6.侵入者
恐らく未成年だろう。
我が勇敢の国では成人は男女ともに二十歳と決まっている。働けるのは十五、六からだが、二十歳までは子供として守られ続ける。二十歳での成人を遅いという他国もあれば、早いという他国もある。また、性別で違う国もあるが、此処は勇敢の国。その大地を踏みしめている以上、この国の決まりに従うもの。
――夕暮のような目をした子だ。
睨みつけてくる自称魔女の少女を見つめながら、私は思った。
不可思議な色の目は他国の民の血でも引いているのかもしれない。勇敢の国に多いのは私やサヤのように鳶色の髪と目。その濃淡こそあれ、目の前で意気込む侵入者の少女のような目は、他国から流れてきた者や、その血を継いでいるものだった。
親は都にいるのだろうか。
そんな事を想いながら見つめていると、少女は怒鳴りだした。
「来るなら来なさいよ!」
相当、焦っているようだ。見つかるなんて思わなかったのだろうか。
溜め息が漏れだした。
「君が何者かは知らないけれど、此処は神殿だ。あの外壁を越えただけでも罪人となる。それを分かって此処に居るのかな?」
「甘く見ないで! そんな事、分かりきっているわ。邪魔をするなら、あなたなんて魔術の餌食にしてやるのだから!」
「へえ、そりゃ怖いな。ならばますます見逃せないね。狙いは何だ? 果実か?」
「そんなの当り前じゃない!」
少女が叫ぶと同時に、私のすぐ横を冷たい風が通り過ぎていった。
風の魔術だ。鎌鼬のように相手を切り刻むものだろう。その挙動は純血の人間ならば大きくなるものだが、少女は少ない動作でやってのけた。魔物の血を引いていないのならば、相当な才能の持ち主なのだろう。
――なるほど、本当に見逃せない子のようだ。
だが、相手が未熟な子供であるのなら、正しい道に引っ張っていくのが大人の役目でもあるだろう。幸い、私はこの恐ろしい魔術で殺される事はない。
「その想いは今も変わらないのか?」
試しに聞いてみたが、少女の表情は頑ななものだった。
「当り前よ! 此処までそれだけの為に来たのだもの!」
仕方がない。
あまり長話をしている場合でもないのだ。
――可哀そうだが、分からせてやるしかない。
「そうか。じゃあ、変わってもらうしかないね」
そう言って、いつものように「剣」を呼びだすと、少女の顔色が一気に変わった。相手はただの無知な少女ではないらしい。
「剣……あなたが、勇敢の剣?」
黙っていると、少女は青ざめた顔でさっきまで居た東塔の露台を眺めた。
「じゃあ、やっぱり……やっぱりあの子が果実なの……?」
「サヤに魅了されたのか。それでも果実は諦めない、と?」
訊ねてみれば、少女は明らかに動揺を見せた。
「サヤ……」
その名を呟き、少女は固まってしまった。それは正しい反応だった。
黄金の果実として生まれた巫女は、不思議な魅了の力を持っている。初めてこの神殿を訪れた者も、此処で働く事となった者も、サヤの姿を目にすれば時に涙を流してしまうほど心惹かれてしまう。私もそうだった。だがそれは、勇敢の剣であるからだと思っていたが、そうではなく、天使の祝福を受けた人間の血を引くならばどの国の者も、どの国の果実にも同じ反応を示すらしい。
他国の旅人であっても、サヤを見れば感動する。
その力のお陰で、侵入者がサヤの元に辿り着いたとしても、危険は防げる可能性もある。ただ、絶対ではない。絶対であったならば、先代や先々代までの剣や果実がここまで早死にする事はなかっただろうし、古代の五カ国が滅ぶなんて事もなかっただろう。
さて、この少女は――。
「それでも……それでも……」
震えながら涙を流しているのは、サヤの魅了と此処まで来てしまった信念がぶつかり合っているからだろう。
どちらが勝つのか、段々と予想もついた。
剣を構え、じっと待つ。
「それでもわたしは、行くしかないの!」
――やっぱりそうか。
此処までして果実を求めるのはどうしてだろう。果実が奪われれば勇敢の国は大混乱に陥る。多くの人の生活を脅かしてまで果実を欲するのは何故だろう。
サヤには多大な魔力が秘められている。
この少女は魔女と名乗った通りの存在。神殿に仕える魔術師の中でも相当高い位にまで上り詰められる才能ある魔女だろう。そんな魔女が果実であるサヤを欲してまでしたいこととは何だろう。
手当たり次第に襲いかかって来る鎌鼬を全て避け、私は少女に訊ねた。
「果実を奪うと言う事がどういうことか分かっているのか? それでもサヤの命を奪うつもりなら、私は君の命を奪わなくてはならない」
「来ないで!」
鋭くて冷たい風が私の頬を掠めていった。
「……話にならないな」
微かに感じる痛みと血の流れを拭いながら、私は少女を睨みつけた。
「どうしても諦めきれないのなら、私を殺してみろ。番犬達が追いつくまでに戦いに勝てば、君の自由だ。好きにするがいい」
「自由……」
その言葉に少女の目の色が変わった。
「あなたを殺せば、わたしを止められる者なんていない。そう言いたいのね」
通常の魔力の才など殆どない私であっても、強い魔力を感じる。力を溜め、丈夫な魔物ですら追い詰めるような強力な魔術を駆使するのだろう。
しかし、どうやらこの少女は知らないようだ。
いや、信じていないのだろう。あの真っ白な女人狼と同じ。勇敢の剣という者の不死をその目で見なければ、神話の正しさなんて分からない。
かつての私だってそうだった。
この目でサヤを見なければ、そして、実際に自分が傷ついてみなければ、天使の祝福なんて信用出来なかった。
「来るがいい、魔女!」
煽れば面白いほどに少女は生真面目に向かってきた。
放たれるのは無数の鎌鼬。風を操る魔術を得意とするのだろう。しかし、それだけではないようだ。鎌鼬に私を襲わせ、更に力を溜めるような素振りを見せた。
――隙だらけだ。
此方へと襲いかかって来る無数の鎌鼬に自ら突っ込む形で攻め込めば、少女は顔色を変えて呆気にとられた。
「何しているの! だ、駄目よ!」
鎌鼬によって身体は削れていく。痛みは強いが、それだけだ。今更、身体を損傷する痛みにいちいち怯えていては、解決しない。
血が飛び散る感触を覚えながらも、見える視界の限り少女へと迫り、剣をその喉元に突きつける時になって、ようやく少女は我に返った。
「そ……そんな……」
喉元に剣を突きつけながら、私は少女を睨みつけた。
「分かったか。私が居る限り、これ以上は無駄だ」
自分がどんな姿をしているかは分からないが、段々と傷が塞がっていくのは分かった。随分ぼろぼろにされたものだが、走る力と見る力は残ってくれていたから、まだ楽なものだった。少女の方はすっかり私に怯えていた。無理もない。普通なら死んでいるような傷を負った者が迫ってくれば、誰だって怖いはずだ。
それに、今だって喉元に剣を突きつけられているのだから尚更の事。
「本当に、不死なの? ……聖典の言う通りなの?」
「その目で見たことが信じられないのなら、まだ戦ってもいいぞ。サヤと同じ年頃の子供の命を奪うのは気が引けるが、この期に及んでまだ果実を狙うというのなら、才能あるこの血も勇敢の天使の元へと返さねばならなくなるだろう」
「果実を守る……黒き雌狼」
ぽつりと呟き、今度は怯えを消した憐れみのような眼差しを私に向けてきた。
「あなたは辛くないの? 神話の為だけに生きて、虚しくはないの? あなたは……あなたはそれで、幸せなの?」
――またか。
果実の為に生まれ、果実の為に死ねず、果実の為に滅ぶ。そんな私を哀れむ者は多い。だが、衣食住を約束され、それなりの地位に居る私を哀れむ暇があったら、都で今も震えているだろう孤児を救うべきだろう。それなのにどうして、女人狼といい、この少女といい、私を憐れんだ目で見つめるのだろう。
「勇敢の剣は黄金の果実を守るためだけに存在している。神がそう定めた意味が魔女の君に分かるだろうか? 私はサヤの傍に居るだけで幸せなんだ。この幸せを守るためならば、何度でも立ち上がる事が出来る」
「……ああ」
感嘆の声と共に少女は瞼を閉じた。力が抜け、溜めこまれていた魔力も何処かへと消えていく。戦意を失ったその姿は、魔女などではなくただの迷子の少女のようにしか見えないものだった。
「降参するわ。突き出すなり、殺すなり、好きにして……」
その言葉に他意は感じられない。もっとも、下手な真似をしたところで私に殺される事は分かりきっているだろう。
――もう十分だ。
剣から解放してやれば、少女は意外そうに私を見上げた。その顔に向かって私は言った。
「番犬部隊も他の番人もまだのようだ。今なら面倒な事もない。何処から来たのか知らないが、外壁を越えて、まずは都へと帰るがいい。夜目の効く人鳥部隊や蝙蝠部隊が空か見ているかもしれないが、私が見逃したとなれば深追いする者もいないだろう」
「どうして? わたしは罪人なのでしょう?」
「果実に手を出す前だから許す事が出来る。君もまた天使に愛された民の一人。誰の事も傷つけていない今なら、このまま見逃す事が出来るわけだ」
「でもわたし、あなたを傷つけたわ。あの魔術で三回ほどは死んでいたはず」
無垢な瞳で少女は私を見つめる。
その思わぬ言葉に一瞬だけ惚けてしまった。不死の私を哀れむなんて、何処までも純粋な少女だ。それだけまだ幼いということだろう。
「不死の私は例外だ。さあ、もたもたせずに行け。もっとも、厳罰を望むと言うのならその通りにしてやらない事もないけれど」
勇敢の国において罰は恐ろしいものだ。
もともと、赤い天使に授けられた勇敢とは、血の気の多いものなのだと聞いている。その為か、勇敢の民は血を流す事を好む。昔から争い事には積極的であり、倫理も秩序も薄かった昔は、勇敢の剣と黄金の果実を利用して他国を攻め落とそうとした歴史もある。
その時から既に滅んでいた近隣国のの魔境を通り越して、北西の豊穣の国と南西の英知の国を狙ったのだ。その為、その際に狙われた豊穣の国と英知の国では、狼が悪魔の一種として語られているそうだ。
さすがにそんな時代も過ぎ去ってしまったけれど、それでもまだ他国に比べれば罪人への罰には極刑とならずとも血の臭いの漂うものが幾つもある。
少女もそれは分かっていることだろう。
私を見つめたまま後退りしたと思えば、俯きながら言った。
「有難う……」
そして彼女の姿は風へと溶け、そのまま神殿の敷地外へと流れていってしまった。