008 人を人ならざるものに変える呪い
ハギの能力は、もはや口伝と呼べる領域まで高まりつつあった。
その名は<金鶏暁夢>。
天空を飛ぶハトジュウの送ってくる俯瞰情報とヤクモの送る周辺地形情報と自分の視界で捉える情報を組み合わせて、空間認識を高めるとともに3Dミニマップを作成・表示させる異能だ。
口伝の開発に成功したあざみやディルウィードの話では、開発した口伝は新技として登録されるはずであるが、まだその段階にはいたっていない。
ステータスの技名一覧は灰色のままで選択もできないのだが、なんとなく使用できている状態である。
ひょっとすると、ヤクモやハトジュウの送ってくる情報の精度、またはそれを統合処理する空間認識能力に不十分な部分があるのかもしれない。
しかし、この力は不完全ながらも、二次元ミニマップさえ表示されなくなった現在では大きな索敵能力の向上となっている。
3Dマップには、右奥の地上近くに三体の、おそらく<大地人>と思われる印が表示される。
ハトジュウの高度により、その印までの距離が変わってしまうのが欠点だが、およそ300m程先であると推定した。
そのくらいであれば<冒険者>の視力であればはっきり見えるはずだが、遮蔽物があって視線が通らない。そういう場面でこの能力は非常に便利である。
おそらくは正確に距離が割り出せるようになったり、ハトジュウが高く飛べないダンジョンなどでも使用できるようになったりすれば、口伝として大活躍することになるであろう。
ただしハギの人の良さが災いして、料理を作ったり、イクスにも使える呪符を作ったりと、己の能力を磨く時間を削っているのがこの技の向上の妨げになってしまっている。
予想よりも50mほど近くに<大地人>たちはいた。実践なら命取りのミスだ。
三人の<大地人>たちはハギを見つけると次々に噂し合った。
「頭がオオカミの敵が出た」
「手足が蛸のようだった」
「地面を叩きつけたとたん爆発のような振動が起きた」
「南の方に走り去った」
話を聞き終わると、ハギは桜童子に念話で連絡を入れようとした。
しかし誰かと念話している最中なのであろう。繋がらず、バジルに連絡を入れてみた。
(おう、ハギの介かー。どうした?)
「バジルさん、<P-エリュシオン>にいますか?」
(おう。オレ様は昼寝の最中だー。さっきの地震で目を覚ましちまったがな。しかし春ってのは眠くていかん。ふああぁああ)
「じゃあ、バジルさんじゃ、ない」
(んあ? オレ様がなんだって?)
「ちょっとばかりとんでもない敵が出たようです。数日前、舞華さんを拾った花の山の方に追っていきます。リーダーに連絡しておいてください」
ハギの足元にはクレーターのような大穴が空いていた。
■◇■
桜童子と念話していたのは意外な男だった。
「たんぽぽには連絡してやんねーのかい? ハハ、柄じゃねーって、そんなキャラ気にする必要もねえんじゃないのかい? ハイハイ、あんがとよー。友だち早く見つかるといいね、んじゃ。あいよー」
「ん? ひょっとして師匠からか? ウサギのあんちゃん」
ユイは目をキラキラさせながら、桜童子を見つめた。
「ああ、そうだ。ヨサクからだったよ」
ヨサクは【工房ハナノナ】にゆかりの深い人物である。
<妖精の輪>を使って旅をしながら友人であるロンダークという青年を探している。ただ極度の方向音痴らしいので運悪ければ他サーバーにいることだってある。今は、アキバ付近にいるらしい。
桜童子は何もない空間を見つめて言った。
「浮立舞華さん。聞こえているだろう。まだ君がここを通過して十分経っていないはずだ。君がここに現れた経緯をだいたい掴んだよ。こっちで話をしないか」
鍛冶小屋の前でシモクレンと話し合っていた舞華は話をやめてロビーに出てきた。
「すいません。聞いていました」
案の定、例の能力をオンにしておいたのだ。舞香は謝ったが桜童子に責めるつもりは毛頭ない。
「じゃあだいたい思い出せたかい? ここに来た、経緯が」
「いえ、それはまだ」
桜童子の勘は、偶然ヨサクからもたらされた情報によって確信に変わった。
「<二姫の竪琴の糸巻き>をネックレスにしたのは、飛羽という女性だった。彼女とヨサクは今飲んでいてね」
「あざみねーちゃんには聞かせられないね」
ユイは頭の後ろで手を組んで仰け反った。あざみなら今、サクラリアと買い物に行っている。桜童子は舞香にユイの隣の椅子を勧めた。
「偶然<ウフソーリングトライアングル>の話が出たから連絡をしてくれたのだ。実は昔<絶海馴鹿>を目覚めさせるクエストにこの飛羽という女性は参加していたそうでね。昔といってもゲーム時間で三十年以上になるが、おいらたちの時間で言えば、三年ほど前のことだ。その時の記念として、その糸巻きを所持していたそうだ。秋ぐらいに思い出してお守りにしていたらしい。それをつけているとレベルアップも順調にすすみ、冬頃にはレベルも91に達したのだそうだ」
桜童子は舞華が<サンライスフィルド>にやってきた経緯を話すのではなく、飛羽という<冒険者>のことを語り始めた。
えらく回りくどいようだが、舞華は気にならなかった。
「そしておいらたち【工房ハナノナ】やヨサクたちが<ウフソーリングテリトリー>に至った頃、彼女は<アキバレイド>と呼ばれる戦闘に加わっていた。アキバに現れた殺人鬼を討伐するための戦いだ」
「殺人鬼」
舞華はポツリとつぶやいた。
「ああ、アキバの街に殺人鬼が現れたのだが、実はプレーヤータウンの外でも殺人鬼が現れていた。飛羽女史は被害者を目撃したそうなんだが、オオカミに食いちぎられたような無残な姿で<大地人>少女が亡くなっていたそうだ」
それまでふんぞり返って話を聞いていたユイの表情が突然険しいものになった。
彼は<古来種>をめざすものであり、被害者と同じ<大地人>である。同胞の無残な死に憤り、その原因となった殺人鬼に激しい怒りを覚えたのだろう。
「飛羽女史が<アキバレイド>に参加したのは、もちろん参加要請が来たからでもあったが、その殺人鬼を捕らえることができると考えたからだそうだ。残念ながら違ったのだが」
「あんちゃん! 誰が殺したんだ!」
ユイは自分の怒りを制御できないほど憤っている。
桜童子は手で制した。
「そもそもアキバの殺人鬼は刀の呪いを具現化したような男だったらしい。刀ではオオカミが食いちぎったような痕にはならんだろうね。その男が捕縛されたあともアキバの外では犯行が続けられていた。犠牲者はひとりでは終わらなかった。<大地人>や<冒険者>の子どもが連続して狙らわれていたそうだ。だが、その<アキバの外の殺人鬼>は、二月の初めを最後に、犯行をやめた」
「捕まったのですか?」
舞華は訊ねた。
「いや、それらしい報告は聞いていないそうだ。ただ、舞華くん。君は飛羽という女性を知っているかい?」
「いえ」
「<二姫の竪琴の糸巻き>は飛羽女史から君の手に渡っている。直接面識のない二人の間をつなぐには、誰か別の人物が中継しなければならない」
舞華の脳裏に一人の人物像が浮かび上がった。
「ダリエル」
「何か彼に関して衝撃的な出来事があったようだね。舞華くん。君は彼に関する記憶の一部を封じ込めてしまっている。君はプレゼントとしてそのペンダントをもらったはずだ。少なくとも飛羽女史からはダリエルとの接触があったことは聞いている」
「ダリエルがぼくに?」
そうだったかもしれない。舞華の記憶が断片的に蘇る。
「言葉巧みに掠め取られたと言っているが、とにかく飛羽女史の手元にあった頃、<二姫の竪琴の糸巻き>に呪いはかかっていなかった」
「呪い?」
「人を人ならざるものに変え、獣を獣ならざるものに変える呪い」
そう言うと桜童子は<絶海馴鹿>を召喚した。
愛らしいトナカイの姿は半身のみで、半身は銀の鱗のような鎧に覆われてしまっていた。
「つノに、…かけタだけで、わラわも……コノなりじゃ」
<絶海馴鹿>は<ミニオン>ランクであるとき喋れはしないのだが、糸巻きの妖気のためか<ルークィンジェ・ドロップス>の魔力のためか、途切れとぎれに喋った。
「きっと、君は受け取ろうとしないから、直接魔法鞄にでも押し込まれたのだろう。衝撃的な出来事の後、君は旅を続け、ふとした弾みにその糸巻きのことを思い出した。懐かしさからか寂しさからかその心情までは分からないが、君はその糸巻きを取り出し、首にかけた」
「そうシて人ナらざるものニなっタのさ」
<絶海馴鹿>が嘶くような素振りで喋ったところに、イクスとバジルが部屋から降りてきた。
「わ、にゃあの介。お前、なんでこんなところで召喚してんのよ」
「エースちゃんがメタリックなことになってるにゃ」
桜童子は二人を無視し、舞華に話しかけた。
「君は<時計仕掛けの梟熊>の姿になって<妖精の輪>に飛び込んだ。だから、君には<ナインテイル>に渡った記憶がないんだ。そうしてこのバジルやイクスに追い立てられ、首飾りが外れたところで呪いが解けたのさ」
「え、え、あの時追い詰めたのって、この<小説家>の姉ちゃんだったのか」
「危なかったにゃ! 死にかけだったにゃ! よかったにゃー!」
バジルが無造作に<絶海馴鹿>の角にかけた首飾りに手を伸ばそうとする。
「サわるデない。オオカミオトコ」
舞華は動揺する。
「ぼくは……」
「よほど傷心のまま旅を続けたんだろう。ろくに寝てもいなかったかもしれないね。ここに運び込まれて四日も寝続けていたんだから」
「え? 四日も?」
「暦もついに3月になっちまったが、その間、こいつらが看病し続けたんだ。許してやってくれー」
「ウチも看病したんやで」
裏庭からシモクレンも現れた。
「変に思わんかった? ピックニックに行ってご飯食べとったんに、すぐまたハギさんのご飯食べとるなんて」
「おお、そうだ。にゃあの介! ハギの介から連絡あったんだ」
「なんだって?」
「なんだかヤバそうな敵が出たらしいぜ。この娘が現れたあの山辺りに逃げてったらしい。今追跡中だ」
「そういうことは早く伝えるにゃ」
イクスがバジルをたしなめる。
「バジル、イクス、ユイ、レン。ハギを追って行ってもらえるかい? あいつひとりじゃ手に負えない相手かも知んねーぜ」
桜童子が指令を出すと、<絶海馴鹿>が止めた。
「ソこの童か、猫娘。この飾りをトれ」
「いいのかい? エースちゃん」
「どうなるカは分かラんが……ご主人やオオカミオトコよりはマシなはずじゃ」
目配せで指示を受け取ったイクスは角からおそるおそる首飾りを外し、自分の首にかける。
<絶海馴鹿>の体に霧が現れ元の姿に戻るのと、イクスが異形の姿に変貌を遂げるのは同時だった。
「うぉおお、シャドームーンに変身しやがった」
そう言って驚くバジルの胸をイクスは小突く。
「なんにゃ、シャドームーンって」
「ぐぼ、ごほ! 手加減しろよ。しかもちゃんと喋れるのかよ」
イクスは銀の鎧に覆われたような姿になっていた。尻尾も耳も銀色になって、しかもちゃんと動く仕組みになっているようだ。
「そんな力込めてないにゃよ」
桜童子は目を細めてじっと見ていたが、頷くと「行ってこい」と言った。
「にゃあちゃんは後から?」
「ああ、頼んだぜ、レン。ユイ。バジル。シルバーイクス」
「あいよ!」
レンとユイは声を合わせて頷いた。バジルも無言で頷く。
「なんにゃ、シルバーイクスって」
イクスが変貌したのは容姿だけではなかったが、本人はまだその事実に気づいていなかったようだ。
「あ、そうにゃ。じょんぐるちゃん」
「え。ぼくのことですか?」
「その赤い双剣、貸してもらえないかにゃ」
「そんな、業物じゃないですけど」
舞華は腰のふた振りの剣を手渡す。ジャグリング用というわけではないから使用に問題はないだろう。
「へっへー。ありがとにゃ。腐れバジルの腐れナイフは軽すぎなのにゃ」
「おめえ、勝手に借りてる身なんだから文句言ってんじゃねえよ。ホレ、行くぞ」