9.世話係の女官
話したい事は全て話した。
伝えたいことがきちんと伝わったのかには自信がない。
ただ、少なくともカタナはわたしの言葉を笑い飛ばしたりはしなかった。きっと丸々と受け入れてもらえることなどないだろう。それでも、耳に入れてくれただけでも助かったと言うべきだろうか。カタナの柔軟さだけが救いだけれど、わたしの心を覆う暗雲は晴れそうになかった。
――聖典に、悪魔の事が載っていないなんて。
二百年ほど前にこの国が戦火に包まれた事はよく知っている。
時の権力者は禁断の魔術で剣を支配し、不死の身体を利用してその時代には既に亡国となっていた夢幻の国や達成の国のあった土地――いまではそれぞれ饕餮の国とエルリクの国と呼ばれる場所を越えさせて、豊穣の国を攻め込ませた。
そんな罰当りな事をよりによって剣にさせることが出来るのは悪魔しかいない。わたしが習ったのが正しいのだとすれば、悪魔――紅はあの頃の権力者に取りついて勇敢の国を混乱させたのだろう。ひょっとすれば、絶望した剣の前に現れて彼女に取り憑くのが目的だったのかもしれない。
だが、紅の思惑は英知の槍――運命という意味の名前を持つ人馬の女性によって阻まれた。剣は身柄を抑えられ、この国は逆に攻め込まれてしまうはめになる。剣を奪われては堪らない。ろくに抵抗も出来ないまま国は戦火に覆われ、あらゆるものが灰となった。
悪魔の計画は狂った。しかし、ただ負けるようなことはなかったのだろう。
聖典が改定されたのだとしたら、それはきっと大戦の混乱に乗じての事だ。悪魔という記述を失くし、人々にその脅威を忘れさせていったのだとしたら。
先代の勇敢の剣は二十代前半という若さで早世している。
悪魔は果実が卵から孵って十年以上経った頃より動きだすのだと聞いている。剣が二十代前半ということは、果実はまだ十代であったはずだ。動き出したばかりの悪魔に接触され、ろくに抵抗も出来ないまま奪われ、そして散っていったのだろう。
まだこの国が維持されているだけでも奇跡だったのかもしれない。
だが、紅は決して諦めない。わたしが役に立たないと分かるより前から、きっと多数の候補者を集めていたのだろう。これも聖典に載っていた悪魔の特徴と一致する。だとしたらますます、カタナに傷を与えた人狼の存在がとても気になった。悪魔の力だと彼女が自ら言ったのもまた気がかりだが、それを使って積極的にカタナを傷つけた経緯が気になって仕方なかった。
でも、あれ以上聞きだすのは難しいかもしれない。
剣の主治医だという魔術師を影ながら見送って、わたしは考えた。神殿付きの魔術師に気付かれるのは怖い。捕えられたら何をされるか分からないからだ。見つからないよう必死に息を潜めながら様子を窺うので精一杯だ。
幸いにも彼はカタナの様子を窺い、薬を飲ましてしまえば、彼女が眠ってしまうのを待たずして何処かへ立ち去ってしまった。わたしに気付いているのかいないのかは分からないが、何にせよ助かった。
薬を飲まされたカタナは魔法にでも掛けられたように眠り始めた。
不死である彼女をそこまで追い詰めた悪魔の力とやらが怖い。
同じく不安に思っているのか主治医を連れてきた夕暮とかいう機械人形はカタナの様子を心配そうに窺い続け、その場に留まっていた。
機械人形の型について学んだのは師匠の元に居た頃だ。あの頃よりも更に新しい型が生まれているだろう。そのため、新型については疎いけれど、旧型ならば多少の知識はある。
世界最初の機械人形が信頼の国で誕生したのは百二十年前のこと。その時の試作型とほぼ同じ性能を持つのが初期型。特徴は表情の拙さと動きのぎこちなさ。それでも、中身は今の時代に作られる人形達と変わらないほど人間に近いと聞いている。
夕暮という彼女もまた少ない表情ながらカタナの身を按じている感情が現れていた。
初期型ならば、百年以上は稼働している可能性だってある。勇敢の剣の世話係をしているくらいなのだから、この御殿のあらゆる人物よりも話を聞く価値がありそうだ。
わたしはそう判断し、音を立てずに風を使って夕暮の前へと忍び寄った。
レラを手放して姿を現そう。そう思った矢先、硝子玉の双眸がふとわたしの居る場所を捉えた。魔術で姿を隠しているはずなのに、夕暮はしっかりとわたしの顔を見つめ、そして静かに頭を下げたのだった。
「御姿を隠されても、わたくしの無機質な目は欺けませんよ」
はっきりとそう言われて怯んでしまった。だが、夕暮は敵意を見せる事はなく、椅子に座ったまま眉を顰めるように瞼を閉じかけた。
「わたくしは武力を削がれた機械人形。あなたがいかに怪しくとも、咎めることは不可能です。せめて教えてくださいな。あなたは何処の何方で、何故、カタナ様の傍に潜んでいるのでしょうか」
レラに身を潜めたまま、わたしは夕暮を見つめたまま頷いた。
敵意がないことを態度で示し、口を開く。
「わたしは鴉。聖域の外から来た魔女」
「聖域の外……」
「悪魔に唆されて誕生祭の夜にサヤ様を害そうとした不届き者。けれど今は悪魔の手を逃れて勇敢の剣に僅かながらの助力をと駆けつけた者よ」
そう言うと、夕暮は表情を変えずに答えた。
「ああ、どうりで覚えがあるはずですね。カタナ様が御身体を酷使して追いかけたあの夜を覚えておりますとも。遠目でしたが、確かにあなただった。わたくしのヘルツがそう記録しておりました」
「ヘルツ……あなたの心臓の事ね。優秀なものだわ。とても羨ましい。夕暮、だったわね。あなたは何年ほど稼働しているの?」
「百数年。百十年に満たない程度で御座います。代々の神官長の所有物として勇敢の剣に仕えて参りました。カタナ様で五人目です」
「百数年で、五人……」
本来ならば百年で一人であらねばならないはずなのに、なんて短い。不死のはずの剣が寿命以外の理由で死んで代替わりする結末など、悪魔の所業をおいて他にはない。剣が死んだと言う事は、この国が守られて紅の計画が狂い続けているということ。
夕暮は落ち着いた様子でわたしを見つめ続け、そして機械らしい動作で両目をそっと閉じた。ぎこちない初期型であっても、感情はよく伝わってくる。天使によって絆というものを与えられた信頼の民ならではの技術なのだろう。
「ねえ、夕暮。もしよかったら、教えて欲しいの」
番人を呼ぶ気配も見せない世話係に、わたしは更に甘えてみた。
「あなたが見送ってきた果実や剣達の最期を教えて欲しい。あなたは『悪魔』という言葉を聞いた事はある?」
「悪魔……ですか?」
目を開けてふと不思議そうにわたしを見つめる。
表情が薄い代わりに時計の針が動くような音が聞こえてくる。
「わたくしのヘルツによりますと、一番近いもので先代の御方々の記録があります。果実の巫女は奪われる前に仰いました。『あなたは悪魔に騙されている』と。その姿は先々代のように無念に満ちたものでした。奪われた巫女を救いに向かう時、剣の聖女は仰いました。『悪魔から果実と罪人を解放させてみせる』と。その姿は先々代のように勇ましいものでした。悪魔が何なのか、わたくしには分かりません。ただ、わたくしが仕えた御方々は確かに悪魔に立ち向かってこの国を御救いになったのです。悪魔とは――罪人の心に生じる悪意であるのだと、そう聞いております」
機械的に告げる夕暮に、わたしは軽く首を振った。
「悪魔は本当にいるの。三百年前の聖典には書かれているのよ。これを見て……夕暮」
部屋には眠っているカタナの他にはわたしと夕暮しかいない。躊躇いはなかった。胸元を開けて素肌を見せるわたしを夕暮は無表情のまま見つめていた。だが、現れた左胸の印を目にするなり、夕暮は機械のはずなのに息を飲むような仕草を見せた。
「それは……カタナ様の御印にそっくり」
「悪魔に付けられた呪いなの。よく見て。逆さまになっているでしょう?」
「……呪い。何故、あなたが」
「悪魔の誘いを断ったからよ。わたしはきっともう平穏に暮らせないの。けれど、それなら、せめて悪魔の邪魔をしたい。夕暮。わたしの事を信じてくれる?」
困ったように夕暮はわたしを見つめていた。
彼女の主人は神官長だと言っていただろうか。この神殿の何処かにいるのだとしたら、どうにか彼を味方につけなくてはならないだろう。夕暮がその所有物であるというのなら好都合ではあるが、そう簡単な事ではないらしい。
「あなたを疑ったりはしませんとも」
ようやく夕暮はそう言った。
「けれど、お許しください。わたくしはカタナ様の世話係ではありますが。殆ど権限を持ちません。あなたのお役に立てるかどうかも怪しいもの」
「別にあなたが偉くなくたっていいの。わたしを信じて耳を傾けてくれる人が増えるだけでいい。神官長はいらっしゃるの? 可能ならば御目通りを願いたいのだけれど……」
「神官長は都に出張しております。今は側近数名が代理として取りまとめている次第。しかし、あなたがまず会うべき人は、神官長ではありません」
「じゃあ、誰?」
「魔術師長の御方々です」
「魔術師長……」
自信たっぷりに言われて、口ごもってしまった。
夕暮の言っている事は間違ってはいないのだろう。神官長というこの場所の頂点にいきなり会って話すよりも、まずは魔術に詳しい者たちと話すべきだ。しかし、魔術師長の名前を出されれば、躊躇いしか生まれなかった。
魔術とは反発しあうものである。
師匠から弟子へと受け継がれるものを真に理解出来るのは当事者だけ。所詮、他人は想像こそ出来ても理解は出来ない。余裕があり器が大きければ細々としたものなんて恐れないし、気にしないだろう。
だが此処は神殿。多少の歪みも許さないものばかりであってもおかしくはない。果実を守ると言う事に常日頃神経をすり減らしているだろう魔術師達が、聖域の外から来たという身元の怪しい魔女の言う事なんて聞いてくれるのか。
そんなわけはないとしか言えなかった。
まだ、神官長に直接会ってみるほうがいい。魔術に傾倒する者の偏見はそれほどまでに恐ろしいものなのだ。
それでも夕暮は言った。
「どうぞ、魔術師長に御話を。あなたの証言をもとに、どうやってサヤ様を守り、カタナ様に御力を貸せるのかを考えてくださるはず。お願いです。わたくしに与えたその情報をどうかあなたの言葉で魔術師長たちに教えてやってくださいな」
しかし、答えられぬまま、わたしは俯いてしまった。
純朴で忠実な人形の心を、安心させる嘘もつけぬまま、曖昧な返事でその場を濁して、その場を逃げ去ることしかできなかった。




