15.ずっと一緒に
鵺の言っていた事は本当だった。
サヤの下で寝泊まりするようになって数日も経つと、幾ら横になっても疲労感が増していくばかりのような気がした。
別に果実が悪いわけではないだろう。ただ、剣としての私の心が変に気負ってしまい、振り回されてしまうだけのことだ。
だが、こんな日が続けばよくないのは分かりきっていた。
サヤには隠そうとしてきたが、隠し切れていない。私が疲労を溜めれば溜めるほど、サヤは自分の所為だと責めてしまう。その姿が更に私の心を蝕もうとする。
神は、そして赤い天使は何故、我々をこのように産み落としたのだろうか。
聖樹を守るために生まれたのなら、常に傍に居なくてはならないくらいの身体にしてもらいたかった。なんなら、自我などいらなかった。思い悩まなくてはならないのは何故なのか。夕暮たち機械人形よりも心を持たない武器として保管されるだけの存在でよかったのに、どうして私は人として弱々しい心と共に生まれてしまうのだろう。
サヤと一緒に居ればいるほど、くだらない悩みで頭がいっぱいになってしまった。
「カタナ……どうかあなたも横になっていて」
就寝時、寝台に入るサヤにそう言われつつも、私は窓の外を眺めるのを止めなかった。座りながら、或いは立ちながらうたた寝するほうがまだ落ち着けた。横になって眠るのにはある種の恐怖すら感じてしまう。
何故なら、鴉がまだ戻ってきていないから。
白椿の訪問もまだだ。
最後に彼女が此処を去って、何日経ったのだったか。
「サヤ。心配しないで。私は大丈夫だ」
「大丈夫じゃないわ。顔色が悪いもの」
「そうかな。でも、具合は悪くない。こうしている方が楽なんだ」
「……カタナ、こっちに来て」
甘えるような目付きで手を伸ばされれば逆らえなかった。
素直に近づいて枕元に座れば、サヤは迷うことなく私の腰に抱きついてきた。昔、よくこうして甘えてきた事があった。今でも時折、サヤは甘えてくる。そう言う時の彼女は、普段の勇ましい巫女の姿をしていない。
朱鷺がいつか言っていた。
サヤの孵化に私は立ち会っていない。勇敢の剣に見守られずに卵の殻を破ってしまったことは、果実の心に深い影響を及ぼしてしまう。幼い頃甘えられなかった分、不安定さが私たち二人の間には常に横たわっているのだと。
「今宵は傍で一緒に寝て欲しいの」
サヤは言った。
「怖い夢を見てしまいそう。そうなったらわたし、果実として生まれてきた事を呪ってしまいそうで恐ろしいの」
「サヤ」
震えるその背を撫でながら、私は言った。
「呪ってしまったっていいんだ。サヤが怖い思いをしている分、勇敢の民は魔物の恐怖から逃れられているのだから」
しかし、サヤは頑なに否定した。
「いいえ。呪ってはいけないわ。負の感情を溜めた日には必ず、夢の中で偽りの天使が現れるの。優しげにわたしの名前を呼んで手招きするけれど、あれは天使なんかじゃない。あれがきっと悪魔なのだわ。それが怖いの、カタナ」
「分かった」
そのあまりの恐がりように、私は根負けしてしまった。
「今宵は悪夢から守ってあげるよ」
サヤが求めるのならそうしよう。この子が落ち着いて深い眠りにつくまで、傍に居てあげよう。いつもならこの役目は朱鷺のものなのだろうけれど、毛皮を返すまでは私の役目に違いないだろう。
貴重な事であるし、有難いことだ。サヤが求めてくれれば嬉しいくらいには、勇敢の剣は果実の傍にいたいと思うものなのだから。
「約束よ。傍に居て。いつかわたしが死に攫われた時は――」
「……サヤ」
その話は出来れば聞きたくない。
サヤの身体を抱きしめて、その震えを全身で受け止めながら、私自身が震える事のないように、必死に耐えていた。
「君とずっと一緒に居たい」
思い出すのは初めてサヤと引き会わせられた日の事。
胸の痣の意味など半信半疑だった私を、一瞬にして信じさせたあの光景は、今でも脳裏に焼き付いている。聖樹の下で私の訪れを喜ぶ小さな女の子の姿。七つ下の姿をしたサヤは、息が止まってしまうかと思うくらい魅力的な存在だった。
その時の感覚は今でも強く残っている。
ずっと一緒に居たい。未来を生き続けたい。神に定められた時を生き抜いて、穏やかなまま聖樹に魂を返したい。
その想いはひたすら強く、私の心に宿り続けていた。
「聖樹が御許しになる限り、君の傍で戦い続ける。だから……だから――」
言葉に詰まり、唇を噛む私の手をサヤもまたぐっと握った。
「御免なさい、カタナ。あなたに甘えてばかりのわたしを許して。果実はどうしてこうも無力なのかしら。あなたのように戦う力があったらいいのに」
責任感の強さは果実ならではのものだろう。
一般の十五、六の少女などあまりよくは知らないけれど、自分の過去を振り返れば、サヤはあまりにも真面目すぎる。
「サヤ。君の御役目は尊いものだ。戦う私には出来ない方法で君はこの国を支えている。勇敢の聖樹を守れるのは君だけ。だから、もう君は十分戦っているんだよ」
語りかけながら、私は虚しさを感じていた。
こんな言葉が何になるのだろう。サヤの不安の全てを取り除いてやることなんて出来ない。私がサヤの為にしてやれるのは、大人として振る舞う以外ないのだ。弱音なんて吐いてはいけない。死を繰り返しながら戦う私にとっての唯一の救いは、サヤの存在が此処にあるということだけなのだから。
「有難う、カタナ」
それでもサヤはそう言った。
「……有難う」
震えながら縋りついて来る少女を抱きながら、私はこの神殿を取り巻く不穏を肌で感じていた。支えながら視線を動かせば、映り込むのは黄金の毛皮。
鴉はどうしているのだろう。
白椿には会えただろうか。言葉は伝わっているだろうか。
彼女が会いに来ない限り、そして鴉が戻って来ない限り、この不気味さは解消されないままなのだ。
あれから明松の目撃情報は数回だけあった。私が襲われた時と同日、怪しげな女が去っていく所を下っ端の番人が数名目撃したというものであった。だが、あれからぱったりと目撃情報はなかった。
鴉はどうして戻って来ないのだろう。
白椿はどうして受け取りに来ないのだろう。
待てば待つほど不安は増大するばかり。早くこの毛皮を返してやりたいのに、受け取りに来なくてはどうにもならない。
傍ですやすやと眠るサヤの匂いに包まれながら、私は窓の外に広がる夜を眺めた。
夜風の中にいつ鴉が紛れていてもいいように、サヤよりも人間味のある少女の匂いがいつ近づいて来てもいいように。或いは、その鴉の言葉を受けた白椿のケダモノの気配が近づいて来てもいいように。
だが、今宵もその気配は全く感じられなかった。




