005 オルキヌスキャッスルの夢
桜童子から大量のドロップ品があると聞いて、シモクレンたちは花の山を下りた。
まだぼんやりとしたままの浮立舞華は、イクスに体重を預けたまま山丹の背の上で揺られている。
菜の花畑につくと、桜童子は金の<鋼尾翼竜>を召喚して待っていた。一足先に浮立舞華を連れて、ギルドハウスである<P-エリュシオン>に戻る腹積もりであるらしい。
エンカウント異常の桜童子がいては、帰り道で先ほどのような中規模戦闘が頻発してしまうからである。
浮立舞華は<鋼尾翼竜>を見て、何かを思い出したのだろうか。体を小刻みに振るわせ始めた。
桜童子はサクラリアを見た。
過去コンビを組んでいただけあって、そこら辺の連携は大したものだ。サクラリアはすでに歌い終わろうとしていた。
――<月照らす人魚のララバイ>。
舞華の体に水色の波紋のエフェクトが浮かぶ。
対象を睡眠状態に陥らせる魔法である。
眠りに落ちる――。そのことに舞華はひどく動揺しているらしい。あと数秒もかからず眠りが訪れるはずである。
「いやぁあああああ。イヤよ! いやぁああああぁぁ・・・」
叫びながらも表情はまどろみ、声量も急速に衰える。
眠りに落ちる寸前、彼女はこう呟いた。
「ぬ・れ・は――」
山丹からこぼれ落ちそうになる体をイクスが強く抱き留めた。
そしてそのまま<鋼尾翼竜>の背に載せる。
「ぬれはってどこかで聞いたことがあるなあ」
バジルが狼面の口から舌をだらりと垂らしたまま首をかしげた。
「それだったら、イングリッドさんから聞いた話じゃないですか。<Plant hwyaden>の女帝にして、<ウェストランデ>を陰で操る<西の納言>。クラウドコントローラー――――濡羽」
イングリッドというのは、ハギが現在親しく付き合っている<Plant hwyaden>の美人妖術師である。つい先ごろまで周辺調査の名目で<P-エリュシオン>に逗留していたが、さすがに上役からの叱責があったに違いない。今はミナミに戻っている。
そのイングリッドから詳しく濡羽のことを聞く機会があった。しかし、ナカスからヘッドハンティングされた有名人のイングリッドでさえそうそうお目にかかる機会はないらしいから、この旅芸人風情の女性が濡羽の知り合いであるはずもないとハギたちは思った。
「目が覚めたら話してもらえばいいにゃ」
イクスは重そうに舞華の体を<鋼尾翼竜>の上に引き上げた後、自分の腿の上に舞華の頭を乗っけた。
「もー、腐れバジル。こういうときは手伝うもんにゃー」
「言ってんだろ。美女専用なんだよ」
これには周りのみんながブーイングした。
「オレ様悪いのかよ! ハ、ハギの介もユイも手伝ってねーじゃねーかよ!」
「ユイはいーの!」
サクラリアは手を広げてユイを庇う。
「いーの!」
ヤクモも真似してハギを庇う。
「じゃあ、一足先に戻ってるぜー」
桜童子はやれやれと言わんばかりに鼻先で笑った。金の<鋼尾翼竜>は、寝ている舞華を起こさないように優しく飛び立った。
「イクスー。ベッドがある部屋で寝かせといてええからねー」
シモクレンは手を振って言った。
イクスも手を振り返している。
■◇■
ぼくは夢を見ていた。
霧の中をぼくは彷徨っている。
どこに立っているかは判然としない。
笑い声が聞こえる。懐かしい甘い声。
声の主は駆けて来たらしい。少し息が弾んでいた。
(あー、たのっしい)
笑い声の主は弾む息の中で甘い声で独り言を漏らした。
声の主の姿は見えない。
それなのにぼくの耳に囁きかけているように聞こえた。
<盗聴取材>の能力がオンになっていたに違いない。
いわゆるトグル式の能力で、オンにしている間にいた場所の音声が、退出後、離れた場所にいても聞こえるというものだ。十分という制限があるものの、今のようにどこでオンにしていたか分からないという状況ではどこから声がしているのかは断定できない。
とても懐かしい声だ。
懐かしい声の主に会いたくなって辺りを見回すと、底霧は晴れ、目の前に<オルキヌスキャッスル>が現れた。<冥府金城>という異名のとおり、その姿はおどろおどろしく見えた。
夢は不安な心の表れだというが確かにそうかもしれない。
城から無数の亡者の手が伸びて迫ってくるように見えた。
そんな時の夢の常で、ぼくはどこまで逃げてもその白い手に捕まってしまうし、隠れられそうな場所さえまるで思いつかない。
ただ、この時はふと逃げるべき場所が頭に浮かんだ。
<ミランドスクエア7>の白い巨神像の下だ。
そこに彼女が、懐かしい声の主がいる気がしたのだ。
「濡羽ァァアアア!」
ぼくは、白い手を振り払いながら駆け出した。
彼女の声が聞こえた。
(しばらくこの巨神像の下に隠れていましょう)
間違いない。彼女はそこにいる。それがわかっただけでぼくは彼女が待ってくれているような気分になって、必死に走る。
「濡羽ァアアア」
ぼくは叫ぶ。彼女の声は届いていても、念話ではないからこちらがいくら叫ぼうとも彼女の耳には届かない。夢の中でのぼくでさえそんなことは分かっているのだ。それでも叫ぶのをやめられない。
彼女は、独り言を続けた。
(<ダリエラ>の姿だと私だなんて気づかないからすぐ抜け出せるというのに、さすがにロレイルは鋭いですわ。でもおっかしい。<ダリエル>の姿になったら、目の前を通ったのにまったく見向きもしないんですもの。ふふ、ふふふふふ)
彼女の甘い笑い声を、もう一度目を見つめて聞きたい。声だけは耳元に届くのに、一向に姿が見えないのがもどかしい。
(しょうがないわね。私が<ダリエル>の姿になるところを見たことがあるのはあの娘だけですもの。あの娘、浮立・・・舞華)
ぼくは名を呼ばれてどきりとする。
(でも、あの方なら気づいてくださるかもしれませんわ)
「濡羽ぁああ」
(はあ、早く会いたい。ふふ、ふふふ)
「濡羽ぁぁああああ!」
音が途絶えた。ぼくが<ミランドスクエア7>を出てから十分が経ったということだ。
そして、ぼくは困惑する。
濡羽は今、「<ダリエル>の姿になるところを」と言わなかったか?
いや、確かに言った。どうやら濡羽はギルドホールを度々抜け出しているようだ。<ダリエラ>という名から察するに女性になっているようだ。
だが、あのロレイルにはそれではバレてしまう。だから<ダリエル>という男の姿に変装するのだ。
でも、<ダリエル>だって? ぼくは<ダリエル>という男をよく知っている。だからぼくは困惑している。
<ダリエル>の正体は濡羽? これまで一緒にいた男は濡羽だったのか?
たしかにこれまで旅をともに続けてきた男は、あの日の濡羽にそっくりに見えるのだ。仄暗い<狐火>の中で見たのだから確かなことは言えないが、兄弟ぐらいには似ているように思っていた。
だがぼくを一言で奈落に突き落としたのはダリエルだ。
でもそれが、濡羽自身が言ったとしたなら・・・。
ぼくの混乱は終わらぬまま駆け抜ける。
巨神像の足元にぼくはたどり着く。
そこに彼がいた。
「そんなに急いでどうしたんだい? 汗だくじゃないか、舞華」
<ダリエル>だ。
ぼくは走りすぎたせいで、肺の奥で血が雑じるような味を感じながら訊ねた。
「ぜ、キミは、ぜいっ、ぜい、君は、濡羽なのか?」
ダリエルは首をひねってみせる。
「聞こえたんだ! 君の声が! 君はなぜぼくをえらんでくれたんだ。ぜ! ぜい、ぼくは自惚れるつもりはない。でもそれで、はあ、はあっ、君の苦しみが少しでも消えたのなら。少しでも長い夜が短くなったのなら、ぼくは! ぼくは、満足だ」
ふと、背後で気配がした。振り返ると白い手が現れた。<オルキヌスキャッスル>からどこまでもぼくを追いかけてきたのだ。
「ドウシタンダイ? マイカ。アセダクジャナイカ」
ダリエルの首が異様にねじ曲がり、口は耳まで醜く裂けていく。
「濡羽あああああああああああああああああ!」
これは夢だ。夢だ。
ぼくは白い手に口を封じられ、腕を掴まれ、自由を失った。
ぼくは急速に後方に引きずられていく感覚を覚える。前には狼の頭部をもったダリエルがシルエットになって小さくなっていった。
■◇■
「お、起きたか? ぐ、ぐあ!」
バジルが浮立舞華の顔を覗き込んでいると、突然首を絞め上げられる。
「夢だろ! ダリエル! もうこの悪夢から抜け出させてくれ!」
「ご、ぐげ、おれさばばばじるげげげ」
女の細腕とはいえ相手は<冒険者>である。
戦闘禁止機構の働いた<ナカス>のような街中ではないし、【工房ハナノナ】の本拠地である<P-エリュシオン>では魔法行為さえ制限されていない。
バジルは、この窮地を脱するために、女の腕を切り落とすか、他の攻撃で握力を緩めるか、と思案を数瞬巡らせていた。
「そんな物騒なことする必要ないにゃ」
頭の方に回り込んでいたイクスがそっと両手で目隠ししてやると、防御反応からであろう、舞華の手が瞬間的に緩んだ。
「ぐえ、げっほ」
「腰のナイフに手を回す前に、<ユニコーンジャンプ>で飛び退るにゃ。それにしても、問題はあんたにゃ。この腐れバジルとダリエルって人は似てたにゃか」
イクスは舞華に尋ねる。バジルも咳き込みながら聞く。
「と、突然、人の首を絞めるなんて、そのダリエルってやつと何かあったのかよ」
浮立舞華はまだ夢を見ているような表情を浮かべていたが、少し正気を取り戻して、すみませんでしたと謝った。
「ここは?」
「<P-エリュシオン>。オレ様たち【工房ハナノナ】のホームグラウンドだな」
「といっても、イクスも腐れバジルもただの居候なんだけどにゃ」
「工房・・・ハナノナ」
舞華は繰り返す。どうやら二階の和室のような部屋に寝かされていて、工房という名がピンと来なかったらしい。窓から見える景色に目を転じた。遠くの山々も春の花が萌えているのが見えた。
「花? じゃあここは、<ナインテイル>なのですか?」
まだ暦なら二月終わりか三月に入ったといったところであろう。<ウェストランデ>ではまだこれほどの花は咲かない。
「そうにゃ、<サンライスフィルド>にゃ。アナタどこからきたにゃ?」
<サンライスフィルド>というのは町の名なのだろう。舞華には聞き覚えがなかった。そもそも<カンモン>の<ビッグブリッジ>を越えた記憶がない。
「なあ、あんた。どうしてあの菜の花畑にいたんだ」
狼面のバジルが喋ると舞華は少しびくんと体を震わせる。
「あ、いや、昼寝、してたん、だよな? 昼寝してるとこ邪魔して悪かった!」
「爆発に巻き込んでしまって申し訳なかったにゃ」
「オレ様、結構反省!」
バジルとイクスはそろって頭を下げた。
「ぼくってば、そんなにのんびりキャラに見えるんだ」
舞華は顔に手をやって、その後、床の上を手探りで探したようだったが、目的のものは見つからなかったのか諦めたようだ。
「あの、メガネは?」
「え? メガネ? そんなものはなかったにゃ」
「まさかあの時吹っ飛んだんじゃ」
バジルとイクスが顔を見合わせる。
「あ、ごめん」
舞華はハッとした表情を浮かべた。
「ぼく、あの子にプレゼントしてからメガネしてないんだった。ごめんごめん」
習慣というのはなかなか消えないものらしい。
さらに舞華の腹が鳴る。
「あはは。心配しないで。ぼく元気みたいだから」
三人は声を上げて笑った。その声を聞いてユイとサクラリアもあがってきた。
舞華は頭を下げると並んでいるイクスとユイを見て言った。
「君たち、<大地人>だよね。死んじゃったらそれで終わりなんだよね。そのことについて君たちはどう思う? 作品に生かせたら嬉しいな。ちょっと聞かせてもらえないかな」
やはり習慣とはすぐには消えないものらしい。舞華は小説のネタ探しをしてしまう自分にまたクスリと笑ってしまう。