8.聖域外の魔女
もはや傍観者でいる事は出来なかった。
一生このまま紅に苦しめられる日々が始まるのならば、どうしたらいいのか。
考えて間もなく、わたしが到達した答えは一つだった。
どうせいつか殺されるのなら、とことん邪魔をしてやろう。恐怖に震えているだけでも同じ未来が待っているのなら、その方がいい。黄金の果実を奪いに行こうと思ったあの無謀さで、今度は悪魔の邪魔をしてやるのだ。
そうと決まれば行動あるのみだ。
荷物を簡単にまとめてしまうと、わたしは宿を出た。時間はまだ残されていたが、問題ない。そもそも都に留まることもないのだ。聖域内での野宿ならば容易いこと。
そこまでして宿を出たのは、行かねばならない場所があったからだ。
疲れたなんて言っていられなかった。わたしを諦めた明松が次に向かうのは何処なのかと考えれば、居ても立っても居られない。
幸いにもわたしにはレラがある。レラを使えば果てしない距離も一気に進む事が出来る。多少身体を酷使してでも、わたしは歩みを止めなかった。
わたしが向かうべき場所。それは、大神殿だった。
明松は近くに居ない。
けれど、紅が悪魔であるのならば、いずれは神殿へと近づけることだろう。ならばその前に、悪魔が神殿を侵すより先に、あの話の分かりそうな勇敢の剣に接触する事は出来ないだろうか。
レラに身を委ねれば、御殿までの侵入など容易かった。
誕生祭の夜だって、わたしの侵入に気付いたのは勇敢の剣ただ一人だったのだ。そんな彼女は今回、わたしの侵入を嗅ぎつけて駆けつけるようなことはなかった。何故だかは分からない。だが、見つけてもらえなくとも此方から近づけばいいだけのこと。どうせ剣は果実の隣だろう。まずは芳香な果実の気配を辿りながら御殿を進めばいいはずだ。
そう思って果実の気配を探ろうとしたわたしが拾ったのは、無視出来ぬほどの禍々しい気配だった。
――何かしら、この気配。
疑問に思いながら果実ではなくその気配に引き寄せられるように進む事暫く。御殿の西側へとレラはわたしを運んでくれた。
辿り着くのは広く豪華な部屋の縁側。西日の強い中、レラに身を潜めたまま縁側に面した大きな窓より中を覗き、そのままわたしは言葉を失った。
一目見ただけで高価だと分かる寝台に寝かされていたのは、不死であるはずのあの勇敢の剣であった。ただ寝ているのではない。随分と魘されている。それだけではなく禍々しい気配は彼女から漂っていた。上半身は包帯が巻かれている。だが、その下に禍々しい気配の正体たるものが隠されているのだとわたしには分かった。
何故、彼女が苦しむ羽目になっているのか。
嫌な予感しかしなかった。
部屋に居るのは勇敢の剣一人ではなかった。廊下との境で立ち話をしている男女がいる。きっと勇敢の剣の事を話しているのだろう。男の方はどうも魔術師らしい。身形から察するに、地位の高い者だろう。一方、女の方に魔力は感じなかった。だが、見ているうちに違和感に気付いた。生き物ではなく、機械人形だ。型は恐らく初期型。しかし、町でたまにみかけるものよりも随分と精密に出来ているのが窺える。きっと人形の聖地である信頼の国で生みだされた正規品なのだろう。本物の魂を宿すという不可思議な存在だ。
――神官たちに見つかってはまずいわね。
やがて男の方は扉を閉めて立ち去ったが、機械人形の女は違った。扉を閉めると、ゆっくりと勇敢の剣に近づき、その額に触れて機械ながら心配そうな表情を浮かべていた。
本当に心配しているらしい。
話に聞いていた通り、機械人形というものには本当に魂が宿っているのかもしれない。その中身は窺えないが、彼らが持つという人工の心臓は、その機械人形にも他人を心配するという生き物らしい情動を生み出していた。
それにしても、何故、勇敢の剣は眠っているのか。
何故、禍々しい気配がするのか。
苦しむ彼女を見ていると、紅によって呪われたわたしの心臓までもが絞め上げられるように痛んだ。勇敢の剣に連動しているのか。その理由ははっきりとしないけれど、もしもこのまま彼女が目を覚まさなかったらどうしようという恐ろしい予感が頭を過ぎった。
そんなはずはない。彼女は不死者なのだから。
必死で自分に言い聞かせていると、部屋の中で異変があった。
荒い呼吸が乱れたかと思うと、勇敢の剣が突如飛び起きたのだ。その尋常でない警戒の姿勢に、わたしの身も思わず強張った。だが、彼女は左右を見渡し、自分の身体の様子を窺っていた。
「カタナ様」
そんな彼女を見つめて機械人形が話しかける。その時ようやくカタナと呼ばれた彼女は女官の存在に気付いたらしい。
――カタナ。
その名を頭にしまいこみ、わたしはじっと様子を窺った。
「体調は如何ですか」
冷静に語りかけるその人形の姿に、カタナは落ち着いたように息を吐いた。
「覚えておいでですか、カタナ様。あなたは人狼に――」
「負けてしまった」
――負けた?
侵入者だろうか。人狼である事も気になったが、何よりも不死者である彼女が負けるような事が想像出来なかった。いったい、何が起こっていたのだろう。
再び横になりながらカタナは身体が痛むのか顔を歪ませていた。しばらくその痛みに耐えてから、沈黙する機械人形へと彼女は訊ねた。
「サヤはどうしている?」
その声はまるで我が子を思う親のよう。
「御部屋にて朱鷺様と一緒に居られます。カタナ様が臥せっておられる間に、サヤ様も体調を崩されたので、休養を取られております」
「サヤが体調を……?」
カタナと同じくわたしも不穏を感じた。果実が体調を崩すというのは怖い。その存在自体が聖樹に繋がっているのだから尚更だ。カタナに感じる禍々しさと何か関係があるのだろうかと思っている中、機械人形は答えた。
「恐らく、カタナ様が奇妙な力を持つ刃で斬られたのが原因でしょうと鵺様が仰っていました。朱鷺様と共に何の力だったのかを御調べになると」
「鵺が来たのか……」
「ええ、勿論。あなたの主治医なのですから」
カタナは黙って何かを考えだす。そんな彼女に機械人形は告げた。
「ともかく、今はまだお休みください。何か分かったら、きっと朱鷺様や鵺様が直接御話になるでしょう。サヤ様の事は朱鷺様や番人達にお任せくださいとのことですよ」
「……会いに行っては駄目だろうか。具合が悪いのなら、見舞いに行きたい」
「具合が悪いのはあなたも同じです。それに、明日は清めの日。サヤ様は早くに純潔の扉をくぐり、清めの間に向かわねばならないのだそうですよ」
「ああ……明日は清めの日か……」
残念そうに言いながら、彼女は目を閉じる。
「サヤの顔も……明日の日没までお預けか」
ぼんやりと呟くその姿は、かつて目にした恐ろしい半壊の姿など忘れてしまうほど平凡な女性にしか見えなかった。
「具合が悪いのに、儀式なんかして大丈夫なのだろうか」
「朱鷺様がついているのです。カタナ様がこうして御目覚めになったのですから、サヤ様も大丈夫なはずですよ」
機械人形はそう言うと、姿勢を正して今一度カタナに向かって頭を下げた。
「少し席を外します。カタナ様が御目覚めになったら報告しろと言いつけられておりましたので……」
「ああ、分かった……夕暮、有難う」
カタナの言葉に夕暮と呼ばれた機械人形は一瞬だけ戸惑ったように振り返った。だが、すぐに一礼すると何処かへと去ってしまった。
ようやく二人きりだ。
開けっぱなしの窓よりレラを流し込んでわたしはカタナに忍び寄った。風の臭いは誤魔化せなかったのだろう。カタナは再び起きあがり、痛みに苦しむような表情を見せた。何が起こったのか。痛みは何故起こっているのか。
疑問と共にわたしはカタナへと話しかけた。
「カタナ。それがあなたの名前なのね」
およそ民に付けるものとは思えぬその名前の感想を、わたしは正直に述べた。
「まるでモノのような名前」




