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勇敢の剣  作者: ねこじゃ・じぇねこ
第1部 カタナ
10/63

10.墓参り

 日が傾いてきた。

 私は一人きりで剣と果実の墓の前より崖の向こうの美しい眺めに浸っていた。

 心を落ち着ける為に来たものの、まだそわそわとしたものが残っている。きっと、鴉が現れないからだろう。

 戻るか否か度々迷い、結局、今まで此処に居る。

 此処に着たのは昼前だった。朝食後、止める者のいない内にさっさと御殿を後にした。サヤと会えない御殿など、ただ寝泊まりするだけの場所。西の空と緑、時折聞こえるあらゆる鳥の声をぼんやりと聞きながら、私は無心を保っていた。


 此処は静かだ。

 本当に鳥や虫の声しかしない。その一つ一つの言葉が分かるのなら騒々しいのかもしれないけれど、生憎そんな力は持っていないので助かった。

 聞こえてくる声の一つ一つは当り前の生き物から、魔物の血が混ざっているものまでさまざまだろう。ひたすら美しく、癒しにしか思えないあの緑の世界もいざ住んでみれば、私がかつて嫌悪していた都の裏通りのように汚らしいものがある。

 人間の世界も、人外の世界も、あまり変わらない。


「あるのは騙し合いばかりか……」


 今はどれだけの騙し合いが行われているのだろう。

 そういった策略は、どのくらい果実や剣に脅威をもたらしてくるのだろう。


「此処に居たのね」


 背後より聞こえてきたその声で、無心を保っていた体勢が一瞬で崩された。

 振り返れば、そこにはずっと待っていた姿があった。

 鴉。

 昨日、立ち去ったままの姿で少女はそこにいた。墓石にそっと手を触れ、ちらりと見上げてから、私の顔を今一度見つめてきた。


「此処は……あなた達の御墓?」

「ああ、そうだよ」


 軽く答え、そのまま私は背を向けた。

 いつか入る墓の場所を気に入っているとは不吉な事だ。

 だが、どうせ死は避けられない。不死の身体を持っていても、終わりはいつか来てしまう。いつ訪れるかの違いだけ。

 私の魂は、死ねば聖樹によって抜き取られ、次なる胎児に宿ってしまう。此処に眠るのは思念だけ。私がこの身体で産まれ、育ってきたという思念だけが此処に残る。

 思念と魂、どちらが本当の私なのだろう。


「『勇敢の名を与えられし狼。古のその牙で新しい時代の覇者として人々に勇気を与えるだろう』」


 語る声が聞こえ、私は再び振り返った。

 墓石の隣に立つ石碑に刻まれているのは古代の文字だ。鴉はそれを読んでいた。そのまま読みあげているのではなく、訳しているのだろう。


「読めるのか?」


 意外だったのは、その古代文字の解読法もまた二百年前に大半の資料が消えてしまったからだ。辛うじて残った資料だけでは全てを解読できず、当時の古代文字の専門家も多くが後世にその知識を遺す前に戦火に包まれてしまった。

 その為、二百年経った今でもその全てを訳す事が出来ずにいる。この石碑に至っては、狼だとか勇敢だとかそういった単語しか解読されていなかった。

 しかし、鴉はすらすらとそれを読み上げたのだ。


「『大神の残した娘として、黄金の果実を守り続ける。折れぬ剣は心の表れ。何人もその牙を奪ってはならない。善良なる者も、欲深い者も、赤き淀みに気をつけよ。誰しも陥る罠がある。赤い翼をした……姿……耳を貸しては……』」


 そこまで言って、鴉は首を振った。


「駄目ね。文字が潰れてしまって読めない。誰かが削ってしまったんだわ」

「罰当たりな奴だな。それにしても、驚いたよ。聖域外にはまだ古代文字の資料も残っているのか?」

「ええ。聖典と同じく、戦火を逃れたのでしょう」


 かつてはこの国にもあったのだという資料。せっかくこうして触れる機会があっても、後世に伝えなければ意味を成さない。口伝でもいいが、出来れば形の残るもので伝えた方がいいだろう。

 勇敢の剣は死して代を重ねるのだから。


「君たちの一族の事を神殿の者にも知ってほしいものだ。無くなったはずの資料があると分かれば、誰もが慌てて写しを作るだろう。そうなれば、果実も剣も、もっと長生き出来るはずだ」

「信じて貰えるのなら、私だって故郷に戻って皆を説得するわ」


 溜め息混じりに言いながら、鴉は私の隣に座りこんだ。


「でも、無理なの。これまでに十分思い知った。この国の多くの人は、聖域の外に住む魔女なんて信じてくれない。何かあったら、真っ先にわたしを疑う。都の通り魔事件もわたしが魔女だって分かるや否や、すぐに疑われた。一緒に生き残った人たちが口を揃えて違うと言ってくれたお陰で疑いは晴れたけれど、そういうものなの」

「……そうか」


 意外な話ではない。

 勇敢という言葉は元々嫌いだった。

 その言葉を与えられた民たちは、いつだって自分と違うものをはっきりと拒絶する。攻撃的に不快を示し、指をさして非難する。それを勇気だと言い張った。嫌がらせではない、不条理でもない、彼らからしてみれば合理的に全てを守るための判断。並みの者と少し外れたものを排除する勇気こそが、国を守るのだと信じている者が多い気がした。

 その為ならば、運悪く孤児になってしまった者に石を投げてもいいのか。

 孤児が何故、盗みを働くのか。何故、保護するはずの施設から逃げ出す者たちまでいるのか。誰もその問題を見つめない。

 同じような事が、毛皮とされる獣人達や、鴉のような余所者にも起こり得る。さらに、昨日まで一緒に指をさしていた者も、ほんのささいな事がきっかけで此方側に転落する。

 これがこれまでに私の見てきた勇敢の国の民。

 だから、勇敢という言葉は嫌いだった。しかし、私はその勇敢の化身。この国を守るための――或いは、支配するための武器。


「でも、頭の柔らかい奴もいるはずだ。君さえよければ、君の事をそれとなく魔術師長辺りに伝えておきたい。彼らは下手な神官よりも物分かりがいい。神官長や側近にいきなり告げに行くよりもましなはず」

「……魔術師長ともあろう方々が、わたしなんかの話を聞くかしら」


 疑い深く鴉は言った。


「彼らは彼らで誇りがあるはずよ。聖域外の魔術に興味を持ってくれるとは思えない」

「いや、持つはずだ。彼らはただの魔術師じゃない。黄金の果実や勇敢の剣について日々研究している身だ。研究者として聖樹を守る為ならば、固定概念なんて取り払える人たちなんだよ」

「本当?」


 美しい目に不安をいっぱい含んだまま鴉は私を見つめてきた。

 その表情はまさにサヤと同じくらいの年頃の少女であった。魔術は大人以上に使えたとしても、やはりまだ子供なのだ。一人で此処まで来るくらいまで自立しているのだとしても、彼女が知らないことだって沢山ある。

 勇敢という言葉を今では少しだけ受け入れられる。

 それは、此処に引き取られてからやっと勇敢の民にも柔軟な者がいると分かったから。大人数が見放した者に手を差し伸べる類の勇気がある者もいると分かったからだ。


「本当さ。嘘だと思うのなら、自分の目で確かめてご覧よ。朱鷺という女性が果実の主治医で、鵺という男性が私――剣の主治医だ」

「朱鷺と鵺……鳥の名前」

「君もそうだね。魔術師の中でも、鳥の名前を持つのは彼らと……あとは、彼らの弟子くらいかな。本名ではなく、通称らしい。魔術師にはよくあると聞いていたけれど……」

「わたしもそう。一人前の魔法使いは本名を名乗ってはいけないの。鴉っていうのは、大事な人に貰った名前。絶対に鳥の名前にしなさいとだけ師匠が言っていたから、その名前を喜んで受け取ったの。……そう、神殿にも鳥の名前の魔術師がいるのね」


 しみじみとしたものを浮かべながら鴉は言った。

 その横顔に向かって、私は訊ねてみた。


「鳥の名前って言うのには、意味があるのか?」

「魔術の源流を示している、って師匠が言っていたわ。鳥、獣、花、虫が多いけれど、その中でも鳥は古いものなの。鳥の名前を使うということは、鳥の名前を持つ人の下で修業をしたと言う事」

「へえ。じゃあ、彼らも君と同じ流れの魔術を学んだということか」

「不思議ね。戦火と時間で多くのものは消えてしまっても、言葉ではないものはちゃんと残っている。だから、御殿の結界もきちんと張られているのだわ」


 鴉は振り返り、御殿のある方向を見つめながらそう言った。


「結界か……あれはしっかりとしたものなの?」

「ええ。あれのお陰で悪魔は一人きりでは御殿に忍びこめない。剣や果実があの場所に居る限り、直接接触する事は出来ないの」


 悪魔を弾く。

 結界を維持している魔術師たちも、似たような事は言っていた。しかし、彼らが言っていたのは災厄を弾くという言葉であり、具体的に悪魔という存在については何も言っていなかった。きっと、彼らも知らないのだ。悪魔というものが本当にいるなんて。

 私だってまだ半信半疑だった。あの白い人狼が残していった痛みがなければ、一生、信じなかった事だろう。


「なるほど、じゃあ、御殿で守られている限りは悪魔とかいう奴にサヤが奪われることもないのか?」

「いいえ……そうはいかないの。結界は簡単に突破されてしまうわ。悪魔は結界を越える為に人に取り憑く。結界は悪魔を弾く事が出来ても、悪魔を宿したばかりの人間は通してしまう。そうして色々な人を使い捨てて、宿主を変えて、少しずつ果実と剣に近づいて行くの」

「……それは怖いな」


 不気味だった。

 人の心に闇がある限り、悪魔はいつでもあの場所へ侵入できるということだ。では、これまでの剣が短命だったのも、悪魔の仕業なのだろうか。記録に残されているのは剣と果実の名前と、果実を奪った大罪人の名前。そして人々の記憶に残されているのは、絶望の風景と、命を燃やした尊い先代の剣の姿だけ。

 私のことを彼女の生まれ変わりだと皆は言うけれど、覚えていないその光景はなかったも同じ事。彼女が一体何と戦っていたのか、その光景を見てきた者達の言葉と、残されていた簡潔な資料だけではちっとも分からないままだった。


 ――しかし、それもまた悪魔の仕業であったのなら……。


「悪魔は常に複数の候補者に目を付けている。すでに忠実なしもべを連れていても、いつでも使い捨てる準備をしているの。最終的には剣や果実そのものを手にすることを目指している。その為に、少しずつ負の感情と力とが悲劇を呼び寄せ、時には作りだすの」

「作りだす?」

「ええ。人を操り、小さな不幸を連鎖させて、やがては大きな不幸を呼んで悲しみを生みだすの。そのなかから負の感情を溜めた人たちを並べて、気に入った人物の前にだけ現れる。そして……美しく妖艶な女の姿で囁くのよ」

「……女」


 ふと左胸に痛みが走った。

 あの女人狼にやられた事を思い出したのだ。

 小刀には悪魔の力が宿っていると彼女は言っていた。それをくれた者はどんな者だったのか。口走った程度だが、たしか女だと言っていなかっただろうか。


「『私は味方。あなたに力をあげる。不幸を退けるほどの力を。そして願いを叶えてあげる。あなたの無念を晴らしてあげる。全ての願いを私が叶えてあげる』そう言って、彼女は手を差し伸べるの。断られたとしても、すぐには諦めない。何度も現れ、少しずつ洗脳していこうとする。それでも、手を取らない相手には――」

「鴉……?」


 細い身体が震えている。顔はすっかり青ざめている。心の底から怯えているようだった。窺う私に目を合わせないまま、鴉は俯いた。


「呪いをかけてしまうの。悪魔は一生、その人の前に現れ続ける。抵抗し続けるのなら、安らかな死は与えられない。ずっと脅し続けられるの」

「鴉……まさか君は」


 まだ子供なのに、サヤと変わらぬ年齢の子なのに、鴉は自分の胸に震える手を置いてから、頷いた。


「わたしはもう呪われてしまった。これから先、生きている限り――ひょっとしたら死んでからも、わたしは悪魔に悩まされ続ける。その手を取るまで攻撃は止まない。手を取らないのなら、わたしにはもう安らかな死は訪れない」

「そんな……」


 まさに悪魔と呼ばれるだけの者。

 人に罪を唆し、自分には出来ないことをさせて聖樹の命を狙う者。神や天使の意に反するその危険な存在の歴史が、どうして消え去ってしまったのだろう。

 そこまでしてどうして聖樹を枯らしてしまいたいのだろう。


「わたしと同じく苦しんでいる人は他にも居るはず。もしかしたら、あなたが知らないだけで、神殿の中にもいるかもしれない。でも、絶対に屈しては駄目。どんなに悪魔の囁きが魅力的でも、あの女の囁きを信じて果実に手を出してはいけない。此処に来てやっと、それが分かったの……」


 まるで自分に言い聞かせているかのように鴉はそう言った。

 その横顔を見つめながら、私はふと思い出していた。


「君は、初めて此処に着た時、果実を欲しがっていたね」


 そんなに前の事じゃないのに、もはや懐かしい。神官長が都にいるこの短期間にも、あらゆることが起こっている。


「その果実を欲しがっていた理由と、悪魔に接触された事には関係があるの?」


 慎重に訊ねてみれば、鴉は俯いたまま頷いた。

 今にも泣き出しそうに見える。しかし、私は敢えて訊ねた。


「その理由を教えてくれないか。私に出来る事はないだろうか」


 鴉は案の定、涙を眼に浮かべて俯いた。万に一つの可能性に賭けてみたが、失敗だったのかもしれない。そもそも私に出来る事ならば、何も果実に手を出す事もないだろう。けれど、意外にも鴉はこう答えたのだった。


「……そう言ってくれるのなら、あなたも絶対に悪魔に屈しないで」


 小さな声で彼女はそう言い、涙を隠さないその両目で私を見つめてきた。


「時々、こうしてわたしの言葉に耳を傾けてくれるだけでいい。それだけで、過去とは決別できる。だからどうか、わたしの願いについては聞かないで……」

「分かった」


 短く答えれば、鴉はほっとした様子を浮かべ、両目に浮かぶ涙を拭った。


「そろそろ日が暮れてしまうわね。戻らなくてはいけないのでしょう?」

「ああ、もうそんな時間なのか……」


 立ち上がると、鴉もまた立ち上がる。


「剣のあなたが柔軟な人でよかった」


 鴉はそう言って一歩二歩と下がった。


「わたしはいつでも見守っているわ。何かあったらまたあなたに知らせる。だから、あなたも気を付けて」


 そう言って、私の返事など待たずに彼女の姿はまた風の向こうへと消え去ってしまった。

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