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勇敢の剣  作者: ねこじゃ・じぇねこ
第2部 鴉
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4.壊された夢

 その日は少し特別な一日となるはずだった。

 日別で売る商品が尽きてきそうになるその頃、わたしはそろそろ旅立たねばならないことを茜に告げていた。

 よかったら二つ返事でついて来て貰いたいものだけれど、茜は勇敢の国の民。この国の民は二十歳になるまで両親の許可なしに自由に過ごす事は出来ない。茜だけの意見ではすぐに日別を出るなんて事は出来ないのだ。

 それでも、茜は前向きだった。聖域の外に出て、自立したいと彼女も考えていた。どうせ家庭はその日食うにもやっとの状態。さほど反対されることもなく役所に届けを出してくれるだろうとそう言った。

 成人は二十歳だけれど、十五歳になれば働く事は出来る。見習い狩人という名目で弟子入りすると届ければいいだけであるし、茜がそのつもりなら国籍を抜いて流浪の民になることだって出来る。

 そこまでしなくてもいいけれど、茜はそれも考えていた。わたしと共に流離さすらって、いつかは雨の森の奥にあるコタンに行きたいのだとそう言っていた。

 そのくらいの覚悟があると述べた上で、ある時、茜は言ったのだ。


 ――今夜、両親と話し合う。明日また会いましょう。


 その明日というのがこの日だった。

 足早に約束の場所へと向かえば、茜はすでにカラス達と戯れていた。わたしの姿を見て微笑む。その雰囲気だけで、わたしはこの先に彼女が用意していた答えがなんとなくわかった。近寄るわたしを手招いて、茜は言った。


「鴉! 来て! 大丈夫だったよ。わたしがそうしたいのならそれでもいいって、あなたの人生だって、お父さんとお母さんが――」


 とその途中で、茜はふと驚いたように視線を逸らした。見つめている先は、わたしの背後。瞳を揺らがせる彼女の様子に、わたしもまた振り返った。

 そこにいたのは一人の女性だった。

 成人はしているだろうか。していなくとも、二十歳前後という風貌。汚れた服装だけれど、よくよく見れば豪勢な装飾のある高価な服を着ている。

 不審なものだと一目で分かった。


「誰?」


 茜が首を傾げ、その女の顔をじっと見つめる。


「あなた……あなた! もしかして明松さん! 明松さんでは?」


 驚いた様子を見せる茜に、明松と呼ばれた女はくすりと笑った。


「よく覚えていたわね。そう、その通りよ」

「明松さん、町の人たちがずっと探していましたよ。……あの、叔父のしたことは本当に申し訳ないと……償えきれない罪だと父母が……」

「ええ、わたしも直接聞いた。姪のあなたまで心に病む事はないの」


 この二人がどういう関係なのか。過去に何があったのか、この時のわたしはまだ知らなかった。それでも、この明松という女に対して、わたしは奇妙なものを感じていた。


「父母に会ったのですか?」


 何も気付かずに問いかける茜を、明松は手招いた。


「ええ。お二人があなたを探しているわ。わたしも呼びに来たの。おいで、茜ちゃん」


 すんなりとそれについて行こうとする茜の手を、わたしは思わず捕まえてしまった。


「鴉?」

「待って、茜。あの人、なんかおかしい」


 言葉で説明出来ないのがもどかしい。

 ただ、明松には何か裏がある。茜を誘いだして何かするつもりだという警戒心が高まった。まるで聖域の外にいる魔物達を前にしているような心で、わたしは明松という女を見つめていた。

 すると、明松もまたわたしの意図を見抜いたらしく、大きく溜め息を吐いたのだった。


「ああ、あなた、ただの人間じゃないのね。鴉ちゃん? 変わった名前ね。手を放してあげてくれないかしら?」


 目を細めるその顔が恐くなって、わたしは茜の腕を引っ張った。

 庇うように前へと向かい、明松を睨みつけながらわたしは言った。


「この子の御両親の使いなら、そう証明できるものはあるんですか? どうしても茜を連れていきたいのなら、わたしも一緒に行きます」

「……鴉」


 いつでも魔術を使えるように意識しながら、わたしは明松を睨みつけていた。だが、明松はそんなわたしの警戒も鼻で笑い、躊躇いなく近づいてきたのだった。


「面倒な子ね。少しは遠慮してあげたのに。じゃあ、仕方ないわね。此処で始めさせてもらうわ」


 そう言って明松が手を挙げた途端、予期せぬ事が起こった。

 わたしの使うレラという風の魔術によく似た衝撃が、木々を揺らしたのだ。そして、わたしよりも無駄の少ない動きで、明松は事を起こしてしまった。

 倒れる音がしたと思えば、耳を塞ぎたくなるような悲鳴がわたしの背後であがった。すぐさま振り返ってみれば、そのままわたしは固まってしまった。

 血の海が広がっていたのだ。それも、痛がる茜を中心として。


「……何……何が起こったの……」

「痛い……痛いよ……痛い!」


 悲痛な声で訴える茜の姿を見て、わたしは我に返ってその傍に寄り添った。傷を見ようと手を伸ばしたところで、次なる衝撃が加わった。そして、わたしは目撃したのだ。目の前で、茜の足が切り刻まれるところを。

 誰が、何をしたのかをようやく理解して、わたしはハッと明松を見上げた。

 明松は一歩も動いていない。恍惚とした様子で痛がる茜を見つめると、自分の力に震えているようだった。


「ああ……素晴らしい……あの男と同じ血が大地に流れていく……素晴らしいわ、この力」

「――この、化け物!」


 恐怖と怒りが入り混じって、わたしは明松に立ち向かった。

 師匠から受け継いだ風の魔術レラ。移動手段にも、かく乱にも、幻術にも、そして獰猛な攻撃にもなるこの魔術に、わたしは心から願った。

 危険なこの化け物を切り刻んでしまえ、と。

 しかし、わたしの力は明松を捕える前に突如消えてしまった。


「そんな……馬鹿な……」


 わたしは呆気にとられた。そんなはずはない。魔術を何もせずに消し去る事なんて出来ない。ただの人間がそんなことを出来る筈がない。この明松という女は何者なのか。ただの魔女ではない。魔女ですらない。彼女の使う怪しげな術は、いかなる魔術でもなかった。

 カラス達が大騒ぎをしている。

 明松の頭上を飛び、警戒心を露わにしている。だが、彼らも近づくのは怖いようだ。それだけではなく、むせるほどの血の臭いに興奮している。わたしもそうだった。冷静さがなかなか戻って来ない。どうしてこうなっているのか、理解が追いつかない。

 そんなわたしを待ってくれるはずもなく、明松はおもむろに歩きだした。


「来ないで!」


 レラ以外の魔術も試した。師匠がわたしに譲った魔術の中で、レラ以外のものは大した力を成さない。それでも、何か明松に影響を与えるものがあるかもしれないという望みにかけて、わたしは考えつくままに魔力を使った。

 だが、無駄な事だった。

 明松の手がわたしの肩に触れた時、頭の中が真っ白になってしまった。酷い寒気に震えるわたしの耳元で、明松は言った。


「あなたは違う。退いて」


 乱暴に突き飛ばされて、受け身すらままならない。そうして惨めに地面を這いつくばっている中で、明松は痛がる茜の傍でしゃがみ込んだのだった。


「だ、駄目……お願い、やめて!」


 わたしの叫びに同調したように、数羽のカラス達が明松をめがけて急降下した。鋭いくちばしで友を助けようとしたのだろう。だが、カラス達は傷一つ与えることなく羽根を散らす事となった。

 まただ。何が起こっているかが分からない。急に何かの力がカラス達を傷つけた。血だまりの中に落ちたカラス達は生きているか死んでいるかも分からぬままもがいていた。そんな哀れな鳥達には興味もくれず、明松は荒い呼吸と共に身を丸くする茜に触れていた。


「御免ね、茜ちゃん。あなたは悪くないわ。でもね……」


 その瞬間、ぞっと鳥肌が立った。

 明松の背中に何かが見えたのだ。赤い翼。悪魔としか言えないような禍々しい光の翼が、明松を守るように広がっている。


「でも、あなたに流れるあの男と同じ血が、どうしても許せない」


 直後、わたしの日常は完全に崩落した。

 悲鳴と赤。そして気持ちの悪い物音と明松の微笑み。

 思い出すだけで吐き気しかないあの光景。

 何の罪のないはずの少女が、どうしてあんな目に遭わなくてはならないのだろう。止めてと言ったところで、止めてくれるはずもない。力で抵抗しようにも、わたしの魔術は明松を傷つけることすら出来なかった。

 そうして全ては終わってしまった。

 明松が散々楽しんだ後に残されたのは、血に染まりぼろぼろとなった衣服だけ。あとはすべて血の海に沈んでいった。


「さようなら、あちらで御両親と幸せに暮らしてね」


 その手を鮮血に浸らせてから、明松はそっと立ち上がった。

 振り向いてわたしの顔を見つめる彼女は、何処までもただの人間にしか見えなかった。恐れよりも怯えの方が勝っていた。情けなくも、もう立ち上がる力がわたしにはなかった。そんなわたしを哀れむように見下して、明松は言ったのだ。


「悔しい?」


 微笑みも崩さずに。


「でも、あなたにはどうする事も出来ない。わたしを殺せるのは、勇敢の剣と天使様に選ばれた使徒くらいのもの。わたしを憎むのなら、その使徒におなりなさいな」


 そんな謎めいた言葉を残して、明松は立ち去ってしまったのだった。

 追いかける事なんて出来なかった。混乱と情けなさと悔しさと悲しみと怒りでどうにかなってしまいそうな中、吐き気が止まらず震えの止まらない身体をどうにか動かして、わたしは茜の横たわっているはずの場所へと這い寄った。

 触れられるのはもはや服しか残っていない。血だらけの服をようやく掴むと、ケダモノのように叫んだ。現実が嘘のようだった。何が起こったのか、まだ分からなかった。鼻が馬鹿になってしまいそうなくらいの血生臭さが、ただの悪夢であったらいいのに。


「茜……茜……何処に行ったの……嘘だ、こんなの……」


 血の海に転がるものが茜だなんて誰が信じられるだろうか。

 さっきまで茜は此処に居たのに。


「嫌だ。誰か……誰か、嘘だと言ってよ……戻ってきて、茜、茜!」


 幾ら服を抱きしめたって、どうにもならない。

 癒しの魔術なんかが使えたとしても、死はどうする事も出来ない。けれど、この死を受け入れるなんて急に出来るはずもなかった。


「……可哀そうに」


 そんな時だった。

 茜の服を抱きしめて絶望に浸り始めていたわたしに現実を受け止める暇も与えぬまま、背後から抱きしめてくる者が現れたのだ。その温かさに驚いていると、足元に広がる血の海よりも鮮明な赤の翼がわたしの視界を覆い尽くすように包みこんでいった。


「全部見ていたわ。可哀そうに」


 優しい声が耳元で聞こえる。

 振り返ってみれば、そこには驚くほど美しい女性の姿があった。


「あなたは、誰?」


 問いかけてみれば、その艶やかな指がわたしの肌に触れた。


「私はくれない。この国の始まりから存在する者。かつて聖樹を生みだして天使と呼ばれていた者よ」

「勇敢の……天使?」


 その異様さに逃れようとすると、紅は悲し気に微笑んでわたしの身体から離れた。


「怖がるのも無理はないわ。あなたは聖域の外の人だもの」

「……なんでそれを?」


 にこりと笑いながら紅と名乗った彼女は妖しげに首を傾げた。みやびな赤い服がとても似合っている。だが、すぐ傍で友の亡骸が横たわっているこの場所では、不気味さしかなかった。


「私には全てが分かる。この国の全てが分かる。あなたが明松に対して耐えがたいほどの恨みを抱いていることも、手に取るように伝わってくる」


 不気味だった。そして不穏だった。

 紅と言うこの女が本当に天使であるのなら、聖域など無くてもいいと考えるわたしの存在は、きっと相容れないものだろうと思ったからだ。

 しかし、紅は敵意を一切みせなかった。


「どうか怖がらないで、鴉。私はあなたを咎めに来たのではないわ。可哀そうなあなたを助けに来たの」

「……助けに?」

「恨みを晴らしたいとは思わない? 明松を殺して怒りを鎮めたいと」

「――……思う、けれど、やってはいけない事だわ」


 地面につく手に血が触れる。いまだに、すぐそこに横たわっているのが茜だとは思えなかった。なぜなら、わたしの知る茜の姿をしていないから。現実味のなさがわたしを混乱させ続けている。これは夢なのだ。悪い夢を見ていたのだ。そう思いたくて仕方がない。

 紅はそんなわたしを不思議そうに見つめると、ゆっくりと近づいてきた。目の前にしゃがみこむと、手を伸ばして頬に触れる。その温かで柔らかい感触は、奇妙なくらい肌に馴染むものだった。


「いい子。そうよね。恨みを晴らしたって御友達は戻って来ないものね」


 目を細めわたしの顔を見つめている。

 その表情に呑みこまれそうになりながら、わたしは震えを感じていた。身体の奥底で生じるその震えは、居た堪れなさを産んでいた。


「じゃあ、これはどう? 茜を甦らせてみたいと思わない?」


 その問いに、息が詰まりそうになった。

 いけないと分かっていても、紅の瞳に釘付けになってしまう。頬に触れるその手を、気付けば両手で握りしめていた。


「そんなことが出来るの? わたしにも出来るの?」


 禁断の魔術。死者の蘇生。師匠でさえ口伝でしか教えてくれなかった。そもそも、師匠もまた出来ないと言っていた。純血の人間は勿論、魔族であっても、更には魔物であってもこればかりはタダでは出来ないのだと聞いていた。

 しかし、紅は言ったのだ。


「出来るわ」


 はっきりと、しっかりとした声で、紅はわたしを抱きしめて教えてくれた。


「死者の蘇生。それが禁断の魔術であっても、あなたにだって出来る。黄金の果実を口にしてしまえばいいのよ」

「……果実を」


 唆された罪に気付き、わたしは再び紅を恐れた。

 天使と名乗るこの女が、どうしてこんな罪を唆すのか。


「あなたは……何者なの」


 すぐに離れようとするも、今度は放してくれなかった。


「私は赤い天使。聖樹を生みだし、聖域を生みだし、勇敢の剣の残酷な命運を民に背負わせてしまった罪深い天使よ」


 声を震わせる紅の姿は、まるで人間のようだった。


「罪深い天使?」


 紅のその様子があまりに気になって、わたしは問い返してしまった。


「どうか、私の力を使って。果実を奪えばあなたはまた茜に会える。禁断の魔術を使える。そして、私は勇敢の剣を解放できる。聖域に頼らない国を作るのよ。聖域なんていらない。あなただってそう思うでしょう?」

「どうして……」


 天使と名乗る者が、どうして聖域などいらないと言うのか。疑いの晴れないわたしを必死に抱きしめたまま、紅は続けた。


「天使だと信じてもらえなくたっていい。でも、これが私の願い。私が授けたのは壊れない剣であったはず。民ではないの。この国の神殿が守っているものは、偽りの信仰。どうか信じて鴉。あなたの願いと私の願い、合致するものならぜひとも協力しましょう?」


 紅が本当に天使だと言うのなら、なんと人間臭い天使なのだろう。

 その姿はまさに天使と呼ぶべきものだったが、信仰を失い、思い悩むこの姿は、あまりに神秘性を欠いた哀れなものに感じた。


「紅……聖域はいらないと言ったわね」


 芳しい香りに包まれながら、わたしは紅に告げた。


「その通りよ。黄金の果実で全てが上手く行くのなら、是非とも奪ってやりましょう」


 信仰心なんてない。勇敢の国の歴史への憧れも、聖樹への信仰も殆どと言っていいほどなかった。こんなわたしはとんだ背教者だろう。罵られようと、茜が返って来る可能性をぶら下げられれば、拒否なんて出来なかった。


「ああ、鴉。あなたならそう言うと思っていたわ。でもね、一人では無理よ。私が力をあげる。天使の力を利用すれば神殿などすぐに侵せるでしょう。果実も簡単に手に入るわ。ね? 私と取引しましょう」


 わたしは即答しなかった。手を結ぶと言えば、何かが起こるのだろう。だが、それならばまずは一人で向かいたかった。


「せっかくだけれど、あなたの力はいらないわ」


 はっきりとわたしはそう言った。


「茜はわたしが取り戻す。わたしだけの力で取り戻したいの。だから、あなたの力はいらない。安心して、紅。わたしなら一人でも大丈夫。果実を今に奪ってやるわ」


 強い思いでそう言った。

 すぐ傍で骸となった少女の魂に誓うように、あの世に連れされているだろう彼女にも聞こえるように、わたしはそんな無謀な事を宣言したのだ。

 その時に紅はどんな顔をしていただろうか。今となってはよく思い出せない。

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