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003 帰る場所のない人たち

 艶めいた南国の花の香り、湿った吐息、甘い声。

 黒髪が<狐火>の炎を照り返し、幻のように揺れる。

 冷たい指先がぼくの指に絡んで、ぼくは捕らえられる。

 眠れないぼくを癒してくれるのは濡羽の肌だった。


 四度目の死後、トラウマを引き出されてからぼくの眠りは浅くなった。夢がぼくを苛んでやまないのだ。



 バイト先の応接室に呼ばれたぼくは、眼光の鋭い男の前に座らされた。

「こちらを見て頂きたいのですが、こちら、心当たりは」

 目つきが鋭いが悪人には見えない男だった。だが、心の奥を透かして見られているようで居心地が悪かった。


 写りの悪い防犯カメラの映像もとても気分が悪かった。

 逃げている最中なのかブレていて誰かわからない。

 別カットには逃げる背中が写っていた。それも誰だかわからない。

 その写真にはどんな犯行があったかを想像させる書き込みがしてあった。

「いえ、心当たりはありません。彼ではないです」

「今、彼ではないと言いましたね」

「あ、いえ、それは」


ここに来る途中で「彼のことじゃないか?」と言われていたからそう答えたまでなのだが、ぼくが何か罪を犯したかのような気分になった。

「私は何も彼のことだと聞いていないのですが、本当は心当たりがあるのでは」


 ぼくは言いつくろおうとしたが、もうしどろもどろになっていた。

 そこからは彼が犯人であることが前提で説明が始まった。目つきの鋭い男は刑事だった。そして付き合っていた男は、連続強姦魔「ナイトストーカー」だった。

 彼とはもう別れてしまっていたが、犯行の話を聞くうちに愕然としてしまうことがあった。犯行は自分と付き合っていた頃から始まっていた。ぼくはそのことに一切気がつかなかった。いやそうではない。


「これは、聞いた話なんですけどね。貴女にも暴力をふるっていたそうじゃないですか」

 刑事は噂話を口にした。その話は尾ひれがついていたが大筋であっていた。なぜ、そんな話が噂になっているのかも驚きだったが、付き合っていた頃はその暴力が犯罪につながるものだとは考えてもみなかった。ぼくは付き合っている間、悪魔を育て続けていたのだ。

 ぼくは彼の性癖、行きそうなところ、行動パターンを洗いざらい喋った。

 ぼくは唯一の気がかりを話した。

「この写真、彼ではなく別の誰かということはありませんか? 髪型も服装も見覚えもないのですが」

「百パーセント、彼だというのは分かっているんです。鑑識も入っていますからね」

 刑事はそれだけ言った。

 物証や状況証拠はそろった。だが、必要なのは動機というわけか。

 でもぼくの証言でそれはもう大体揃ってしまったようだ。

「ありがとうございました。逮捕状を請求することにします。この後どうなったかお話に参りましょうか」

「いえ」

 刑事は申し遅れたと名刺を渡そうとしたがそれも断った。



 ぼくは応接室に一人きりになると声をあげて泣いた。

 なぜ? なぜ? という思いばかりがこみ上げてくる。

 これが、ぼくが「ワイダニット(なぜ犯行に及んだのか)」を重視する作家になるきっかけであったし、ぼくの作品に出てくる刑事が警察手帳を見せない原因であった。


 こんなシーンが目を閉じると蘇ってくるから眠れないのだ。



「嫌な記憶は上書きしてしまえばいいの。がんばったご褒美に、舞華に世界の秘密を見せてあげる」

 その声は甘美なささやきではなく、夜番にやってくる大地人の侍女でさえ聞いたことはないだろうというような掠れた声だった。


 濡羽もまた眠れぬ夜を過ごす者なのだ。今から行おうとする秘儀がたとえぼくのためであっても、それで濡羽が苦しみを一時でも忘れられるのならぼくは喜んでこの体を差し出す。


 濡羽の体は霧をまとうようにして変化を果たしていった。


 ロレイル=ドーンが恋い焦がれるその柔らかい唇は、引き締まったものになった。多くのものが渇望する胸も腰も若い男性のそれに変わっていった。腰のあたりで揺れていた九つの尻尾もすっかり消え去った。ただ、愁いを帯びたまなざしが濡羽のままのように思えた。


「オーバースキル。<情報偽装(オーバーレイ)>。世界の秘密で貴女の秘密を上書きしてあげる」




 夜明けとともにぼくは部屋を出た。入れ替わりで誰か入ってきたようだ。

 ぼくは<小説家>で、自分がいた部屋なら直後十分間の会話を聞くことができる。<盗聴取材>というスキルらしい。

「濡羽さま……」

 その声の主は<Plant hwyaden>の実務を取り仕切るメイド、インティクスのものだ。


「またベッドも使わず……」

 夜伽の間、夜番の<大地人>も下がらせていたからギルドホールは無人のはずであった。だが、このメイドにはすべてが筒抜けであったらしい。

 恥ずかしさと驚きが綯い交ぜになった気分を味わわされた。


「あのようなものに、世界の秘密をみせるなど」

 ぼくの驚きはそれだけでは済まなかった。インティクスは濡羽を責め始めたのだ。


「それで、本当のあなたを触れてもらえるとでも思ったの? ねえ、濡羽。あなたはあの子に同情したのかもしれないけれど、あなたにはそんな価値なんてこれっぽっちもない。むしろ物乞いのあなたの方が同情されてしまっただけ。本当のあなたには誰も触れられない。傷口にだって届かない。いえ、汚水を集めて煮込んだような腐臭を放つ傷口なんて誰が触りたいものですか」

「やめて!」


「私がタウンゲートの復旧に、スザクモンの調査、ビッグブリッジの調査団選考に手を焼いているときに、あなたは触れてももらえやしない他人の傷口に指を突っ込み、自分の傷口に擦り付けるようなそんなあさましい真似をしているなんて。やはりあなたは醜いままのアヒルの子だよ」


 濡羽が耳を覆ったのだろう。ぼくも耳を塞ぎたかった。

 濡羽の痛みはぼく痛みだ。

 でも臆病なぼくは部屋に戻ることもなくギルドホールを後にした。


 ぼくは<ジョングルール>。

 濡羽はぼくを救ってくれた。

 何か濡羽の役に立てればと、そんな思いでミナミを後にした。

 草食系の仲間たちは<Plant hwyaden>できっと大事にされるだろう。濡羽の作った組織だ。きっと大丈夫。

 そこから半年の間、ぼくは見知らぬ騎士団に従軍し北へ北へと旅していく。ぼくにできることは濡羽の世界を広げてあげることだ。帰ったらこの世界のことを詳しく教えてあげよう。


 ぼくは半年でぐっと強くなっていた。もう一人旅でも大丈夫。一度も死ぬことなくぼくは旅できるようになっていた。ぼくは南へ進路を変えた。

 その頃出会ったのが、ダリエルだ。


 あの日、濡羽が見せてくれた仮初めの姿によく似た男だった。

 憂いのある目をしたところがよく似ていた。

 彼もまたぼくと同じように旅をし、年代記を編纂しているらしかった。

 <イコマ>で出会ったその男に気を許したぼくは、ふと濡羽との夜のことを話してしまった。


 ダリエルは冷たい目をしてぼくに言った。


「四回も死んだ女を抱いてみたかっただけなんじゃないの?」

 ぼくは心をナイフで抉られたような気分になった。

 十人並みな器量のぼくが彼女に選ばれるのが、それしかなかったように思えたからだ。これまでずっと「痛みを共有しているからだ」と思い込もうとして、そこから目をそらし続けていた。「ワイダニットの新鋭」が聞いてあきれる。自分が選ばれるのはそれしかないじゃないか。



 臆病なぼくはまたギルドホールに、いや、ミナミに帰ることができなかった。

 再び北へ向かって、ダリエルと一緒に旅をした。

 ふらりといなくなることが多い男だったが、それもぼくにはちょうどよかった。ダリエルのことは気に入っていたが、彼を帰る場所にはしたくなかった。


 冬がまもなく終わろうとしていた。

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