンスタータと、それに合わせて歌を紡ぐフレイという構成で、たった二人でありながら、しかしこの二人の舞台を見た者たちは揃いもそろって、大規模な劇団の大舞台を見たかのような錯覚を受けるに違いない。
ダンスはその一挙一動に意味が込められ、その上ギターの音色や歌声が絡むことで、どんな場所のどんな舞台であろうと観客は違った風景を幻視するのだ。それはたとえば草原であったり、それは例えば山々であったり、それは例えば海原であったり、それは例えば大空であったり。
その気になれば彼女たちは、あらゆる表現をできてしまうのだろう。誰もがそう錯覚するほどの演技であり、その演技はたとえ彼女が怪我をしていたとししても一切色あせることなく、今日も今日とて大量のチップを獲得していた。その額は一般家庭が一年生活できるほどの金額なのだから、なんともはや。
「まあおいらたち、あの戯曲以外なんにもできないんだけどね……」
「いいのよ。同じ町では二度やらないんだし」
演技を終えて宿の部屋に戻り、どころかアンスタータとフレイはお風呂も済ませた後である。
あとは寝るだけ。そんな感じで、あっという間に新年祭のその日を、彼女たちは終えようとしていた。
それは去年と大差のない形であり、だからこそフレイは特に違和感もなく、そしてアンスタータも自然と受け入れていた。
「レイ、今日はもう寝ちゃっていいわよ。計算も終わったし」
「に。そうさせてもらおうかなあと思ったんだけど、そうもいかなくってさー」
「どうして?」
「もうすぐ、お客さんが来る」
お客さん。
フレイのそんな表現に皮肉が含まれていることをアンスタータは察すると、目を細めて荷物袋に手を伸ばす。
取り出したのは、もちろん『崇拝借剣』。
現状、アンスタータが保有する竜鱗装備は三種。
その中でも、特にアンスタータの代名詞とされるものである。
「タータはやる気だね。でも、いきなり切りかかっちゃだめだよ。あっちにも都合があるかもしれないし」
「わかってるわ。それで、お客さんってどこの誰かしら? まさかスカウフってことは無いでしょうね。今のあいつは王都から動けないはずよ」
「に。あの王子様じゃないよ。サヤでもないし、ィシヴェーでもない」
「じゃあ、誰?」
「たぶん、カンラル」
そんなフレイの言葉が早いか、それともその直前だったか。
部屋のドアがノックされ、アンスタータはすっと立ち上がろうとする。
が、そんな彼女を制止するようにフレイが先に動いていた。
「あれだけ踊っても大丈夫だったとはいえ、もしもの時は傷が開きかねないよ。だから今日はおとなしくしてて、タータ」
「……ええ、お願い」
マフラーに触れながら言うフレイに、アンスタータは少しだけ考えて、結局は頷いた。
それは去年だったらば絶対にありえない回答だったが……今は、やむを得ないならば仕方がないと考えている。
望ましい変化ではあった。
だが、さみしい変化でもあった。
子供の成長を願う親はこんな気持ちなのかな、などとアンスタータは考え始め。
「どちらさま?」
と、フレイが扉を開ける。
扉の向こうには、プレートメイルに身を包んだ男性が立っていた。
その男性は白髪交じりの短い髪、それ以上に、頬についた大きな傷と、その鎧につけられた紋様が独特で、知る人が見れば即座にその正体を看破するだろう。
すなわち。
「カンラルと申す。アンスタータ・フーミロ殿、フレイ・マルボナ殿。さるお方からの伝文をお持ちしたので、確認していただきたい」
カンラルと名乗った男は、封書を差し出しつつそういった。
それに対してフレイはあっさりと封書を受け取ると、男に背を向ける形でアンスタータに振り向いた。
口だけを動かして、入れる? と聞くと、アンスタータは視線を左右に振る。
「に。確かに受け取ったよ。じゃあね」
そして、そのまま扉を閉めた。
あまりにも自然に、極々普通に。
だからか、カンラルは異議を唱えることもできずに二人の視界から去ったのだが、扉の向こうでは呆然と立ち尽くしているのかもしれない。
フレイは受け取った封書をアンスタータに投げ渡し、そのまま扉の前に立ったままである――無用とはわかっていても、念のための警戒をしているようだ。
それを感じ取り、アンスタータは封書を開ける。
今更確認するまでもない。
カンラルとはこの国が抱える英雄の一人であり、竜殺しを達成したうちの一人だ。
アンスタータやフレイのような『名声が無いタイプ』ならばともかく、名声のある類の英雄を飛脚替わりに使える者などそうそういないし、そもそも封書を封じている印は、どう見たって王国のものである。
であるならば、差出人は決まっている。
この国そのもの――国王か、王子か。
国王に対して、アンスタータはさほどコネクションを持っていない。だから、王子の方だろう。そう即座に看破し、そして事実、その文書の先頭には王国の王子、『スカウフ・ウォムス』の名が置かれていたのだった。
◇
「親愛なるアンスタータへ、ウォムス王国第一王子スカウフ・ウォムスより。
「やあアンスタータ、ご機嫌はいかがかな。この手紙を書いているのは年の瀬だが、君の手に届くころはちょうど年が明けたその日だろう……とサヤは言っていたよ。当たっていたら深刻だが、外れていたらご愛敬、笑って流してやってほしい。
「前置きはそこそこにして、今封書を出した理由を説明させてもらおう。新年あけ次第正式に布告が出るのだが……つまり、場合によっては既に君も知っていることかもしれないが、僕はこのたびサヤと……つまり、王国の王子、スカウフ・ウォムスは、公国の大公、アサイアール・ジ・モールと婚姻することが決まった。これは決定事項だ。
「その先に僕たちが見ているものについてはおおむね理解してもらえると思うが、もしアンスタータ、君がわからないならばフレイくん、彼に聞くと良いだろう。彼ならばこの状況をあっさりと看破して見せるだろうからね。そのくらいの信用はしているという事だ。
「そして、僕たちが見ているものにはいくつか、まだパーツが足りていない。今回の政略結婚は少々、どころか、かなり強引なものになる。反発も多いだろう。そしてその反発は十中八九、軍事的なものとなるだろう。
「サヤの読みでは一連の反乱の鎮圧に数年単位で当たる必要があるそうだ。僕としては外れてほしいものだが、残念だが現状ではその可能性が濃厚だと、正直に言えば僕も考えている。それでも強行したのは、二つの理由があるからだ。
「まず一つ目、こちらのほうが犠牲は少なくなる。僕としてはあまり興味のない視点だが、サヤはそれにこだわっていてね。つまり『将来産まれてくる子供たちの犠牲を減らそう』というのが彼女の考えだ。このまま王国と公国が分かたれていれば、三代先になる頃には、また大きな戦争が起きるだろう。その血の代償はその時代の者たちが、つまり僕たちにとっての子供にあたるような者たちが支払うことになる。サヤはそれが我慢ならないと言っていた。
「そして二つ目、この反乱には早期鎮圧の可能性がある、という点だ。
「僕もサヤも、起きるであろう反乱をあらかじめ封じることは、残念だが不可能だ。それでもその被害を最小化する方法が全く思いついていないわけではない。そしてその方法をとるためにはどうしても、アンスタータ、君の助力が必要なのだ。この封書を出した理由は、つまるところそこになる。
「アンスタータ・フーミロ。親愛なる友よ。君の助力を僕とサヤは求めている。
「具体的な方法としては、単純。王国と公国の軍を先行して統一し、新規の第三軍として置くだけだ。王国や広告で起きる反乱は、その全てをこの第三軍で片づける。だが、我々のような政をする側としては、軍にあまり強大な権力を与えるわけにもいかない。第三軍がすべての反乱を鎮圧すれば、その功績の大きさはいうまでもないし、それに対する恩賞は、政治的な権力も含まねばならなくなるだろう。
「だからこの手は取れない、それが僕の結論だった。
「だが、サヤと相談している間に僕とサヤがほぼ同時に思い至ったのだが、抜け道があるのだ。
「第三軍がすべての反乱を鎮圧すればその功績の大きさは言うまでもない。至極当然だ。だが、第三軍の長がすべての反乱を鎮圧したらどうだろうか。そしてその長が政治的権力を嫌い、名声の類でさえも嫌うような、それでいて比肩する者のないような強大な者であれば、どうだろうか。
「率直に言おう。僕とサヤの要請はつまり、第三軍の長としてアンスタータ、君を迎え入れたいという提案だ。
「無論、無理な願いであることは承知している。君にはフレイが居る。君がフレイくんをどう思っているにせよ、フレイくんが君をどう思っているにせよ、君たちが旅を楽しみ、そして君が取り返した生涯を楽しみ、そんな君を真横で観察することをフレイくんが楽しもうとしていることは、わかっている。
「ゆえに、第三軍の長にアンスタータ、君を迎えたうえで、フレイくんにも当然席を与える。その席は君の横にいられるような立場にする。君が軍を率いるのだから、その横に彼が居ることはおかしいことではない。君たちは二人そろって『ナヴェンローゼ=フィンディエ』、『名無しの竜殺し』なのだからね。
「ほかにも、可能な限り条件は飲もう。せっかく君が得た自由な人生を束縛するのだ、あらゆる面で支援しよう。もし君がこの提案を嫌ったならば、無視をしてくれて構わない。もしもここに居難いというならば、どこか遠くにゆくというならば、それを止めることはしない。援助が必要ならば言ってくれ、どのような無茶でもかなえよう。
「だがもしも、君がこの提案を受けてくれるならば、僕は、そしてサヤも、とても助かる。サヤの言いようではないが、『将来産まれてくる子供たち』の負担も減る。
「このような封書を読んでくれてありがとう。アンスタータ。親愛なる我が友よ。
「どうか君の将来において、少しでも多くの幸がありますように。
◇
封書を読み終えて、アンスタータはふと、ベッドに視線を向けた。
ベッドの上ではフレイが、既にやることは終わったからと言わんばかりに、人型のまま横になっている。
アンスタータは相応に彼と旅をしているし、ほとんどずっと一緒に寝泊まりもしているが、フレイは大概、眠るときは猫型になってしまうゆえに、実はあまり人型のフレイが眠っている姿には慣れていないのだった。
(……結局のところ)
(私があの子と離れることが出来ないと、あの二人は考えているのか)
スカウフの意図を理解し、そしてそこに明記こそされていなかったが、その書簡を出すことを勧めたのはアサイアールであろうことを見抜いた上で、アンスタータは考える。
それは確かに、事実の一端ではある。
アンスタータ・フーミロ。
彼女はフレイ・マルボナを生き甲斐としていた。
猫人を災厄にしないために抑圧する、代替品という言霊を、彼女は愛する母親から、そして恋する竜種から、二重に重ねられていた。
例え既にフレイが災厄にならないことが確実だとしても、アンスタータには他の生き方がわからない。
時間を掛けてゆっくりと、いつか見つかればそれでいいと……彼女はそう考えて、結局あの大きな災厄を乗り越えても尚、彼と行動しているのだから。
だから確かに。
アンスタータは、フレイから離れることはできないのだ。
少なくとも……離れる理由が見当たらないから。
(だからこそ、スカウフはフレイにも席を用意して)
(サヤもそれを妥協した……といったところかしらね)
アサイアール・ジ・モールという人物の人となりをある程度知っているアンスタータは、さらにそう考える。
アサイアールはあいまいな立場を作りたくはないだろう。彼女が現役である間ならばともかく、彼女が考える『将来産まれてくる子供たち』の事を考えれば、そういう例外としての前例は作りたくないはずだ。『毒』になりかねない。
それでも彼女はその毒を甘んじて受け入れようとしている。それほどまでに反乱は大規模になると見込んでいて、だからこそ、アンスタータをどうにか第三軍の長として引っ張り上げたいという意思が表れだ。
過大評価されているな、とアンスタータは思う。
確かに単独での戦闘能力において、自分を越えるものは居ないだろう。そのくらいの自負はある。
だが集団戦になれば話は違う。少なくともアンスタータでは誰かを率いるような芸当は出来ないし、かといって個人としての強さを誰かに伝えることもできない。
いや、ある程度の強さならば伝えることはできるだろう。だがアンスタータが『名無しの竜殺し』たりうる戦闘力を誇る理由、その神髄は、『廃棄教鞭』という特殊極まる武器を最大限に操れる――『鞭』という、本来殺傷には向かない武器ならぬものを武器として扱いこなす技術にある。
『崇拝借剣』など、比較的普通な武器としての短剣も全く扱えないわけではないが、しかしそれではせいぜい超一流程度だ。その程度の使い手ならば、国に何人だっているだろう。何もアンスタータでなければできない事ではない。
そもそも今彼女が負っている傷の原因となった事故こそ、慣れない武器を扱おうとした結果である。センスが無いわけではないのだろうが、今から磨くのでは本末転倒だ。
とはいえ。
『名無しの竜殺し』という称号、名前が持つ力は確かだ。
名声を徹底して嫌った。
報酬を徹底して排した。
彼女がフレイと共に積み上げてきたその実績は一般には伏せられていても、一定の地位につくような者であれば否応もなく知り及ぶものである。
だからそんな彼女が第三軍の長になり、功績を重ねても、一切の名声を、一切の報酬を受け取らないことに違和感はないだろうし、長が受け取らないのだから組織が受け取るわけにもいかない。
もちろん、末端は不満を持つだろう。だからこそその不満が噴出し、爆発し、長に対して反旗を翻したとき、その全てを鎮圧できるほどの力が長には要求される。
そしてアンスタータの神髄、『鞭』というものを武器にしている彼女は、一対多の本来は不利でしかないはずの状況を有利に反転させていた。
具体的には、一つの軍隊『程度』であれば制圧できるくらいに。
(だからこその、『だめでもともと』の打診……)
(断られることがわかっていても、提案しないわけにはいかない。か)
スカウフとサヤの考えをなんとか追いかけ、アンスタータは嘆息した。
新年早々、なかなか難しい選択を迫られてしまったなあ、と。
が、しかし。
◇
「ねえ、タータ」
「……レイ。起きてたの?」
「に。三分くらい寝てたよ」
くああ、と大きな欠伸を挟んで、フレイはつづけた。
「タータは、スカウフとサヤを手伝いたい?」
「…………」
そしてそんな、まっすぐな質問にアンスタータは答えられない。
できるならば友人として……そう、友人としてであれば、多少手を貸してあげたいと思っているのは事実だった。
だが提示された条件では、完全ではない。
もう少し条件が整うまで保留するというのも、ありではないか。アンスタータはそう思ってしまう。
「ふうん。そんな状況か……。にー」
「……精霊から聞いたの?」
「うん。ま、タータがどう考えてるのかまでは精霊の管轄外だから、わかんないけどね。ただ現実としてどういう要請が来たとか、そういうのはわかるよ。わかるついでに言えばカンラルは、手持無沙汰になって困ったみたいで、とりあえず酒場で飲もうとしたら冒険者たちに囲まれて、いろいろと困ってるみたい」
「それはどうでもいいわ」
あまり接点のない英雄には厳しいアンスタータである。
もっとも、そんな英雄を眼中にいれていないフレイはより辛辣なのだが。
「タータが悩んでるのは、結局、毒の部分でしょ。おいらを特例でタータの横に置くとなれば、それが悪しき前例になってしまう。……それが、ちょっと気持ち悪いってところ」
「……そうね」
「それなら、簡単な解決法があるよ?」
「え?」
まさか思いついていなかったの、とフレイはけらけらと笑った。
笑ってはいたが。
なんとなく、その笑みがいつもとは違うような気もして。
「簡単だよ。おいらとの旅をやめればいいんだ」
「…………、そりゃあ、この話を受けるとなれば、旅はもうできないでしょうけど」
「そうじゃないよ。おいらが言ってる旅は、あっちにいったり、こっちにいったりする方の旅じゃない」
「…………」
その言葉だけで、アンスタータは理解する。
理解はするが、やはり答えることはできなかった。
フレイとの旅をやめる。
フレイと連れ合うことをやめる。
つまり――フレイと別れる。
「おいらはタータのことが好きだよ。だからずっと旅をつづけたいって思う。でも……おいらのためだけに、タータは生きてるわけじゃないんだ。タータは、タータ。好きに生きたほうが、絶対に楽しいよ」
「好きに生きる、か。……私、結構あなたと生きるの、好きなのよ?」
「に」
嬉しいなあ、とフレイは笑みを浮かべた。
満足そうな笑みを。
いつもの、人を食ったような笑みではなく――猫のような笑みではなく、ただのヒトの子供のような笑みを。
「おいらはね。タータに幸せになってほしい。タータには少しでも楽しく、少しでも長く、その一生を生き続けてほしい。とても身勝手な願いだけどね」
「まるで告白ね」
「そう聞こえるかな?」
「ええ。私がまっとうに生きていれば、きっとときめきもしたでしょう。あなたの見た目がたとえ、子供でもね」
「に゛」
しまった、と表情を歪めるフレイを見て、アンスタータは自然と笑みを漏らした。
幸せとは何か。
そんなことを一瞬考えようとして、すぐにアンスタータはあきらめる。
そもそも、アンスタータのこれまでの一生は、少なからず言霊に支配された一生だった。
母親から彼女の代替品としての役割を求められた。
竜種から最悪の抑圧としての役割を求められた。
災厄が現れることはなく、猫人であり続けることが確定している今、もはや『アンスタータ・フーミロ』の役目は無い。
そして、彼女は言霊に支配された一生だったからこそ――自由に生きているように見えて、確かに恋に関しては自由に、ある程度自身の利益を人知れず追及していたけれど――、それ以外の部分で、言霊という縛りを失い、どのように生きるのが良いのかを見失っていたのも事実だったし、何より。
スカウフとアサイアールの提案は、その失ってしまったはずの言霊を埋めうるものだった。
すなわち、第三軍を抑圧する、権力者の代替品。
「ねえ、レイ。お願いがあるの」
◇
夜はさらに更けて――真夜中。
アンスタータが眠りについたのち、もぞり、とフレイは猫型になり、寝床を抜け出した。
音もたてずに窓に飛び移り、そして窓から屋根へと、駆け上がる。
それは彼の正体、王虎竜としては当然のことで――海を走り空を駆けるその足にとって、足場にならないものなどないのだ。
屋根の上にたどり着き、フレイは空を眺めた。
きれいな星空。月明りにかき消される星もあるのだろうけれど、フレイにとってはどうでもよかった。
遠い遠い、空の向こうの話より。
今の彼には、少し休む時間が必要だった。
(あーあ)
(わかってはいたけど……はは)
空を眺めて、フレイはただ、それだけで。
ゆっくり、ゆっくりと、尻尾を右へ、左へと。
(でも、タータらしいかあ……)
(タータにはタータらしくいてほしいし……タータには幸せになってほしい)
心の底からの願い事。
それは呪いや呪いといった竜種魔法とは違った、もっと素直でもっと愚直な願い事。
(どうか)
(どうかおいらの好きな人が、一つでも多くの幸に恵まれますように……)
新年祭。
それは区切りとしては二番目か、そうでなくとも三番目には向いている。
新たな冒険者が増える時期であり――冒険者が、冒険を終える時期でもあり。
(タータはおいらのために作られた舞台から降りて、この世の舞台に登るんだ)
(もともと……おいらが独り占めしていいようなヒトでも、なかったし)
冒険者でなくとも、何らかの新しいことを始めることを決意するにはうってつけの時期であり――それまで続けてきたことを終える時期でもあり。
始めることはいいことだ。
終えることだって悪くはない。
ただ終えるのではなく、新しいものに向かって立ち上がるならば、それはとてもいいことだろう。
(だけれど、やっぱり――)
(――悔しいなあ)
風に呟き、フレイは静かに目を伏せた。
それでも最後は顔を上げると、しっかりとした足取りで再び部屋へと戻ってゆく。
一つの終わりを悔やむのではなく、一つの始まりを貴ぶために。
◇
新年祭は旅立ちの祭。
そもそもの起源は、親から子が離れ、子から親が離れる最後の祭であったらしい。
だから彼らのその別れは、ある意味においてはとても正しく。
しかし別の意味においては、すれちがったものだった。
たとえ伝説や伝承として語られるような、英雄や神代の何某であっても、終わりは等しく、訪れる。
それでも、互いの幸せを願って別れた彼女たちは、ついに後悔することはなかったという。
そんな別れの物語。
それは始まりの物語。
[EOF]