5.勇敢の都
絶望の日から今日まででどのくらいの月日が経っているのか。
数えようとする力も殆ど残っていないのは、神殿から都までとぼとぼ歩き続けたせいでもあった。
都はいつも人が多い。日別とは大違いだ。もとからここに住んでいる住民に加えて、田舎から出てきた者もいれば、命がけで他国から流れてきたものもいる。わたしのように聖域の外で暮らし、中へと入ってきた者もいる。それらの人々が既に住んでいた人たちと合わさって、ごった返していた。
こんなにも人は多いのに、茜の死を知る人は全くといっていいほどいないのだ。
それがかなり寂しかった。
禁断の魔術は使えない。ならば、どうするべきか。次に思いつくのは、あれしかなかった。恨みを晴らす。明松を見つけ出して、茜への謝罪を吐かしてから命を奪ってしまわねばきっとこの気持ちは治まらないだろう。
けれど、そんな事が出来るのだろうか。
紅の囁きで都を目指すと決めた頃、わたしは明松という女についても情報を集めた。そこでやっと茜と明松の関係を知った。明松の家族は殺されている。最も疑われていた男こそ、茜の叔父。証拠がないからと罰を免れたその男は、何処へともなく消えてしまっている。それと関係があるのかどうか分からないが、ひょっとしたら茜を殺した時のようにその男もとっくに殺されているのかもしれない。
明松は異常な人物だった。
都へと向かう道すがら、わたしは何度も明松を見かけた。見かける度に、わたしは恐ろしい光景を目の当たりにした。明松は憎き男の血縁と思しき者を探しては殺していた。血への恨みは相当深く、男のことをよく知らない者までが犠牲となっていた。
あの力は何だろう。
人間にしか見えないが、鬼族に匹敵する魔術の才がある。
そもそも、魔術の種類すらわたしにはまだ分からなかった。
――何にせよ、わたしではあの女にも敵わないでしょうね……。
情けなさに肩が下がる。
黄金の果実も奪えず、友の仇もとれない。なんて惨めなことだろう。もうやることもない。都に来た理由もない。これまでのような生活に戻ろうにも、すぐに戻れるような気持ちにはなれなかった。
多くの人が行き交う繁華街の明りを見つめていると、沈んだ気持ちは浜辺に打ち上げられたクラゲのように干からびていく。いずれはコタンへ帰ろうか。大自然に囲まれながら、魔物の脅威に怯えながらもひっそりと暮らしていた日々を思い出せば、聖域の外の空気の方がわたしの身体には馴染むような気がした。
達成の国と夢幻の国の境。いまではエルリクと饕餮という強大な化け物の国に囲まれてしまっている我が故郷。けれど、エルリクも饕餮も静かに暮らしている者をわざわざ襲ってきたりはしない。コタンの者は怪物たちの宝物に手を出したりはしないのだから、敵視されることもなかった。
わたしにとって聖域とは、さほど重要なものではないのだ。
滅んでしまった達成や夢幻を復活させるべく立ち上がるような者は、我が故郷にはいない。それが出来るのは亡国の末裔だけ。その末裔たちも、勇敢の国等他国で細々と暮らしているか、魔物達に虐げられながらも本国のあった場所でしぶとく生き延びている。
こんなにも冷たいのに、わたしもまた勇敢の民の端くれなのだ。
聖典を学ぶ真意はいずれ分かると師匠は言った。聖域の中――勇敢の国を行き来していればそのうちに理解出来るだろうと言っていたのだ。断片的にだが、よく分かった。勇敢の剣は思っていたよりも勇ましかったし、黄金の果実は思い出すだけで涙が零れそうになるくらい美しいものだった。
「御免なさい……茜」
多くの人が行き交う中で、わたしは一人呟いていた。
「死からあなたを取り返せない。仇を討って恨みを晴らす事も出来ない。こんな情けないわたしをどうか許して」
死者は死の国に誘われる。聖樹はその居場所を知っているのだと聞いたことがある。けれど、それでは分からないも同じ事。聖樹の声等聞ける人間はいない。ただ一人黄金の果実だけが母子の会話を出来るのだと聖典には載っていた。
今もこの都の西で枝を揺らしているだろう美しい大樹。
サヤ様との触れあいで身を清めながら、聖域を確かなものにしているのだろう。
――聖樹。あなたにとっても茜は可愛い民であったのかしら。
天使と名乗った紅は、黄金の果実を欲していた。
黄金の果実と勇敢の剣を支配して新しい国を作ると言う事は、あの聖樹を枯らしてしまうということだろう。どうして天使と名乗る者がそんな事をするのだろう。
――あれは、本当に天使だったのだろうか。
神々しくも妖艶な紅の姿が頭を過ぎる。
黄金の果実を奪う事だけを考えてこの都まで旅していた時は、片時も離れず傍にいる気配がしたというのに、手を貸せないとわたしが告げたあの時から、彼女の気配はぱったりと消えてしまった。
もう用済みということだろう。
天使の力を借りたいほど絶望している別の民の場所にでもいるのだろうか。
歩きながら、わたしはそんな民を探してみた。
――ああ、此処にはいっぱいいるかもしれない。
繁華街と広場を少し歩いただけで、そんな結論に至った。
勇敢の都に来て、まず気になったのは子供。どういうわけか親の見当たらない子供達がみすぼらしい恰好をして建物の隅々をうろついている。野良犬のように目をぎらつかせて通行人を見張り、野生動物のような勘で相手を選別して盗みを働いているらしい。
わたしを襲って来ないのは、ただの町娘でも、無知なよそ者でもないと分かっているからだろう。
それにしても浮浪者も多い。孤児も多い。多いのに、その中に純血の人間は少ない。魔族の血が少なからず入っているらしい者ばかりだ。その血はまちまちで、一定の種族のものでもなさそうだ。だが、共通していることがある。皆が皆、この国を心底軽蔑しているような目をしていることだ。
わたしもあんな目をして神殿を目指したのだろう。
そして、その闘志を一瞬にして奪われてしまった。
今ああして世の中を憎んでいる者達も、サヤを見たら一瞬でもその闘志を忘れてしまうのだろう。あれは魔性だ。神性であり、魔性である。わたしが師匠から習ったどんな魔術よりも厄介で、わたしが聖域の外で目の当たりにしてきたどんな魔物達よりも強烈な影響を与えてくる。
「サヤ様……」
わたしはその名を呟きながら繁華街の中央で立ち止まった。
天使は今もわたしの代わりを探しているのだろう。ならば、誰かがあの少女に牙を剥く日が来るかもしれない。せめて、その脅威を、あの勇敢の剣が阻んでくれるといいのだけれどと、他人事ながらそう思った。
そんな時だった。
それまで賑やかに或いは機械的に行き来していただけの人々の群れの中で、奇妙な悲鳴と物音が響くと、動揺と驚愕、そして悲鳴が人の波と共に生じた。
「……なに?」
急な変化に驚いて振り返ってみれば、人の波が割れていた。目を見開いてその場を逃げる人たちの動きが見える。何が起こったのかはわたしの所からではよく見えなかった。だが、すぐに答えは示された。
「や……やめ……うああああっ!」
耳をつんざくような絶叫と共に、思ってもいなかった色が飛び散る。穢れを含んだ異臭が漂い、命からがら逃げる人たちが増えた。そして、色の正体と色を生じさせたものとがわたしの目に飛び込んできた。
何が起こっているのか、わたしはやっと理解した。そのまま、固まってしまった。
脳裏を巡るのは記憶。同じような光景を前にも見たと言う忌まわしい記憶。殺人。それもただの刃傷沙汰ではなかった。
「……あの人は」
明松。血の海の真ん中で立ち尽くしながら、周囲をぐるりと見渡していた。それは幾度目かの目撃だった。だが、こんなにも間近で見るのは初めてのことだった。
明松は逃げ遅れた民を指差した。
そして――。
「……あ……あああ……」
悲鳴は不思議と遠くで聞こえた。わたしの頭に響くのは、情けない自分の声ばかり。
目の前で起こっていることが理解出来なかった。あの時と同じ。あの時と同じだ。茜を目の前で奪われた時と同じ事が起こっている。何度も目撃してきたあの殺戮がすぐそこで行われている。
犠牲者は既に複数。その全員が家族の仇の血縁だとでもいうのだろうか。いや、違うだろう。片田舎の関係者がこんなにもこの場所に集まっているわけはない。それに、犠牲者に共通点などないようにしか見えなかった。
じゃあ、どうして明松は人を殺しているのか。
わけが分からないままわたしは立ち尽くしていた。
犠牲者を助けられる者なんて何処にも居ない。わたしと同じように逃げることも忘れて茫然としている者に待っているのは、容赦のない死であるのだろう。
微笑みながら新たな血を流し尽くすと、明松のその目がゆっくりとわたしの姿を見つけてしまった。




