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勇敢の剣  作者: ねこじゃ・じぇねこ
第1部 カタナ
3/63

3.機械人形

 汗と穢れを流すことが出来る風呂は有り難いものだ。

 都で孤児として彷徨っていた頃には想像もできないほど、此処に来てからは好きに入浴することが出来る。その有難味は、十年以上経った今でも薄れることはなさそうだ。


 私が赤い天使の印を受けて勇敢の剣として生まれてしまったことを、実の両親は知っていたのだろうか。顔も覚えていないのは、見たことがないからだ。赤子の私は布にくるまれ、朽ち馬車の中に捨てられていたらしい。そう教えてくれたのは、年上の孤児仲間たちだった。

 子供ながらに赤子の私をどうにか育て、都に住み着く孤児らしく泥棒術を教えてくれた。その技で何とか生き延び、仲間と共に野良犬のように群れて過ごしてきた。決して恵まれてはいなかった。盗めば盗むほど、大人たちを恨んでいった。

 けれど、ある日、盗みに失敗して役人に捕まったことをきっかけに、私の生活は一変してしまったのだ。

 仲間の孤児たちは知らなかったのだろう。

 彼らは私の胸に珍しい痣があるとしか思っていなかった。剣のようだとは言っていた。この国に溢れる模様にも似ている、と。けれど、まさかその痣に意味が含まれていたなんて思いもしなかったはずだ。私だってそう。不死である自分の身をいくら思い知らされても、今だって半信半疑のまま此処にいる。


 風呂上がりの熱った体を大きすぎる寝台に少しだけ横たえながら、私はぼんやりと感傷に浸っていた。

 こうしていると、誰かに捨てられた茣蓙ござの上で身を寄せ合って眠っていた頃が懐かしくなる。

 恐ろしく複雑で美しい装飾の施されたこの寝台は、サヤの卵が産み落とされたときに、その誕生を祝って都から贈られたものらしい。果実の為に一つ、剣の為に一つ。古来の信仰である大神の夫婦と、赤い天使への信仰とを融合させた大作であったが、肝心の剣である私が見つかるまでは、長く使われないままこの部屋に寂しく置かれていたそうだ。

 その装飾の一つ一つを眺めるのは怖い。

 手が込んでいる分、願いも込められている。

 この一つ一つにサヤと自分への希望が籠められているのだと思えば、緊張と責任は重く圧し掛かる。それでも、この寝台は嫌いではない。かつて眠っていた茣蓙のような親しみやすさはないけれど、此処にいてもいいのだという安心感が、戦いで体の代わりに傷ついた私の心を癒してくれた。


 ――もう少し休んだら、サヤの所に行ってみよう。


 生乾きの髪に戯れに触れながらそんなことを考えていると、部屋の扉が開く音がした。この部屋に自由に出入りできるのは、私と私より格上の者と、あとは「彼女」くらいのもの。入ってきた人形のようなその姿を目にしていると、向こうから私に話しかけてきた。


「お休みの所申し訳ありません、カタナ様」


 抑揚のない声で彼女は言った。

 無表情であるのは、表情を作ることが出来ないからだと聞いている。

 彼女は人間ではない。百年以上前に、此処から北西へと果てしなく進んだ先にある信頼の国という他国から格安で譲られた機械人形である。ちなみに格安と言っても、誰もが手を伸ばせる金額ではない。

 彼女は代々神官長が所有し、勇敢の剣に仕えてきたという。百年と少しの間に、私を含めて五人もの剣を見てきたと言っていた。百年ちょっとの間に、五人。不死であり、百年の寿命を与えられたはずの勇敢の剣が短期間にそんなに代を重ねている。その背景については、今はあまり深く考えたくないことだった。


「神官長から言伝を持たされて参りました。お聞きになりますか?」

「……うん。話して、夕暮ゆうぐれ


 硝子玉のような目で私を見つめ、その機械人形――夕暮は口を開いた。その仕草は機械であることを忘れるほどのもの。人と認められるのは、魂が本当に宿っているからだと聞いている。誰かのものを移したわけではなく、信頼の国で作られた機械人形は、誕生したときに魂が宿るものであり、一度壊れた心は二度ともとには戻らない。修復して、同じ魂が宿ったとしても、同じ人格は戻って来てはくれないらしい。

 真偽のほどは確かではないが、夕暮は確かに人間とあまり変わらない。ただちょっと表情が読めないだけだ。


「明日より神官長は側近三名と共に、しばらく都に向かわれるそうです。都では聖樹の誕生祭が迫っております。今年は愛情の国より贈られた美しい花火が上がるのだとか」

「ああ、もうその日か。今年も私たちの代わりに行くんだったね」


 聖樹の誕生祭だが、果実と剣の誕生祭でもある。だが、神殿から抜け出せない果実と剣の代わりに出席するのは神官長の役目なのだ。


「聖樹がお変わりないことを民に伝え、安心させるためです。同時に、今年も都の端々をご覧になるとも仰っておりました。かつてのカタナ様のような思いをしている孤児がいないかお探しになるとも」

「探してどうするんだろう。一時的に手を差し伸べたところで、受け入れ環境が整っていないと意味がないのに」

「その環境を整えるためだそうですよ」


 夕暮は一言だけ付け加えた。

 その目の奥の機械の頭で何を考えているかはやはり読み取りづらい。


「カタナ様を十年近くも引き取れずにいたのは、孤児の問題を放置してしまったが為のこと。都の者たちと協力し、ゆくゆくは田舎の端々まで見つめなおすのだと、そう仰っておりました」

「結局は、勇敢の剣を見逃した所為か」


 逆に言えば、私が孤児でなかったならば、神官長はこれからも神殿の外で苦悩する孤児の話などに興味を露ほども持たなかったのだろう。

 だが夕暮は無表情ながら窺うように私を見つめて呟くように言った。


「そう仰らないでください。理由は何であれ、神官長にも御心はあります。これより先、勇敢の国では今までのように苦しむ子供はなくさなくてはならないと仰っておりました。そのために、国王にも訴え続けることが出来るのだと」

「国王ね……」


 勇敢の国の王は都の城に引きこもったままだそう。

 民の暮らしをまとめるのは各場所の権力者であり、その責任を王は背負っている。背負ってはいるが、実際にその目で見ているわけではないようだ。

 聖域を守る役目は神殿に全て委ねている。そのため、国王など此処ではいないも同然だった。神殿において、全ての権力は神官長が握っており、この建物の中に限っては、王族であっても神官長には逆らえないことになっている。

 しかし都ではその逆で、国王の意向に神官長は逆らえない。訴えが届くとすれば、せいぜい果実や剣に関したことだけだろう。

 神官長とはいつだって、神殿の為に存在している。


 だが、聖樹に関していれば何でも聞き届けられるわけではない。

 今の神官長がその座に就いたのは数年前の事。私の生い立ちはすでに知っており、神官長に任命されるより前から、真面目にこの問題を考えてきた。それは孤児への純粋な同情ではなく、いつかまた私のように赤い天使の印を持った者が、孤児の中に紛れてしまった場合を考慮してのことだった。

 それでも、訴えはすぐには通らない。孤児の全てを把握するには、並々ならぬ労力と財源が必要であるためらしい。ならば、その財源を確保する努力をするべきだが、それ以上の議論はなかなか進まない。


 ――今年もきっと、去年と同じだろう。


 祭りが終わって一週間後、去年や一昨年のように浮かない顔を隠しきれずに戻ってくる神官長たちをサヤと共に迎えることになるだろう。


「明日の出発の前に、神官長はサヤ様にお会いしたいそうです。もちろん、あなた様にも。出発は早朝ですので今宵はあまり夜更かしせず、このままお眠りくださいとのこと。サヤ様にも既にお部屋にお戻りいただいております」

「……そっか」


 それは残念だ。

 寝る前にもう一度だけサヤの顔を見たかった。しかし、すでに部屋に戻ってしまったのなら、改めて訊ねるのも不躾なものだろう。サヤが許したとしても、サヤの身の回りの世話をする果実の主治医である魔術師長である朱鷺ときが許さないはずだ。彼女もまたサヤを守る存在。私が果実を守るために戦うように、果実としてのサヤの体調管理を任され、責任を負っている。

 仕方ない。どうせ明日の早朝には会えるのだし。


「話はそれだけ?」

「他にもあります。今日の戦いに関してのことです」

「あまり聞きたくないな……」

「『いち早く駆けつけるあなたの勇気は認めるが、まずは番人の力を信じて聖樹の元から動かぬように。剣を奪われでもすれば、我らは無力となるだろう。哀れな死にゆく者たちの肝を無駄に冷やさないでほしい』とのことです。以前にも申しましたが、初めから勇敢の剣を狙う侵入者もおります。あなたさえ押さえれば、果実を守れるものはいないという悪魔の囁きを聞いた者だとか」

「……分かっているさ。そういう奴らのせいで、これまでの悲劇は繰り返されてきたのだろう?」


 静かに過ごさせていれば、黄金の果実は百年の寿命の果てに死ぬ。死ねば魂は聖樹へと戻り、また新たな卵として産み落とされる。しかし、ここ数代の果実は、その百年を待たずに魂を聖樹に返してきた。

 理由はすべて侵入者のためだ。

 何者かに果実が襲われ、その命を奪われてしまったせいだった。


 剣とは違い、果実の体は蘇らない。命を奪われれば、果実としての力はその魂と共にすべてその殺戮を行った者に宿ってしまう。そうした者に対抗する最後の手段が、勇敢の剣であった。

 大事なものを奪った殺戮者に罰を。

 果実を奪った者を止められるのは、私が呼び出すあの剣だけ。殺戮者に囚われた果実の魂を救済できるのは、勇敢の剣だけなのだ。

 この救済が、剣の最期の役目となる。

 果実の魂が聖樹へと戻ると同時に、不死を約束されてきた勇敢の剣の魂も、国の何処かへと飛び去ってしまう。そうなれば、剣はもう生きられない。これまでの体を捨て、新しく誕生する子供へと宿る。

 剣が早々と代替わりしつつも、聖樹が無事なままでいるのは、これまでの剣が果実を守れなかったなりに、きちんと役目を果たしてきた証拠だ。だが、逆に言えば、剣が封じられてしまえば、聖樹は簡単に滅んでしまうということでもある。


 これまでも剣自体を奪われそうになったことはあったらしい。引き取られてすぐに、そういった者の不気味な臭いは常に私の敏感な鼻にも届いた。幼い私を狙っての侵入も多く、眠れない日も続いたものだった。

 すっかり成長した今でさえも、神殿の者たちはぴりぴりとした目で私を見ている。彼らにとって番人の命は軽く、命を捨ててでも神殿を守るようにと求めているものだった。それどころか当の番人たちさえも、そう思っている節がある。

 そのくらい、剣を奪われる事は恐怖であるらしい。


「万が一、カタナ様が囚われればサヤ様が無防備となります。サヤ様の警護はカタナ様が居てこそのもの。……それに」

「それに?」

「――恐れながら、カタナ様が攫われたりでもしたら、わたくしの心も潰れてしまいそうになります。あなた様には先代様、先々代様よりも長生きして欲しいのです」


 無表情で無機質な声をしていながら、あまりに血の通ったその言葉に、私は思わず俯いてしまった。

 先代は二十五、先々代は今の私とほぼ同じと思われる二十二、三でこの世を去った。どちらも、最期の役目を果たした為だ。それでも、更に前の代では十代で犠牲となったのだから、ましな方かもしれない。


 さて、私はあと何年生きられるのか。夕暮を悲しませたくない思いはあるけれど、彼女は半永久的に動き続ける機械人形。どんなに気を利かせたところで、運命はきっといつか私の命を攫いに来るだろう。

 死は必ず同じもの。それでもせめて寿命を迎えられたなら、夕暮の心に残る悲しさも少しは紛らわされるだろう。少なくとも、突然訪れるよりはずっとましなはず。


「申し訳ありません、話がそれました。言伝は以上です。御休みなさいませ、カタナ様」

「……うん、有難う。御休み、夕暮。君の言葉も肝に銘じておくよ」


 はい、と小さく答えながら夕暮は立ち去っていった。

 世話係である彼女の部屋は私の部屋と隣接している。一応、人間と変わらず寝台もあるし、風呂や厠もあるものだが、使われることはほぼないと言っていい。彼女に必要なのは機械人形のための医者と、一時間ほど座っていられる椅子だけだ。長時間動きまわって身体が鈍っても、座るだけで、人が睡眠や食事を取ったように回復するらしい。


 夕暮は元々人型の兵器として信頼の国から贈られたのだとも聞いている。

 実際に、神殿の内外に配属されている番人の中には、今でも夕暮と同じような型の機械人形が混じっていると聞く。

 それでも機械人形はさほど多くつくられてはいない。

 わざわざ魂を宿す人形にする理由がないからだ。

 機械人形は動けぬほど壊されれば、死んでしまう。修復し、再び動いたとしても、その人格は別人のものであり、元々持っていた心は何処へともなく消えてしまう。同じ身体と魂を持っていたとしても、何も思い出せない。かつての人格は消えてしまい、覚えていたすべてのことを忘れてしまう。それはもはや他人であるとしか言いようがない。

 多額の金銭が費やされる上に、戦う術を教えても、一から覚え直しとなるのが機械人形だ。だから、大抵の場合、機械人形が壊れれば修復などされずに分解され、何かに再利用される部品となるらしい。

 夕暮もいつか壊れてしまう事があれば、そうなるのだろうか。


 ――出来ればそんな所を見たくはないな。


 たとえ非戦闘員であったとしても、殉職する時はある。

 神殿に仕える神官や魔術師であっても、番人たちの目をかいくぐった侵入者によって殺されてしまう恐れは常に付きまとっている。だからこそ、神殿付きという者は高給取りであるし、地位も約束されている。

 逆に言えば、そうでなければ誰もやりたがらない。信仰心だけではやっていけない。もともとこの場所で働く者たちの多くは恵まれた家柄の者ばかりなのだから、都なりなんなりにいい働き口はあるものだ。

 金で買われ、半ば強制的に此処で働かされている夕暮たち機械人形や、聖樹に生み出されたサヤ、そして赤い天使の印を受けて産まれた私のような者以外は、推薦を受けるなりして入るとはいえ、最終的には自分の意思で此処を訪れ、自分の意思で此処を去る。

 結婚や転職、退職などの理由で此処を去っていく勇敢の民を見送りながら、夕暮は何を想ってきただろう。無事に此処を去れずに、あの世に送られていった仲間達の死を悼みながら、何を考えてきただろう。

 そして、身体を壊されながらも戦う勇敢の剣は、彼女の持つ硝子玉のような双眸に、どのように映っていたのだろう。


 ――サヤ。


 夕暮が見てきただろうこの場所の風景を想像しながら、私は静かに別室で眠っているだろうサヤに思いを馳せていた。


 ――私たちはきっと百年の時を生きて見せよう。


 常に何かに狙われているその並々ならぬ不安は、サヤだけではなく私の心さえも脅かしているようだった。

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