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勇敢の剣  作者: ねこじゃ・じぇねこ
第2部 鴉
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18.決戦の前触れ

 夕空ゆうぞらという町は月下まで間もなくという場所にある。

 わたしの魔力が尽きる度に勇敢の国の端々の町に嫌でも泊まることとなったが、それでも、いよいよこの夕空まで来ていた。さほど大きな町ではないが、村というには栄え過ぎている。

 身体を休めるのは、きっとカタナにとって焦燥感をかきたてられるだけのことだろう。それでも、わたしの疲れを感じると、カタナは冷静に宿を見つけてくれた。


 資金はカタナが持たされている。死に向かう聖女とその従者であることなど、きっと民は気付いていないだろう。

 御役人さんと人々はカタナに言った。

 装飾の神殿の印は見逃さない。

 それでも、彼らはことごとくカタナの表情に薄っすらと浮かぶ暗い死の影に気付いていないようだった。


 カタナの様子は落ち着いていた。

 絶望の日の直後のように泣く事はもうなかった。

 空虚さは増して、日に日に心まで死んでいっているようだったけれど、何も知らない民と会話する時は、不気味なほどに落ち着いていた。

 わたしとの会話は少数。

 その端々でどうにか労わってくれる彼女の姿を見る度に、わたしは何度も自分に訊ねた。本当にこれでいいのか。本当にこのまま進んでもいいのか。引き留めるのならば今ではないのか。このまま聖域の外に攫ってしまうことも出来るのではないのか。

 しかし、白椿を追って進む町の様子を見る度に、その悪魔の囁きに動揺する自分を今度は責めてしまった。なんて無責任なことを考えているのだろう、と。


 人々はすでに知っている。

 この国の果実の巫女が殺され、化け物がさまよっていることを。そして、その化け物を殺すために勇敢の剣が解き放たれていることを。

 だが、どの町の人々も遠い世界の話のようにその噂を囁き合っていた。誰も気付いていない。ここにいるのがその勇敢の剣だなんて夢にも思わないのだろう。

 何故なら、カタナは時折愛想笑いを浮かべて人々と話すから。


「サヤの気配が近い……」


 あてがわれた部屋の安っぽい寝台に横たわっていると、窓より夕空の町並みを眺めていたカタナがぽつりと呟いた。


「此処まで来れば、一人でも追えそうだ」

「カタナ」


 不安を煽られてその名を呼ぶと、カタナは素直に振り返り、笑みを浮かべた。


「心配しないで。置いて行ったりしない。君の助力は有難い。私一人ではこの国の抱えるあらゆる面倒事にいちいち足止めを食らっているだろうから」

「本当ね?」


 確認すると、カタナはしっかりと頷いた。

 溜め息がもれると同時に、身体の力が抜ける。

 身体が辛いのは、魔力を使い過ぎているせいなのだろうか。それとも、この左胸の重さが関与しているのだろうか。

 同じ印を与えられている人物は他にも複数いると聞く。

 紅は勇敢の民の傍に常に潜み、全てを見張っているのかもしれない。そんな彼女にとって、自分の計画の邪魔となるカタナとそばに寄り添って力を貸すわたしの存在はさぞ邪魔なことだろう。

 夕空までの道すがら、レラに身を隠しているにも関わらず、時折、わたし達の行く手を阻む魔族や魔術師、魔獣が現れたのも、ひょっとしたらこの国の滅亡を誰よりも願っているあの悪魔の仕業かもしれない。


「明日にはきっと追いつけるかもしれないね」


 今一度、窓より外を眺めながらカタナはそう言った。


「ここまで本当に世話になった。君がいなかったら、私はこんなにも早く追いつけなかった。サヤを長く悲しませてしまったことだろう。でも、きっと明日には全てが終わる」

「……いいの」


 心苦しいものを抱えながら、わたしは答えた。


「あなたの力になりたい。それだけ。大したことはしていないわ。これは罪滅ぼしでもあるの。わたしがサヤ様を狙って此処へ来なければ、紅が明松を都に連れてくることはなかったかもしれないもの」


 そうだとすれば、大きな罪だろう。果実を狙うと言うこと自体があってはならないことだったのだ。

 聖域は不要だと信じていたとしても、多くの人々の希望を蔑ろにすることはあってはならないものだ。そこに早く気付くべきだった。

 茜がどんなに恋しくても、その死を受け入れるべきだった。

 それが一人の魔女としても正しいはずの心構えなのだ。

 わたしがどんなに正しく出来たとしても、紅は白椿に接触していたかもしれない。けれど、すべては偶然の重なり。もしかしたら、運命と運命は交差して、今とは違った未来となっていたかもしれない。

 この結果を作りだしたのは、わたしにも責任があるのだ。


「自分を責めちゃ駄目だ」


 しかし、カタナは言った。


「過去をいくら悔いても、過ぎ去った時間は取り戻せない。これからどうするべきかを考えればいい。君は私と違って自由を約束された民だ。罪滅ぼしなどしなくても、神は許してくれるはず。君はまだまだ若い。この国の基準では子供なのだから」

「……あなた達を産み出した神様が許してくれたとしても、わたし自身が許せない」


 所詮、聖樹を生みだした神などわたしの故郷の人たちはあまり信じていない。信じていればわざわざ聖域を抜けだしたりしないだろう。そんな存在の許しなどほぼ無意味なものだ。わたしはわたしの我がままで、カタナに力を貸しているだけ。

 この国では確かに子供だろう。しかし、だからと言って甘えたくはなかった。


 カタナは窓の外を見つめたまま、黙した。

 その背中からは何を考えているのかなど分からない。

 沈黙のなか、わたしは迷いながら話しかけた。


「白椿の悪い噂は、結局なにも聞けなかったわね」

「……そうだね」

「それらしき人の姿は目撃されているのに、どうしてだろう。一度解放された食欲を抑えているのは何故なのかしら。あなたを恐れて隠れるため?」

「――復讐」


 唱えるようにカタナは呟く。


「君はそう言っていたね。白椿は復讐を望んでいたと。異国よりきた密猟者に復讐するために力が必要なのだと」

「……ええ」


 その時の事を少し思い出して、情けなくも震えてしまった。

 明松が死んだあの日の事は、今も悪夢として甦る。あの時に見た白椿の目の輝きをどう表現すればいいのだろう。聖域の外には人狼など可愛く思えるほど、残酷で強力な力を持つ魔物は沢山いるはずなのに、あの時の白椿の姿はそれらよりもずっと禍々しく強大な存在に思えたのだ。そのくらい、恨みが籠っている目だった。

 もしもわたしが彼女の恨む人物の縁者であったならば、あの場で八つ裂きにされていたに違いない。そんな想像が今も心に焼き付いて夢となり、汗だくのまま眠りの世界から追い出されてしまうのだ。


「鬼族への恨みが悲劇を産んだ」


 カタナは淡々と言葉を漏らす。


「その悲劇がサヤを奪った」


 肩が震えている。だが、その悲しみは怒りで覆い尽くされているのだろう。涙など零れてはいない。きっと彼女の目はどんな狼よりも猛々しく輝いているだろう。窓から外を眺めたまま、カタナは唸るように言った。


「奴のしたことを許す事は出来ない……だが、哀れだ。哀れだし、救ってやりたい気持ちはある。密猟は我が国の問題でもある。孤児と一緒。取り締まるには莫大な金がいる。意識の問題もある。この歪みは一筋縄ではいかないらしい。白椿が特別なわけじゃない。彼女は運が悪かったのだろう」

「……カタナ」

「白椿を止めたところで紅はいなくならない。それは分かっているけれど、白椿がこれ以上の悪になる前に解放してやれば、この国の人々は考える時間を与えられるはず。その為には証人が必要だ。私も、サヤも、白椿も死んでしまうから、紅より事実を守護する人物が必要だ。次の剣と果実のためにも」


 事実を守護する人物。その言葉がわたしの胸に強く響く。

 我が故郷コタンにあった三百年前の聖典は、この国にとって失われた遺産でもあった。二百年ほど前の復興の場で何があったのかは分からないが、紅の思惑が及んだことは予想できるものだった。ならば、同じ事が起こらぬようにどうしたらいいのか。答えは簡単だ。この戦いを記憶し、後世に伝えなくては。


「実を言うと、少し怖い」


 と、そこでカタナは小声でそう言った。


「これまで何度も殺されてきた。サヤを守るために身を滅ぼす事に躊躇いなんてなかった。でも、サヤの魂を怪物から解き放てば、私もとうとう死んでしまう。その死がどういうものであれ、それで私という存在は終わるのだと思うと、やっぱり怖いんだ」


 何と声をかければいいのかも分からず、わたしはただじっとカタナを見つめた。


「怖い反面、焦りもある。サヤは呼んでいる。私の訪れを信じている。あれはきっと生きていた頃のサヤではないのだろう。それでも、果実は果実。私の命を預かって、この国の繁栄の為に願い続けてきた存在に違いない。だから今すぐにこの手で触れたい気持ちがある。きっとこれは呪いのようなものなのだろう」


 それは誰にも解けない呪いだ。

 悪魔でさえも解く事は出来ない。解けるとしたら神のみであるだろう。だが、はたして神など本当に存在しているのだろうか。

 自由に生きることを許されなかった彼女。

 正しいのか、正しくないのか、やっぱりわたしには分からない。


「……すまない、鴉。忘れてくれ」


 やがてカタナは静かに言った。


「私は立派に役目を果たし、この国に平穏を取り戻した。君が無事に生き残れた時は、そう神殿に伝えて欲しい。サヤともう一度会って、そして眠りについたのだと……」


 いいかな、そう言ってゆっくりと振り返るその表情の隅々までも、わたしの目に焼き付いてしまった。機械人形の夕暮の悲しげな姿。主治医の鵺の苦々しい表情。二つの光景が頭を過ぎったが、どちらもこの状況を変える力とはならない。

 だって、当の本人が変わる気がないのだから。

 そのくらい、カタナの表情は落ち着いていた。諦めの笑みではない。わたしは察した。彼女は期待しているのだ。もうすぐ白椿に追いつく。盗まれた果実に近づける。待っているのは死ではない。再会なのだと信じている表情だった。

 怖いというのは本心だろう。けれど、それ以上に彼女は期待している。愛する果実――サヤ様にもう一度会える事を期待している。


「分かった」


 大人しく答えると、カタナは安心したように息を吐いた。

 これから死ぬなんて思えないような表情だった。

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