1.最期の願い
裁きの時は来た。
私に処せられるのは速やかな極刑。
厳罰の天使の名はカタナ。自分の命を懸けて、一生に一度の大仕事をしに此処まで追いかけてきたのだ。
だが、恐れることはない。
私は受け入れなくてはならない。
もう何もない。思い残すことなど何もない。月下の家族に危害が加えられることはないだろう。
私は怪物になり、怪物として一生を終えるのだ。
大神の子孫であり、勇敢の民であった白椿はどこにもいない。紅の手を握ったときに彼女は死んでしまったのだ。
私は彼女によく似た怪物。
「白椿」
カタナが今度は私に話しかけてきた。
「神殿の――いいや、聖樹の使いとしてお前を尋ねに来た。理由はわかるか?」
優し気な言葉が怖くもあり、頼もしくもあった。
震える私に目を合わせたまま、カタナが右手を伸ばしてくる。頬にそっと触れれば、その眼差しに悲痛なものが浮かんだ。
「今のお前は私がこの世でもっとも大切にしていた人の香りがする」
カタナは言った。
「本音を言えば殺したくない。お前の中にサヤがいるのなら、このまま神殿に連れ帰ってしまいたい。……でも、駄目なんだ。サヤが訴えている。楽にしてほしいと言っているんだ」
私にも聞こえる。
声としてではなく、感情として聞こえてくる。
巫女は嘆いている。苦しんでいる。自分の力が悪用されるのを恐れている。そして、その大きな力に翻弄される私までもを憐れんでいる。
ああ、私は、私はなんてことを。
「……殺してくれ」
私はカタナに訴えた。
「どうか殺してくれ。共に死んでくれるのなら、躊躇わずに殺してくれ。もうこりごりだ。この国中をこの場所のように血と肉の塊で覆いつくしてしまう前に、私を止めてくれ」
我慢していた涙が止まらぬように、言葉がさらさらと流れていった。
まるで砂のようだ。思い出とともにあらゆる感情が流れ出し、気づけば私は幼い子供のように目の前にいる年若い勇敢の剣に縋りついていた。
そんな私を拒みもせず、カタナは静かに向き合った。
「分かった」
その手に何処からともなく「剣」が生まれる。
人々の勇気を形にした聖なる剣。
私に救済の死をもたらしてくれる武器が。
「苦しませはしない。私とサヤが一緒だ」
厳かな最期が訪れようとしている。
カタナと共に来た少女――名は確か、鴉だった――が見守っている中で、断罪は行われようとしていた。
しかし、その半ばで儀式は妨害された。
「そうはさせない!」
急にしびれが走ったと思えば、私の体に触れていたカタナの手が激しく拒まれた。痛みを感じたのか反射的に離れたカタナを目で追おうとすれば、何者かに背後から強く引っ張られた。
苦しみのあまり狼の声で悲鳴をあげる私を、叱り飛ばす声がした。
「白椿! いうことを聞きなさい!」
紅だ。これまでにない恐ろしい形相で、私の心を縛り上げる。黄金の果実が彼女の声に激しく反応した。苦しさは広がり、無意識に安楽を求めてしまう。言葉に従えば苦しみから解放される。
これが悪魔のやり口なのか。
驚いた様子で鴉と、そしてカタナが紅を見つめていた。紅は私を抑え込んだまま、二人に赤い眼差しを向けて翼を広げた。
「よく来たわね。この復讐の舞台にようこそ。カタナ。あなたは私の声を聴くのは初めてかしら」
カタナの顔色が変わる。
浮かんでいるのは怒りか。いや、恐れかもしれない。
「せっかくお近づきになったのだから仲良くなりたいところだけれど、どうやら無理のようね」
紅は艶っぽくそう言うと、私の首を絞めた。
苦しみのあまり悲鳴をもらせば、カタナが慌てて近寄ろうとした。
「動かないで」
紅の強い言葉にその場が緊張に包まれる。
「サヤを苦しませたいの? 無駄に苦しませた挙句、最期に与えるのは死だなんて可哀想に。サヤは怯えているわ。あなたが聞いているサヤの言葉は、果たして本音のものかしら」
「黙れ、この悪魔」
剣を手にカタナが威嚇する。しかしその様子には怯えが見られた。
「お前が明松や白椿を唆したのか。この国の民を惑わして、悲劇を生んでいる悪魔。人としてのサヤを殺したのはお前だ。そして私を殺すのもお前」
「それは違うわ、勇敢の剣よ」
「天使の名を騙ることは許さない」
強い拒絶に紅はくすりと笑った。
「騙ってなんかいない。本当のことよ。私は赤い天使。勇敢の赤い天使。聖樹を生み、果実を生ませ、人々にあなたを与えた生みの親。神の名のもとに罪に加担してしまった者よ」
「やめろ」
怒りにまかせてカタナが紅を切ろうとしたとき、強い反発心がなぜか私の中で生まれた。
私の願いは何だっただろう。
最期の願いとは何だっただろう。
私は罪の意識に苛まれたはずだった。丹の愛したこの世界を壊したくないと、丹との思い出の詰まったこの国を壊したくないと思ったはずだった。
これ以上の罪を重ねる前に殺してくれと、カタナに願ったはずだった。
それなのに、どうしてだろう。
紅の手が触れた途端、私は燃えるような怒りに身を狂わせ、この姿をもはや大神とはいえない白銀の魔狼へと変えていた。
勇敢の剣が憎らしい。憎らしくて愛らしい。力で支配し、エルリクや神龍がそうしたように、物言わぬ我が宝へと変えてやりたい。
「白椿……!」
嘆きを露わにするカタナを前に、紅は嗤った。
「悔しければ戦いなさい。戦ってあなたの正しさを示しなさい。生贄として生まれたお前は、神は誤らぬと思うだろう。けれど、その信仰自身が誤りなのだ。これがその証拠。白椿、行きなさい!」
逆らえなかった。
神秘的で美しいこの赤い翼人に逆らうことができなかった。




