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007 奇想を実行した男

「しょ、処女性!?」


「わ、バカ。しー、しー、しー!」



 サクラリアが素っ頓狂な声を上げるのを、あざみが制している声が聞こえる。

 その後ふたりは声をひそめたようだが、念話と同じ理屈なのか、ぼくの耳にはクリアに届いている。


 一人旅をしていた頃の習慣であるのかもしれない。初めて訪れた場所では<盗聴取材>をついついオンにしてしまう。ぼくは、先程水が飲みたくなってキッチンまで水をもらいに下に降りていった。


 ということは、あざみとサクラリアはひそひそ話をするために、今、キッチンにきているということだろう。

 話している内容から察するに、桜童子の推論を聞いていないサクラリアにあざみが教えているようだ。

 サクラリアは未成年であるから話は聞かせない方が良いという桜童子の判断らしかったが、十八歳は超えているのでいいのではないかとあざみは考えたようだ。


 ぼくからすれば、たとえユイくんに聞かせても問題はないと思うのだけれど、<冒険者>に偏見をもっても困るという配慮かも知れない。


「『本当の姫様は、貞淑たるべし』というのがアンデルセンの言いたいことじゃないかってにゃあちゃんは言ってたよ」


 あざみのひそめた声に合わせて、サクラリアも声をひそめていった。

「だから、なんでえんどう豆で貞淑なの? にゃあ様の言葉をちゃんと聞かせてよー」

 


 桜童子はアザに注目した。


 類話には猫と一緒に現れた王女バージョンがある。猫が入れ知恵して難題を解決させる異類報恩譚だ。


 別の類話では、同じような姫君を登場させ対比して描くことで若干違和感を減少させている。これは、繊細さという部分を納得させるため後の創作と思われる。

 当然ながらこれらの話にアザは登場しない。



 では、なぜアンデルセンは童話らしい要素を削ぎ落として、あえて理解しにくい話として描いたのか。


 それは、言いにくい部分をにごしながらも、言うべきことを象徴的に表すためではないだろうか。つまりこれはあることを伝えるための寓話なのだ。



 削ぎ落とされて残ったものは、「一夜過ごして本当の姫様と認められた」という部分だ。

 一夜過ごした結果、姫はどうなったか。

 姫はよく眠ることができず、アザだらけになってしまった。

 だが、なぜ、厚く積んだマットレスやとても柔らかく重ねた羽毛布団の上で寝た姫が、えんどう豆ごときでアザができるのだ。

 

 「姫は布団の上で動き回ったことを示唆している」というだけでは弱い。寝返りだけではたくさんのアザはできない。


 姫は何かにぶつかったのだ。それは、何に? 

 そしてあくる朝、宮殿の者たちは姫の体のたくさんのアザを確認した。それは、どうやって?


「姫様は雨の中やってきたわけさ」

 あざみの声が聞こえる。

「服も靴も髪も濡れちゃってるわけ。日本じゃないからね、風邪ひかないように熱いお風呂に入りなさいなんて言えないわけさ。せいぜい沸かしたお湯で温めたタオルで体を拭くことくらい。でもすぐ寝なさいってことになったとしても濡れた服ぐらい脱ぐでしょ」


「裸になったってこと?」

「なったわね。そりゃきっと。アザが確認できる程度の薄い服は着ていたかもしれないけどね」


 つまり姫は裸に近い格好をしていた。


「どうやってアザができたの?」

「暴れたんだよ。人が来たから」


「人?」

 これは桜童子の説ではなくあざみの説だ。


「裸に近かったから襲おうとした奴がいるんだよ。王子様が来たーなんて喜んで、拒まず受け入れようとする王女は純潔を守れなかったってことでアウト!」

「えー」

「一方、本当の姫様は必死に抵抗して純潔を守ったのでセーフ!」


 あざみの説は、本質的なところで桜童子に似ている。



 桜童子はもっとミステリ的な考えを持っていた。

 部屋にいたのは王子様自身だ。やってきたのではない。


 いたのだ。


 どこに?


 二十枚重ねのマットレスの中に、だ。

 マットレスは藁を詰めたものが主流だ。その中に潜めるように細工していたのではないかというのだ。

 江戸川乱歩の『人間椅子』にも似た奇想を王子は実行に移した。


 中世の西洋では裸で誰とでも寝るようなイメージをぼく自身持っていたが、桜童子によると見ず知らずの異性と同衾することは当時ですら倫理的に禁止されており、今とそのあたりは変わらないらしいのだ。


 そのような最中、自分の寝床に人が忍んでいたとしたらどうだろう。男の気配がしても「ぐっすり眠れました」という王女が「本当の姫様」なはずがない。

 一方、嵐の夜に現れた王女はぐっすりと眠ることができなかった。

 しかし、王子が潜んでいるだけで王女はどうしてアザだらけになってしまうのか。



 その場にいることを想像すればわかる。

 不気味なベッドでは上手く眠れず、真っ暗な嵐の夜の部屋で、二十枚も積んだマットレスから降りようとすればどうなるか。


 王女は転げ落ちたのだ。そして体を色々な場所にぶつけてしまったのだ。だから薄い服を着ていた王女は体中にアザを作ってしまったのだ。



「でもさ、でもさー。あざみちゃん。どーしてえんどう豆なわけ? えんどう豆だったらなんで貞淑なの?」


 サクラリアは無邪気に尋ねる。あざみはへへーっと笑った。

 江戸川乱歩の『人間椅子』に登場する椅子職人は容姿にコンプレックスを持っていた。『エンドウ豆の上に寝たお姫様』の王子もまたひどいコンプレックスを抱えていたからこそ、異常な行動に出たのに違いない。

 ベッドの下に潜むというのは荒唐無稽なようだが、そもそも客人のベッドに豆を仕込むということ自体が異常だ。つまりアンデルセンが描いた豆を仕込むという行為はベッドに潜むことの寓意なのだ。



「『親指姫』なんて書くような、サイズにコンプレックスのある作者だよ。あれがえんどう豆サイズだったに違いないねー」

「え、ええええ? 何がー?」

「あら、かまととぶってんじゃないよこの子は。だからにゃあちゃんに追い出されるんでしょうが。まあ、不憫だったって話ね」



 嵐の中現れた王女は、そんな王子の妃になって本当に幸せだったのだろうか。

 ぼくはどうしても重ね合わせてしまう。


 誰とも交わることのできない男を求める濡羽の姿に。




■◇■




「リーダーさん」

「あいよ」

 桜童子は鍛冶小屋の前のベンチに座っていた。ここにも梅らしき木があってそこに緑色の鳥がやってきている。それをのどかに眺めているのだった。

「横、空いてますか」

「空いてなきゃおいらをどかせばいいだけの話だよ」

 偏屈な返答というよりは、含羞の態度といった感じかも知れない。



 ぼくは愛想笑いが得意ではないが、このぬいぐるみのような姿で喋るのを見ていたらふと笑みがこぼれてしまう。

「反則ですね」

 ん? という返事を無視して横に座る。



「リーダーさんは、濡羽という女性のことをどれだけ知っていますか」

「そうだなー、<Plant hwyaden>のリーダーで<十席会議>の第一席。狐尾族で<付与術師>だってことくらいかね」

 厳重に情報統制していてもこの程度の情報は漏れるものなのだろう。

 しかし、一般的な<ナインテイル>の<冒険者>に比べれば、桜童子は情報を持っている方だと言えるかもしれない。<十席会議>の席次は公表していないのだ。 


「彼女にはオーバースキルがあります」

「口伝……のことかい?」

「ええ」

 情報を開示すべきか一瞬迷ったが、これは謎を解くためにきっと必要な情報なはずだ。そしてたとえ明らかにしても濡羽にとって不利になるようなことはないとぼくは考えた。


「ステータスを書き換えることによって容姿まで変えることが出来る能力、<情報偽装>といいます」

 あまり驚いた様子もないから、ひょっとすると桜童子は情報の一端を耳にしていたのかもしれない。

「見破ることができないほど巧妙な変装、とでも言えばいいかい?」

「その認識でほぼ間違いないと思います」


「濡羽女史と君は親しい間なのかい?」

「向こうがぼくほどの気持ちを感じてくれているかはわかりませんが、ぼくは親しく感じています」

 

「君が抱えている謎には、彼女が関わっているのだね」


 桜童子は見透かしたようにぼくを見上げて言った。ぼくは、それだけで、たったその一言だけで、頬に涙が伝うのを感じた。



「狐尾族のもつ幻術の力なのでしょうか。彼女は<ダリエラ>と名乗ってギルドホールをたびたび抜け出すのです。普段は美しく漆黒の髪を持つ妖艶な姿なのですが、<ダリエラ>という姿に化けると周りのものたちのほとんど見抜くことはできないのだそうです」

「君はその姿を見たことがないのかい」


「ええ、ぼくは見たことはありません。ひょっとすると目にしているのかもしれませんが確認できていません。ただ、ぼくの<盗聴取材>の能力で、そのことは聞いてはいるのです」


「<盗聴取材>?」

「ぼくのサブ職業の能力の一つです。ぼくがいた空間なら10分間ならばその場を離れても声が聴こえます」


「どのように聴こえるのだい? 例えば遠くの針の落ちた音を聞き分けるような超聴覚ということかい?」

「それならば、距離が離れれば離れるほど聴こえにくくなるはずですが、どこまで離れてもクリアに聞こえます。距離は関係ないようなのです。まるで念話をしているように」


「……空間に仕掛けた強制念話能力、ということかい? ともかく君はその能力で、<ダリエラ>の存在を確認し、濡羽女史であることを確信したということだね?」


 ぼくはそこまで言い切る自信はなかった。ほとんどの記憶は視覚情報をともなったものであるので、聴覚情報だけの記憶というのはいつどこで手に入れた情報なのかともすればあやふやになってしまいがちになる。


「聴いたことは間違いないのですが、ぼくはその時のことを何度も夢に見るのです。でも、そのうちにだんだんこれはぼくが夢の中で捏造したことなのではないかと自信がなくなってしまうのです」


「忘れてはいけないから何度も繰り返し夢に見て、記憶を強化しているのではないかい? その夢の中に、場所や時間を表すものはないかい?」

 桜童子の問いに今日見た夢が蘇ってくる。


「<オルキヌスキャッスル>が出て、ぼくはいつもそこから伸びる手に絡め取られてしまいます。あ、ということは」


 そこを訪れたときの日時と場所を、聴覚情報と結びつけようと何度も夢に見ていたのか。


「荒唐無稽な夢のために真実が曖昧になってしまいがちだけれど、実は記憶を風化させないために繰り返し夢に見ているのかも知んねーなぁ、で、その<ダリエラ>が何かしたのかい?」


 桜童子は花を散らして飛んだ鳥を目で見送りながら言った。


「問題は<ダリエル>です。濡羽はぼくに男性に化けるところを見せてくれました。その姿によく似た男とぼくは旅していたのです」

「それが、<ダリエル>?」


 その時、ズウンと地鳴りがして、足元の地面が揺れた。

 何羽かの鳥も羽ばたいて逃げた。


「にゃあちゃん! 地震!?」

 シモクレンが慌てて鍛冶小屋から飛び出してきた。

「何かはまだ分かんねえなあ。悪い、ハギ。ヤクモとハトジュウと外を見回ってきてもらえねえか」


 念話をしながら立ち去ろうとする桜童子の背中にぼくは言った。



「<ダリエル>は殺人鬼だったかも知れません」


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