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勇敢の剣  作者: ねこじゃ・じぇねこ
第1部 カタナ
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5.誕生祭の夜

 花火自体は珍しくもなんともない。

 祭りの時には上がるものである。

 だが、今年は誰もが言っているように、我が国の花火師の作品だけではなく、愛情の国という他国の花火師との共作である大がかりな花火が上がるとして、神殿で働く者たちも心なしかわくわくしているようだった。


 愛情の国はここより西南へと果てしなく進んだ先にある。誰もが行ける場所ではない。信頼の国と同じく此処からは信じられないほど遠い。魔物の牙を掻い潜らなくてはならない上に、点々と存在する聖域のない他国は何処も荒れている。魔族の守護が無くては、或いは、魔物との付き合いを心得ている誰かの先導がなければ辿りつけない場所だろう。

 勇敢の国と違って、大陸の西側には天使の国が点在している。愛情の国を目指すのならば始めに辿り着くのは、信頼の国か、希望の国、英知の国であるだろう。そこでひと息ついてから、さらにまた聖域の外へと繰り出して魔物に怯えながらの命がけの旅を続けなくてはならないのだ。そうしてようやく美しい芸術の聖地に辿り着く。


 愛情の国も、希望の国も、そして夕暮が作りだされた信頼の国も、その他の近隣国も、何処も聖樹と聖域、果実と武器を持っている。それぞれ同じ時に色の違う天使が舞い降り、魔物に怯える各地の人々を救ったのだと言われている。

 だからこの誕生祭は聖樹を持つ国ならば何処もほぼ同時に行われる。そして、どの国でも、武器と果実は神殿の中でひっそりと過ごしているらしい。

 滅んだ五カ国を含めて十二。今では七つ。

 今日は他の国の果実達はどのように過ごしているだろう。

 そして、私のように天使の印を受けて不死の身体で果実を守っている武器達はどうしているのだろう。

その国の民たちがどんなに哀れんだとしても、同じように天使に持たされた武器なのなら、彼らも私と同じ。己の果実の傍にいられるだけで幸せな事だろう。


 特に今宵は癒された。

 花火があがる度に目を輝かせて見つめているサヤの姿を見られただけでも、戦いに身を投じている日々を少しだけ忘れられた。


「……綺麗」


 恍惚とした表情でサヤがそう呟いた時、一際美しく手の込んだ花火が上がり始めた。

 愛情の国との合作を打ち上げ始めたのだろう。

 祭りの会場は此処から少し遠い。そもそも神殿自体が都から外れた所にある。深い森に囲ませ、都の中心からは外れている理由は、聖樹を喧騒の中に置いてはならないと古の民が判断し、わざと都を聖樹から離してつくったからだ。

 何も勇敢の国に限った事ではなく、同じく天使が舞い降り、聖樹と果実、武器を与えられた他国でも同じであるらしい。


 ――勿論、その実際を見た事はないけれど。


 ともあれ、花火はよく見えたけれど、その臨場感は此処に居ては薄いものだ。神官長とその側近は今頃、祭りの会場の、とてもいい位置でこの花火を見ていることだろう。それも仕事の一つと言われれば、羨ましいと思えたのも子供の頃までだ。


 神官長は別に嫌な奴と言う訳ではない。

 常にサヤや私の事を気にかけてくれるもので、用があって遠征する事になると、私やサヤにささやかながら土産物をくれた。他にも留守を預かる側近や、周辺で働く者たち、自分が所有権を握っている夕暮にも自分の給料からわざわざ何かしらをあげているようだ。

 神官長と私たちのやり取りを見る神官などは、彼の事を不器用な父親のようだと例えていた。それがどのくらい的を射ているのか父を知らない私には分からないが、少なくともその思いやりは伝わってくるものだった。


 ふと、物思いにふけっていると夜風が聖樹の枝を揺らす音が聞こえた。

 中庭より天高く伸びながら枝を伸ばしている聖樹にも、はっきりとした意思があるのだといつかサヤが言っていた。卵より孵ったその時から、黄金の果実は聖樹と会話が出来るらしい。聖樹は生みの母として優しく果実を守るそうだ。

 今でもサヤは聖樹の傍で祈りを捧げながら、彼女と会話をしている。

 その光景は息を飲むほど美しいもので、神殿の内部に立ち入る事を許された絵描きなどは、いつの時代も聖樹と果実の会話風景を好んで描いたそうだ。

 幼子が優しい母と語り合っているかのような温かな光景。

 だが、その評価自体も、母を知らない私にはよく分からないものだった。


 ――聖樹。あなたは何を想っているのだろう。


 天使が舞い降りて以来、千年以上もの間、聖樹はこの場で動かずに勇敢の国を見守ってきた。今上がっている花火も、それを見ている人々も、何回も見てきたのだ。

 聖樹は知っている。

 勇ましい先代までの剣達の戦いを。そして、自ら生み落とし、愛してきただろう果実たちの残酷な死を、何度も見てきたのだ。


 ――私たちはどれだけ生き延びられるのだろう。


 来年も誕生祭の花火を見る事が出来るだろうか。

 美しく豪快な火花の輝きを見つめながら、私の心はやはり、ぼんやりとした不安から逃れられずにいた。どんなに癒されたところで、不安自体が消える事なんてないのだろう。


 花火はまだ続いている。

 一つ一つが次第に大きくなり、やがて、盛大な花火があがった。今までよりさらに大きく、美しく、単色で印を刻む。一つ目は金色の鎌。二つ目は銀色の鎚。そして次は銅の輪。次は緑色の杖。この時点で誰もが次にあがる花火に期待しただろう。そして上がったのは、赤色の剣。我が国の象徴が夜空に描かれると、神殿のあちこちで感嘆の声が聞こえてきた。


 ――皆、見ているようだな。


 続けて、白色の矢、橙色の針、青色の槍、そして紫色の斧の印が刻まれると、やや時をあけて桃色の鞭、水色の棒、灰色の鎖の印が刻まれ、最後に間を置いて更に大きな花火があがった。

 弾けて現れるのは、天使の姿。十二人の天使が一瞬だけ、闇夜に浮かび上がって消えた。

 その後、名残惜しくも音だけが響き渡り、徐々に辺りが静寂を取り戻していった。

 花火が終わった。この世界らしい終わり方じゃないか。


 印が刻まれた順は、この大地に天使が降り立った順だ。豊穣、達成、栄光、信頼、そしてわが国勇敢、希望、そして今回花火をもたらしてくれた愛情、英知、真理、そして夢幻、平穏、理想という順番で、それぞれの色の天使は降り立ち、聖域を作りあげた。

 天使の姿を見た事がある者なんていないはずだ。それでも、我が国勇敢を含めこの十二国では必ず聖樹が卵を産み、その卵の誕生と共に各国の何処かで印を持つ不死の子は産まれてきた。更に、聖域とされる境界の外で暴れる魔物達が、好んでいるはずの人肉を求めて侵攻しようとしない現実を見れば、誰しも天使を信じてしまうものだ。今では七国しか残っていないが、滅んだ五国のことを知れば知るほど人々の信仰はあつくなっていく。


 ところでこの聖域は、本当に魔物にとって毒であるらしい。

 かつてわが国で、親を亡くした魔物の子を此方に連れてくるという悲しい実験があった。結果、魔物の子は聖域に連れてくるなり衰弱し、一晩持たずに死んでしまったそうだ。病気などではなく、魔物の子の亡骸を解剖してみれば、その心臓には、勇敢の剣が持つような赤い天使の印が刻まれていたという話は有名だ。犠牲となった魔物の子は、追悼の意味も込め今は聖獣の一つとして祀られている。

 そして、この実験は、危険な魔物が絶対に国内に足を踏み入れられない証明として語り継がれている。天使を信じ、聖樹を守ろうという各国の人々の心を強めたのだ。この誕生祭であがる盛大な花火も、強い思いが込められているのだろう。


「……花火、終わっちゃった」


 サヤがぽつりと言った。

 切なげな、けれど、満足げな表情で今も夜空を見つめている。


「すごく綺麗だったね」


 この場に居るのは朱鷺と私と夕暮、そして念のためについている位の高い番人たちだ。その全てにサヤは言った。


「見せてくれて有難う。嬉しかった。愛情の国の花火師さんも、わたし達の国の花火師さんも、とても素晴らしい力を持っているのね」


 目を細めてそう言うサヤの姿は、とても愛らしい。

 夜風に当たりながら余韻に浸る彼女の背を、朱鷺がそっと触れる。


「そろそろ戻りましょう。花火の感想は御部屋で」

「ええ……」


 促されるままに戻ろうとするサヤを目で見送り、私もまたそれに続こうと思ったちょうどその時だった。

 風向きが変わり、鼻を貫くような匂いを微かに感じた。嗅いだ事のない他人の臭い。それはつまり、本来此処に居てはならないはずの者の臭気だ。


「カタナ様?」


 夕暮が真っ先に私の反応に気付いて窺ってきた。

 そんな彼女に視線を返す余裕もなく、私は花火を見つめていた東塔最上階の露台より、遥か下に広がる、神殿の敷地内の林を眺めた。

 許可なく外壁を越えただけでも罪となる。ならば、林よりこの場所を怪しげに見つめているその人物は、罪人に間違いない。


「番犬部隊は何をしているのだ」


 そう呟く私の背に、諌めるような声がかかる。


「カタナ」


 朱鷺の声だ。逆らえずに振り返ってみれば、彼女はサヤの両肩に手を置きつつ、私をきつく睨みつけていた。


「来なさい。あなたが気付いたのならとっくに番犬部隊も気付いているわ!」

「それは……どうだろう」


 沸き起こる殺気はどうにもならない。


「待ちなさい!」


 朱鷺の声も制止までは及ばない。


「カタナ、やめて!」


 サヤの悲鳴もまた同じだった。


 私は怖かったのだ。侵入者の匂いは風向きが変わらないと分からなかった。あんなに近いのに。人犬という獣人の血を引く者たちで構成される番犬部隊は確かに私より鼻がいい。けれど、その鼻の良さにも限界がある。せめて、私たちの傍に居た番人達が人犬であったなら良かったけれど、それはそれでこのように思い切ったことなど出来ないだろう。

 このままでは奴を見逃してしまうかもしれない。その恐怖は、露台より遥か下の地上へと飛び降りて行く事よりもずっと強いものだった。普通ならば死ぬ高さだが、私は死なない。気付けば私は既に大地の上にいて、辺りには血が飛び散っていた。

 辺りを見渡せば、林の向こうから確かに嗅ぎ慣れない匂いがした。


「見つけた」


 走り出すと、侵入者も林の中へと逃げだした。

 闇雲に逃げている為か、はたまた、まだ侵入を諦めないつもりなのか、どの門とも遠い場所へ逃げようとしていた。


「そっちじゃない、こっちだ!」


 侵入者の逃げる方向へ先回りする形で追いながら、私はどうにか出口へと誘導しようとした。もしも相手が素直に応じるのなら、このまま傷一つ負わさずに追い返す事が出来るだろう。勿論、その間に番犬やら番人やらが来たらそうはいかない。怪我の一つや二つでは済まされず、場合によっては命を落とす事となる。


 ――それにしても、何者だ……。


 追えば追うほど私はその侵入者の奇妙さに気付いた。

 異様に身体が小さく、細く見える。女性なのだろうか。だが、ここ最近何度も侵入しようとしていた人狼ではない。あの女人狼とは違う匂いがする。もっと若いような、子供のような、そんな匂いだ。

 侵入者は私の思惑を悟ると、抵抗するように別の方向へと逃げだした。

 出口の近くない場所。林から抜け、月がよく見える野原となっているその場所へ、侵入者は走って逃げていった。


 ――獣のようにすばしっこい奴。


 だが、獣人ではないだろう。そんな臭いはしなかった。

 野原へと逃げていったその侵入者の姿が、月の光に暴かれる。身を隠すものなんてない開けた場所より、追ってくる私の姿を怯えた様子で見つめていた。

 その姿を見て、私はますます困惑した。

 少女だ。それも、サヤと同じくらいの年の、か細い身体付きの少女。


「来るなら来なさい!」


 切羽詰まった様子で、彼女は言った。


「魔女の力を見せてやるわ!」


 不可思議な色の目をしているが、間違いなく、魔族の血を持たないような純血の人間。そんな匂いがした。

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