16.剣の主治医
鵺。その名前は通称である。朱鷺と同じく鳥の名を持つ師匠のもとで魔術に触れていったのだろう。彼はおそらく純血の人間。わたしと同じだが、わたしとは違って聖域内で生まれた彼。魔術師長という立場に登り詰めるだけあって、彼は一度覚えたわたしの気配を今度は見逃したりしなかった。
鵺にあてがわれた部屋は朱鷺のものよりも更に本や資料に満ち溢れているらしい。だが、それらの資料に囲まれた彼の表情は暗かった。やつれている。顔色は非常に悪い。虚ろな両目でわたしを見つめたが、そのまましばらくは何も言わなかった。
沈黙が怖くなって、わたしの方からレラを手放し、口を開いた。
「鵺……といったわよね」
「……ああ。君は、鴉だったっけね」
「御殿の様子を見てきました。中庭の光景も……。わたしは……わたしは間に合わなかった。それどころか、あの白椿が――」
「君が見た事を教えて欲しい。出来れば、朱鷺にも話してくれ」
「わたしが見たのはこの場所で起きた悲劇の序章に過ぎません。白椿を怪物にしたのは紅と言う名の赤い悪魔。サヤ様を手に入れる為だけに不幸な大神を見つけ出し、籠絡して、手に入れてしまったのです。わたしはこの目で見ていました。見ていたのに、止められなかった。その結果が……」
足が震える。唇が震える。泣き出しそうになるのを必死にこらえていると、やがて鵺は大きく溜め息を吐いた。
「君の話は相変わらず理解するのが難しい。だが、悪魔の紅……その名をもつ赤い存在はとても身近な友人もかねがね証言していた存在だ。君にもあの印があるのだったね。逆さの剣。赤い天使の御印が。ならばこれは、天に反逆する何者かの所業。かつてこの場所で起こった悲劇が繰り返されたというわけか」
力無く言う彼がどうしてやつれた表情なのか。
わたしは一種の期待も抱きつつ、彼の前に膝をついた。
「どうか、冷静にわたしの話をお聞きください」
彼の目を見つめ、懇願する。
「長らく剣を研究されてきたあなたの御知恵をお貸しください。わたしはカタナが死なずに済む道を知りたいのです。サヤ様は奪われてしまった。聖典の通りに事を進めれば、カタナは怪物の心臓となってしまったサヤ様を壊して、自らの生涯を閉じなくてはならない。でも、それ以外の道はないのでしょうか。怪物を罠にはめ、生きたまま捕えて、カタナを生き永らえさせるという方法は――」
「やってみる価値があるか。それは神官長が決めることだ」
鵺は非常に冷めた表情でそう言った。
「そもそも生き永らえさせて何になる。カタナを永遠に武器として保管し、この神殿に幽閉せよと言うのか。自分よりも果実を優先するような聖女を、孤独のまま生かしておけと」
反論も出来ない。
鵺は更に言った。
「今のカタナは寿命すらない。終わりのない孤独に向き合っているんだ。こうなってしまっては剣の幸せなどもう訪れない。果実の巫女と勇敢の剣の幸せは、何者にも邪魔をされずに百年の寿命を終えることだ。サヤ様の身体は元には戻らない。怪物から救うには、剣で心臓を突き破るしかない。そうして、サヤ様と共にカタナも命を終え、聖樹のもとへと帰って来るしかないのだ」
「……そんな」
反論しようにも、言葉が見つからない。
こんな自分が悲しかった。どうにかしてカタナの生きる道を作りたいのに、皆を説得できるだけの理由や言葉が見つけ出せない。
わたしが我がままだと言うのだろうか。無慈悲だというのだろうか。ああ、そうかもしれない。そうだとしても、わたしはカタナに死んでほしくなかった。聖樹なんていらないのだといった師匠の言葉が強く胸に響く。今こそ、その言葉を信じてカタナを庇うべき時のはず。それなのに、どうしてわたしは押し黙ったままでいるのだろう。
歯痒い気持ちのまま堪えるわたしを見つめ、鵺は目を逸らしつつ言った。
「君の言うことも、理解出来ないわけではない」
それは、とても控え目な声であった。
「勇敢の剣を研究し、カタナに触れあってきた時間はそう短くはない。彼女に思考があり、人格があり、感情があり、温もりがあることもよく知っている。分かっている。君の訴えは人間として間違ってはいない。許されるのならば、『役目なんていい。怖くてもいい。逃げてもいい』と言いたいくらいだ。だがね、鴉、そうはいかないんだ」
「……何故です」
「それが我々の仕事だからだ。国王に認められ、神官長の名のもとに魔術師長として此処にいる私の責任だからだ。君には酷い大人に見えるかもしれない。あまりに無慈悲のように見えるかもしれない。そうだね、特に、エトピリカの弟子である君には」
「ひょっとして……師匠のことを御存じなの?」
その顔を窺って見れば、鵺は気まずそうに苦く笑いながら頷いた。
「朱鷺と私の師匠はフミルという名を名乗っていた。南部の言葉で、鷭という意味だ。ずいぶんと顔の広い先生でね、時折、遠方から手紙が届いた。その手紙を盗み読みしていたのだが、エトピリカという人物からの手紙が多かった。我々の師匠とは深い仲だったようで、手紙には色々書いてあった。聖域の外、雨の森の先にあるコタンという場所に住む魔女。きっと君の師匠に違いないだろう」
私の師匠と彼らの師匠が知り合いだったなんて。これは導きなのだろうか。
「エトピリカの手紙には聖域への疑問や聖域外の世界の事が色々と書いてあった。未熟な私と朱鷺には刺激的な内容だったが、フミル先生はあまり真面目に捉えず、私たちにも外の事は積極的には教えなかった。何故なら、私にも、鬼族の血を引く朱鷺にさえも聖域の外で生き抜くだけの力なんてなかったからだ」
はっきりとそう言われ、わたしは黙ってしまった。
聖域なんていらない。魔物との付き合い方を知ればいいだけだ。そう信じ、果実に手を伸ばしかけたこともあった。その罪深さに気付いてやめたのだって、聖域を傷つけてはいけないから、ではなく、サヤ様に魅了されて果実に手を出してはいけないからと分かったからに過ぎない。
師匠が言っていたように、わたしもまた聖域の不要さをいまだに信じていた。
けれど、この国には朱鷺や鵺のような人たちがたくさんいる。聖域に守られなければ、外の魔物に喰い殺されてしまうような弱い人たちがたくさんいる。だから、天使は――天使を送った神は決めたのだ。
果実の巫女と剣の聖女。二人の犠牲に留めて、多くの人々の生活を守ろうと。
「……ああ」
わたしの方がおかしいのだろうか。
多くの人々の生活よりも、犠牲となる女性の方に同情し、手を伸ばしたくなるわたしはやはり異端なのだろうか。
わたしはただ、カタナに死んで欲しくないだけなのに。
「この国を軽蔑するのであればしてもいい。聖域の外で生き抜ける君にはその資格があるだろう。だが、私達はもはやカタナを救えない。神官長は恐らく強制するような命令は下さない。ただ許可を出すだけだ。それだけで、カタナはすぐにでもこの神殿を後にして、怪物を探し始めるだろう」
そして、見つけ出した白椿の心臓を――黄金の果実の宿る化け物の核を勇敢の剣で抉ってしまう。
悪魔に囚われた巫女の魂を解放するべく。不死に囚われた自分の命を手放してまで。
神よ、天使よ、あなた達はなんて残酷なのだろう。命は一つ一つ重たい。重たいからこそ、たった二人と大勢とを比べてしまったのかもしれない。もしくはあなた方は言うのだろうか。カタナもサヤ様も人間ではないのだと。天使の分身とその子供は、人々を守るべくして生まれるもので、守るべき人間には含まれないのだと。そうなのだろうか。そういうことなのだろうか。
わたしは、どうしたらいいのだろう。どんな気持ちで向き合えばいいのだろう。
「神官長の返事がくれば、ただちにカタナに伝える。……君はこれからどうする? まだ子供だというのに、君は実に優秀だ。きっと将来はいい人材となるだろう。もしも君にその気があれば、魔術師長として君を推薦し、この神殿の為に働いてもらいたいところなのだ……が……」
窺うようなその眼差しに、わたしは落ち着いて首を振った。
「とても光栄なことです。でも、今すぐにはお答えできません……」
カタナと同じくらい失意に囚われているだろう朱鷺も彼と同じ考えだろうか。
だとしても、わたしの結論はまだ固まっていない。戦いを続けるべきなのか、この国にとって悪い結果を導く魔女となるべきか、それを決めるのもまたカタナの本心だ。
わたしは決めた。
守ろうとしたサヤ様はもはや助けられない。
それならば、カタナの本意を問おう。確かめた上で、この先の事は決めてしまおう。それがたとえこの鵺の親切心を台無しにすることとなったとしても、わたしは後悔しない。
「これで失礼します」
そう言ってレラに身を包み、何か言いたげな鵺の前を後にした。




