1.罪人の解放
終わってしまう。戦いが終わってしまう。
せめてその命が尽きてしまう前に、わたしは必死にカタナへと近づいた。
カタナはまさに勇敢そのものだった。
華麗に剣を振るい、その刃で白椿を捉えたその時、私にはなぜだか漆黒の狼の幻影が見えた気がした。
幻影が晴れるころ、剣は罪人の心臓を捉えていた。
黄金の果実が宿った心臓を一突きにしていた。
何度も、何度も押し込むたびに、カタナ自身もまた苦しそうにしていた。そうして、罪人は大切な毛皮を抱えたまま倒れてしまったのだ。
カタナと一緒に。
「……カタナ」
なんとか間に合った。
まだ暖かい。
けれど、非常に頼りない。
剣は白椿の胸に刺さったまま。呆然とした様子の紅がそのぬくもりを確かめている。剣に触ろうとしたが、躊躇っているようだ。
何が起こったのか。これから何が待っているのか。そんな現実が、まだあまり正確に把握できなかった。
「カタナ、聞こえる?」
返事はない。
ただ息遣いが荒い。昏睡している。ぬくもりはまだある。心臓もまだ動いている。目は薄っすらと開いている。
けれど、助かる道はない。
その事実が重たくのしかかった。
分かっていた。理解していた。納得はしていなかったけれど、覚悟はしていた。……していたはずだった。
共に果実を守ろうと決めたときは、茜と共に聖域の外で暮らそうと決めたあの日のように嬉しかった。
これからはこの人たちに力を貸して、生きていきたいと本気で思っていた。
ああ、そうだ。
わたしはいつの間にか勇敢の剣のことも好きになっていた。
聖域なんていらないと言っていたことがうそのよう。
サヤ様にあっさり魅入られ、そのサヤ様を守るために不死の力を駆使するカタナにある種の憧れを抱いていたのかもしれない。
役目を放棄して私と共に逃げるカタナはきっと誰もががっかりする勇敢の剣となっただろう。そして誰よりもカタナ自身がそうなることを許せなかっただろう。
聖域の外で生まれ育ったわたしには分からない。
聖樹信仰を前提に生きているカタナにとって、そして、二人といない勇敢の剣というものに生まれてしまったこの聖女にとって、この結末は自らも望んだものだったのかもしれない。
――でも。
死にゆく聖女を抱きながら、わたしは心の中で嘆いた。
――あまりにも残酷だ。
わたしはまたしても大切な友を失ってしまう。
「鴉……泣いて……いるのか」
微かな声が聞こえ、わたしはすぐさま耳を澄ました。
カタナ。まだしゃべれるのだ。その手を握り、名を呼ぼうとしたが、嗚咽が漏れてうまく言葉にできなかった。
「君が……見守ってくれて……よかった」
手が握り返される。非常に弱い力だった。
「サヤが……」
声が弱まっていく。
「サヤが……呼んで――」
そのまま時が止まってしまった。
――カタナ。
頭の中が真っ白になった。
握られた手が次第に固くなっていく。命は急速に枯れていく。あまりにも不自然に思えた。あんなに壊されても不死でいられた彼女が、今度こそ目を覚まさなくなってしまうなんて。
信じることがどうしてもできなかった。
――起きて、カタナ。
無駄だと分かっても、そう願ってしまった。
嘘だと言ってほしい。分かってはいたのに、やっぱり現実を受け入れることがつらかった。悲しかった。
一人だ。一人残された。
茜が死んだ時もそうだった。一人きりで残されて、その死を嘆いた。死の悲しみなんて比べることはできない。それでも、カタナの死は、あまり受け入れたくないこの死は、あの時と同じくらいの絶望だった。
皆、死んでしまった。
茜も、明松も、白椿も、サヤ様も、カタナも、みんな死んでしまった。
どうして。どうしてなの、神様。
聖域をもたらした神は万能な御方だと言っていたじゃないか。
聖典にはそう書かれていた。それなのに、どうして。どうしてみんな、死ななくてはならなかったのだろう。
聖域なんて無意味だと師匠は信じた。
わたしもそう思う。
こんな戦い残酷すぎるじゃないか。
これまで必死に戦ってきたカタナだけが全てを背負って死んで、勇敢の民はこれまで通り暮らしていくなんて残酷すぎる。
――それでも。
まだぬくもりの残る手を胸元にどうにか置いて、わたしは周囲を眺めた。
傍らには真っ白な狼の骸がある。衣服や持ち物がその傍に散乱している。その中でひときわ目立つものが、違法に作られたらしい黄金の毛皮。寄り添うように金と銀の狼は並ぶ。それはまるで、この国で大昔より信仰されてきた大神伝説の夫婦のようだった。
戦いが終わってしまった。
勇敢の剣も、大神の子孫も、多くの人が望む通りに死んでしまった。
これでよかったのだと民の信じる結果がもたらされたのだ。けれど、わたしの目から流れるのは涙ばかりだった。
罪人は解放された。悪魔の手の中でもがき苦しむ者はいなくなった。
カタナは立派にその役目を果たしたのだ。
今はただ、この死を悼みたい。




