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勇敢の剣  作者: ねこじゃ・じぇねこ
第5部 カタナ
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2.逃亡の果て

 痛みで気が狂いそうだった。

 最期の決着の後に訪れる死を覚悟したというのに、私にもたらされたのは、壮絶な痛みと骨を噛み砕かれる感覚ばかりだ。

 怪物に何処をどう抉られたのか分からない。何処へ逃げたのかも見えなかった。ただ確かだったのは、一方的に敗北したわけではないことと、守れた命があること。


「カタナ……しっかりして……」


 震えながらそういう鴉の声が、なぜだか遠く感じた。

 安心させるために手を伸ばそうとして気づいた。両手が壊されている。治癒に時間がかかっているのは、サヤを奪われているせいだろうか。

 ようやく分かった。

 空気の流れを感じることすら苦痛でいるわけは、それだけ体を壊されてしまったからなのだと。

 最期の一突きが決まればこんなことにはならなかったはずなのに、そうはならなかった。

 走り出すのが少しでも遅かったならば、鴉は食い殺されていた。無傷のまま救い出せれば一番よかっただろうけれど、命を奪われる前に取り返すことで精いっぱいだった。

 壊されるのは私だけでいい。

 どうせこの体は復活するのだから。


「鴉……」


 その名を呼びかけて、むせてしまった。

 声は出るようになったばかりなのだろうか。

 今の私がどんな姿をしているのかなんて、鴉の様子でしか想像できない。それによればどうやらあまりいい格好ではないようだ。

 情けない。一国の命運がかかっているというのに。

 私はどうしてこんなにも弱々しいのだろう。

 せっかくサヤのもとにたどり着けたと思ったのに、また離れ離れになってしまった。思い出せばぬくもりを感じる。乱暴な狼の接吻のなかに、ほのかに残る神秘的な巫女の香りだ。


 サヤ。もう二度と触れられないあの子の香りが白椿の中からしたのが忘れられない。気をしっかり保たなければ、戦いを放棄してしまいそうだ。

 視界に光が差し込んできて、私は気づいた。

 目か、頭か、やられていたらしい。目を奪われていたことにすら気づけないほど消耗が大きかったということか。

 ようやく冷静になれた。

 上体を起こせば鴉がほっとしたように私を見つめてきた。


「カタナ……ごめんなさい!」


 抱き着いてくるその体からも血の匂いがする。

 無傷で守ってやれなかった私に詫びる必要なんてどこにもないのに。


「わたしが……わたしがもっと強かったら、あなたの力になれるのに……足手まといになってしまって……」

「鴉」


 泣き出しそうな少女をそっと宥めながら、私は彼女に囁いた。


「歩けるのなら、夕空に戻ってもいい。私の役目の行方は神殿にて分かるはずだ。彼女を――紅からサヤと白椿を取り戻したとき、聖樹の根元に赤い卵が生まれるはずだから」

「いいえ、あなた一人に任せたままは嫌なの。わたしが紅を引き付けるわ。あなた一人であの二人の相手はつらいはず」

「その結果、君までも殺されれば私はどうすればいい。ああ、鴉。君に頼るんじゃなかった。私は情けない大人だ」

「違う。わたしはもう子供じゃない。聖域の外では大人なの。大人としてわたしは判断してついてきた。これはわたし自身の責任なのよ」


 なんて純粋なのだろう。

 かつての私もこういう時期があっただろうか。

 あまり思い出せない。

 半信半疑で神殿に引き取られてからも、私の心には常に暗い影が巣食っていた。都で経験した数々の理不尽が私の心を荒ませ、気づいた時にはすべての大人と恵まれたものを憎んでいたのだ。

 そんな私の心の膿を不可思議な力で取り払ったのがサヤ。

 私の頑張りのすべてはサヤに捧げる供物でもあった。

 それだけだ。私にはそれだけ。私はその為だけに存在してきた。それ以外の生き方なんて分からないままだった。


 鴉。この子は私のような枷などない。不幸に見舞われ、紅を憎み、サヤに魅了され、私に同情し、すべて自分の目と耳と肌で感じ取ったままに判断し、そしてその稀有な力を私に貸してくれている。

 純粋さが羨ましい。

 眩い眼差しを向けられる私のなんと醜いことだろう。

 私は白椿に同情しながら、サヤを奪われた怒りに苛まれている。常に心を意識的に落ち着かせていなければ、怒りに苛まれて暴走してしまいそうだ。

 憎むべきは紅。

 我が国の敵は、悪魔の力を有する紅という存在だけ。

 艶やかな容姿が確かに私にも見えた。ただの光としてしか分からなかった姿が、はっきりとした人――それもご丁寧に赤い翼までつけた天使のような姿の女として認知された。

 天使を騙る悪魔。


 明松は信じて滅んでしまったのだろう。鴉が見たという最期の様子は、きっとこの周囲に散らばる白椿の犠牲者たちの骸と同じくらいか、あるいは、それよりもずっと凄惨なものだっただろう。

 この人々が白椿にとってどんな人々であったのか。

 私には分からない。

 神殿で働いていた民のようにただ不運なだけだったのか、はたまた、彼らだけが襲われる理由を有していたのか。

 白椿は奇妙な化け物だ。あんなに神殿で残酷なことをしていながら、夕空と月下の境であるこの場所まで大した騒ぎも起こさないまま通り過ぎていったらしい。悪魔に魅入られた罪人の中には空腹のあまり人食いに転じる者もいると鴉は言っていた。白椿は間違いなく人食いだろう。この身に嫌というほど教えられた。彼女に流れる狼の血が――私と同じ始祖の血が暴走しているのか、はたまた、そう見えるように紅が操っているのか、分からない。

 だが、私には思えるのだ。

 白椿は殺戮を楽しんでいる。楽しみながら、苦しんでいる。嫌がっている。ここまでどのくらいの人間たちが彼女の犠牲になったかは分からない。どのくらいの恨みが彼女の身に沁み込んでいるのかも分からない。


 死後の裁きはどう傾くだろう。

 私が死んだあと、国の危機はどのように語り継がれていくのか。

 二百年ほど前、この国は罪を犯した。

 勇敢の剣を不当に扱い、他国に侵攻させた罪は今もなお語り継がれている。その当時、国王に罪を唆した王族の男は今も悪人として記憶されている。一方、実際に侵攻し、英知の槍に囚われた勇敢の剣については同情的に語られることが多い。だれが一番悪かったのか、民はいつだって敏感なものだ。

 しかし、あの大事件はただの人間の思惑のみの話だったのだろうか。

 国王を唆した悪人。彼は最初から悪人だったのだろうか。彼の絵画には時折、不思議な赤い影が描かれることがある。当時の画家が彼の狂気を血の色に例えて表現したからだと漠然と語られているが、本当だろうか。

 あの色は、何だったのか。

 二百年も前のことだ、はっきりとは分からない。

 だいたい、私は、先代の時代についてだってあまりよく知らないのだ。当時を知っているものはたくさんいるが、皆が語れる勇敢の剣や黄金の果実の話はわずかなものだ。

 彼女たちの最期について残されているのは僅かな記録だけ。

 悪魔。

 彼女たちには紅のことが見えていた。紅のことを知っていた。紅を悪魔と分かっていた。けれど、きっとその当時に掴んだだろう情報のほとんどは、語り継がれることもなく消えてしまっていた。

 鴉がいなければ、私は敵の正体も分からないまま、「極悪人」の白椿を退治して死んでいっただろう。狼と狼の対決は想像で語られ、真の敵が何だったかなんて知られることもなく、本当の危険に無防備なまま次の時代へと突入していただろう。


 そうだ。証人が必要なのだ。この戦いには、生き証人が必要だ。すべてが見える不思議な目でしっかりと記憶してもらって、神殿に伝えてくれるような貴重な存在が必要だ。

 私の最期を看取ってくれるような人が。


「鴉。じゃあ、約束してくれ」


 私は美しい両目に向かって言った。


「絶対に死ぬな。私の最期を絶対に、その口で神殿の者に伝えてくれ。紅にも白椿にも殺されず、せめて私の骨を拾ってほしい」


 困惑気味に鴉は私を見つめた。

 壊された身体がだんだんと復活してきた。あと少しで逃げた白椿を追うことが出来るだろう。

 最期の確認だ。


「分かった」


 鴉はしっかりと頷いてくれた。

 その言葉を聞いてから、私は「剣」を呼び出した。

 白椿との戦いで一度は塵となって消えてしまったその聖剣を、再び手に持って刀身を眺めた。

 この力を自覚したのはサヤに出会って以降のことだ。

 なぜ、力を使えたのかは分からない。まるで大昔に覚えていたことを思い出すように、自然と生み出すことが出来た。

 この「剣」はサヤのためのもの。

 サヤを安らかな死へと導くゆりかご。


 聖樹信仰に縛られる国ならばどこだって同じ。他国は「剣」ではないけれど、今、この瞬間もきっと、武器を頼って自分の果実を守るのに必死な聖女がいるはずなのだ。

 私だけではない。私だけがこの役目を持っているわけではない。

 仲間はほかにもいる。

 そう思えば少しは安心できた。

 武器をまじまじと見つめるのも最期になるだろう。私はこの「剣」の意味をしっかりと頭に刻み込んだ。

 忘れてはならない。

 私は役目を果たす。

 この破壊の剣で紅の思惑も、白椿の悲劇も、果実の余命も、そして私自身の不死の力も、すべてを滅ぼしてしまおう。


「行こう、鴉」


 もうすっかり、体はよくなっていた。

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