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勇敢の剣  作者: ねこじゃ・じぇねこ
第2部 鴉
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3.人間の少女

 花火が終わっても都は夜通し賑わっているのだろう。

 神殿と都の境の丘で、わたしはそんな光景を頭に描いていた。

 大罪に手を染めぬまま去ったならば、向かうのは都しかない。この先、何をして過ごせばいいのか何も分からないまま、わたしはただただ都に戻る事だけを考えていた。

 一休みしながら遠くに見える都の灯りを目に映す。

 その赤や橙といった煌びやかな色が恐ろしいものに見えた。


 ――茜……。


 思い出すのは友の姿。

 此処より遥か遠い大地で出会った彼女の事をわたしは忘れない。

 聖域の内外の境界にある田舎町、日別ひべつの美しい夕焼けが今でも脳裏にちらついている。瞼を閉じて、その光景を脳内に広げて、わたしの心は思い出に沈んでいった。


 日別はその名の通り美しい夕焼けを拝める穏やかな町だった。

 聖域の外の雨の森の奥にあるコタンという故郷を離れて以来、聖域の内外を行き来して暮らすという生活は決して安定はしないけれど、なかなか愉しいものだった。

 聖域の外で獲れる薬草や魔石、魔物の肉や皮といった物品は、聖域の中でしか暮らせない者たちにとって貴重品であり高く売れる。そう教えてくれたのは故郷に残した師匠だ。一人前になって巣立ちをするわたしに、聖域の中に興味があるのなら、と教えてくれたのがきっかけだった。

 金銭というものは聖域の中でしか使わない。

 水や食料、衣服や安全といったものは聖域の外では買うものではなく確保したり作製したりするもの。当初は面倒だと思っていた金銭稼ぎだったが、聖域の中を訪れて人間たちの文化を興味の限り見知って行くこと自体は愉しかった。


 師匠はかつて言っていた。

 世の中は自分一人では教えきれないほど広いものなのだと。この世に存在するすべての人間たちの文化だけでも知り尽くすには一生かかるだろうと。だから、永遠に学ぶ事になるのだと、そう教えてくれた。それが納得できるくらい、独立したばかりのわたしにとって、聖域の中の町は面白かった。そこが勇敢の国の中でも地方と呼ばれる中心部から遠い田舎であろうと、十分過ぎるほど物珍しかった。

 聖域の外で売り物を集めては日別に入って行商をするようになって一年も経つと、日別の人々はすっかりわたしの顔馴染みになった。どうせまた来るのであればいっそ家を買ってはどうかと助言をくれたり、物を買う時に金銭のほかに差し入れをくれるようになったり、店じまいの後には聖域の外について興味津々に聞いてきたりして、とても充実した日々を過ごした。


 日別の人々はいつも温かかった。

 だが、わたしはいつも不思議に思っていた。人々の笑顔の端々には、何か暗い影があるように見えた。余所者のわたしに悟られないようにしているのか、単に心配されたくないだけなのか、探りをいれてみようとしても彼らはいつも何でもないようなふりをする。

 それが何故なのか全く分からなかった。

 そして、日別を訪れるようになって一年半ほど経った頃、田舎町の見聞をある程度広げたことだし、たまには聖域の中の森林についても知ってみようとわたしは町の外れにある林へと足を踏み入れた。

 それが運命の分かれ道になるなんてどうして思えただろうか。

 林を進んですぐに、わたしの耳に届いたのは綺麗な歌声であった。不思議な魅力のあるその声に引っ張られるように進んでいけば、その歌声の主はすぐに見つかった。

 倒木に身を寄せ、集まってきたカラス達を愛でている少女。

 急な来客に驚いて、歌うのを止めて身を強張らせたその姿に、わたしの方もびっくりしてしまった。


「ご、御免なさい。邪魔する気はなかったの」


 急いで詫びてみれば、少女は緊張を解いて傍に置き去りにしていた籠を手にとって抱え出した。逃げる事はなく、地べたに座ったまま、少女はじっとわたしを見つめる。


「人食い熊でも来たのかと思っちゃった」


 そう言って少女がくすりと笑うのを見てわたしは安心した。身体は小さいし随分と痩せているけれど、よく見れば自分と同年代の少女だ。それだけで妙な親近感がわいて、わたしもまた少女の傍に座った。

 カラス達が妙に警戒している。少女との時間を邪魔されたくなかったのだろうか。


「こらこら、怒っちゃ駄目」


 そんなカラス達に少女は言った。


「せっかくのお客様よ。この人はね、町の子達とは違う人よ。聖域の外から頻繁に来る魔女っ子さん。そうよね」


 問いかけられ、わたしはぎこちなく頷いた。

 この子もきっと日別の子なのだろう。それなのに、こんな危険な場所に武器も持たずに軽装で籠だけ持って一人きりでいるなんて、御両親は知っているのだろうか。


「人食い熊が出るの?」


 話題探しも含めて訊ねてみれば、少女は妙に明るく頷いた。


「うん。昔から言われているの。この森林には人食い熊の一族がいるから一人で入っちゃいけませんって。だから此処に居るの。此処に居たら、熊にも会えるかなって」

「どうして?」

「わたし……日別に居場所はないもの。お父さんもお母さんも朝が来るなり家からわたしを追い出すし、町で遊んでいても同じ年頃の子達はわたしのことを嫌って、ひどい言葉を投げかけてくるから」

「そんな……」


 信じられなかった。日別の人たちがそんな事をするなんて。やっているのは子供なのだろう。だが、子供のそんな行為を咎められるのは大人だ。その結果、この少女が居場所を失くして危険な森林の中に一人きりで入るなんて事態を、どうして放っておくのだろう。

 いや、そもそも、何故、この子の両親は朝になる度に家から追い出すなんていう非情な事をするのだろう。


「帰って来る度にお父さんもお母さんも冷たい目をしているのが分かるの。わたしは誰にも望まれていない。だからいつもここで熊を待っているの。希望のない明日を迎えるくらいなら、いっそ熊に食べられてしまいたいから」


 カラス達が心なしか寂しげに鳴いた気がした。

 座り込んだままわたしは少女の顔をじっと見つめてしまった。

 放っておくことが出来ない事態等初めてかもしれない。聖域の外では多くの事が自己責任で片づけられるものだが、聖域という揺りかごに飛び込んでしまえばわたしもまた余裕のある態度がとれるらしい。


「ねえ、明日も此処に居る?」

「……生きていたら、多分ね」

「じゃあさ、明日、わたしも此処に来ていいかな?」

「いいけれど、どうして?」


 我ながらどうかしている。今思い返しても、そう思う。だが、この時はこの名も知らぬ少女が気になって仕方なかった。本当に熊に食べられてしまったらどうしようと思うと、放っておくことが出来なかったのだ。

 だから、言ったのはわたしの方が先だった。


「あなたとお友達になりたいの」


 少女は驚いていた。拒まれたらどうしようという不安が過ぎったけれど、すぐにその不安も去った。屈託のない少女の笑顔を見る事が出来たからだ。


「そんな事言われるなんてびっくり。でもいいよ。明日もその気持ちが変わらなかったら、ぜひとも此処に来てね」

「うん!」


 純粋に嬉しかった。思えば、友達を作るなんてことも殆どなかった気がする。聖域の外で修行に励んでいた頃は、魔物の子供なんかと仲良くなる事はあった。けれど、一人前になってからはそういうこともない。魔物の子供はわたしを警戒するし、大人達はもっと警戒する。人間もそれは同じこと。笑顔の仮面でみんな隠しているだけだ。

 でも、この子は違う。


「あなたはなんて名前なの?」


 問いかけられ、わたしは戸惑った。この時までわたしはずっと魔女と呼ばれてきた。聖域外の魔女と呼ばれるくらいの付き合いしかしてこなかった。師匠に考えた方がいいと呼ばれた意味がようやく分かった。


「えっと……わたしは魔女でいい。魔女でいいの」

「え? お友達になるのに? 名前で呼びたいな」

「……実は名乗れる名前を持っていないの」


 一人前の魔法使いは名前を封印する。それだけではなく、里で親に貰った名前は特に聖域の中では簡単に名乗ってはいけないと聞かされて育っていた。自分から友達になりたいと言っておきながら心苦しかったが、どうしようもなかった。

 だが、この子は思ってもいなかった事を言いだした。


「じゃあ、わたしが考えてもいい? 何がいいかな?」


 驚きつつ、わたしは答えた。


「出来れば鳥の名前がいいな」

「鳥の名前……じゃあ、からすってのは?」


 カラス達が羽を広げる。まるで喜んでいるようだった。


「わたしにはこの通り、カラスの友達しかいないものだから……」


 恥ずかしそうに笑いながら付け加えていた。

 それにしても、鴉はなかなかいい提案だった。カラスは聖典にも出てくる神聖な鳥だ。それは聖域を不要と考える師匠にとっても同じで、揺るぎない信仰がそこにはあった。


「うん、とてもいい。鴉ってこれからは名乗るわ。有難う」


 笑顔でそう言うと、少女はほっとしたように笑った。


「よかった。じゃあ、鴉。わたしの名前も教えるわ。わたしはね――」


 それが茜とわたしの始まりだった。


 その日から、わたしは売り物が尽きるまで朝は行商、昼は茜の元、夜は宿という生活を繰り返し続けた。話したのは取り留めのない事ばかりだ。茜は特に聖域の外の話について興味を持っていた。聖域の外でも暮らす事が出来ると知って、驚いているようだった。

 いつか勇敢の国の外でも生活してみたい。

 そんな夢を語る彼女の姿が嬉しかった。その時は一緒に旅をして、彼女にも基本的な魔術を教えたい。魔物との付き合い方を覚えれば、茜だってわたしのように暮らす事が出来るはずだ。

 そんな夢を胸に、わたしは茜と静かだけれど穏やかで幸せと言える日々を過ごしていた。


 思い出せば思い出すほど手が届きそうで辛くなるくらい愉しかった日々。手を伸ばしてももう届かない思い出。でも、仕方がないのだ。茜はもういない。

 あの日、全てが終わってしまった。

 突如現れた、明松の手によって。

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