3.罪人の解放
毛皮。すべては毛皮が知っている。
サヤが預かり、直接渡したいと申し出た毛皮はすっかり汚れてしまっている。黄金の毛皮。白椿が丹と呼んだ人狼の男の形見。
様々な行き違いがこの状況を生んだのだ。
怪しげな行商人から没収した毛皮だ。不当な方法で作られたものだとすぐに分かる。それに縋り、嘆き悲しみ、紅に魅入られた白椿がどんな悲劇を抱えているかなんて少しは想像できることだろう。
この人は利用されただけなのだ。
白い手を掴みあげながら、私は自分に言い聞かせた。
この姿がサヤを食い殺したのは覚えている。忘れたくても忘れられぬように記憶に残されてしまった。
楽しそうに殺した。嬉しそうに食い荒らした。思い出すだけで怒りはわいてくる。この美しささえも歪んで見える。
しかし、怒りに惑わされてはいけない。
怒りのままに歩んだのは過去の話。
サヤと出会うまでの不幸だったころの私だけだ。
今はもう何も知らないわけではない。誰が黒幕であり、誰を憎むべきなのか、私は間違ったりしない。
「紅」
取り押さえようとすれば、それに反発する強い力を感じた。
本物の人狼にしては弱いものだが、それでも魔族は魔族。たとえ紅が操っているのだとしても、侮っていいような存在ではない。
それでも、私の方が有利になりそうだった。
答えは「剣」が握っている。
「その剣を手放しなさい、カタナ」
紅の声が聞こえてくる。
白椿に取り憑きながら、強い言葉で私に命じてきた。
「お前は私の翼。私の娘のようなもの。歯向かうなんて許さないわ。あなたの主人は私。神でも、聖樹でも、果実でもない。お前は本来、天使の所有物なのよ」
「黙れ、紅。お前の話なんて聞きたくない。白椿、聞こえているなら返事をしろ」
虚勢を張っているだけだ。
はっきりと存在する悪魔が恐ろしくて仕方なかった。
白椿の意識はどこにあるのだろう。紅はこの体の中にいる。サヤの心はどうなっているだろう。白椿の体を乗っ取った理由は、果実を操るためだろう。そう思うとますます憎らしく、恐ろしかった。
「白椿!」
返事のない勇敢の民の名を呼び続ければ、その手がぴくりと反応した。
目はこちらを向いている。だが、その色は赤い。まだ紅に支配されているのだろう。それでも、白椿の意識はたしかにそこにあった。
「殺してくれ」
泣き出しそうな声で彼女は言った。
「私の中に囚われた果実の巫女は恐れていない。お前たちにすまないことをした。どうか殺してくれ。一緒に死んでくれ。醜い私を地獄に落としてくれ」
毛皮を抱きしめながら、白椿はそう言った。
「馬鹿なことを言わないで!」
紅が焦り始める。声だけが聞こえてきた。
「しっかりなさい。怯えては駄目!」
だが、白椿はその声にこたえなかった。答える代わりに恋人の名をつぶやき、黄金の輝きの褪せた毛皮に縋っている。もはや抗うことはないようだ。紅も彼女を操ることが出来ずにいる。
時は来た。
いよいよ覚悟しなければならない時がきてしまった。
神よ、天使よ、聖樹よ、私はお前たちにはたくさん文句を言ってやりたい。どうしてこんな運命を授けたのかと。どうして白椿はこうなってしまった。どうして明松はああなってしまった。この二人に――いや、それだけじゃない、紅に囚われた者たちの犠牲となった民は、なぜ、災厄から守られなかったのか。
勇敢の国、我が国。
やっぱり、私は勇敢という言葉が嫌いだ。勇敢であれと天使は民に告げた。なんて残酷なことだろう。私は臆病者だったのかもしれない。だが、臆病者でもいい。勇敢の天使よ、死を恐れるなと私に言うのか。ああ、恐れずに成し遂げてやろうじゃないか。
勇敢なんて嫌いだ。
大嫌いだ。
「その目で見ていてくれ、鴉」
背後で息をひそめる鴉に、私は言った。
「時代が終わる時が来た」
片手に「剣」をもってそばによっても、白椿は逃げもしなかった。
「頼む。一思いに」
「苦しませはしない」
「やめなさい! やめなさい、カタナ!」
紅が邪魔をしようと白椿の影から出てきたが、悪魔の手が伸びるより先に、白椿自らが私の「剣」へと飛び込んできた。
もう誰にも止められない。
いや、止めさせたりしない。
これが私の生まれてきた理由。サヤを守れなかった私にとって、唯一救われる方法なのだ。
そして私は、果実を奪われた勇敢の剣としての役目を果たした。




