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014 桜童子の推理ミス

 イクスは山丹の背から下りて、玉砂利の境内を歩く。

 社殿を見上げて指をさす。


「やっぱり禊しなきゃ、入っちゃダメにゃか?」

「禊もせずに入るバカちんは、お主の仲間のたんぽぽあざみという女くらいじゃ」

「じゃあ、イクスも禊は遠慮しとくにゃ」


 お葉婆がかはーっという露骨すぎるため息を漏らすのにも意に介さず、ぴょんと跳んだイクスはずかずかと中に入っていく。山丹は狛犬のようにおとなしく境内で待っている。


「ああ、待て。イクソラルテアといったかな。<月天人の南征>の噂を知っておるか」

「ん? 知らにゃいにゃ。それから、イクスでいいにゃよ?」


 新人<冒険者>のイクスには、このお葉婆の言葉が「クエストの受諾が可能である」ということを暗に示すメッセージだとは気付けなかった。


 ただ、お葉婆をよく知るあざみが聞いていたとしても、このメッセージは理解できなかったに違いない。ゲーム時代には存在しなかったクエストである。


 あるいは未曾有の危機を知らせる忠告であるのかもしれない。

 ただ、何も知らないイクスは世間話の一つだと思い、一抹の不安も感じずに本殿に入っていく。


「かー、ほんにもうこんばかちんがー」

 イクスの耳には届いてないようだ。


 本殿の中には囚われの歌姫、アウロラがいる。


 姫は、焦点の合わない眼差しと透明な表情で歌を口ずさんでいたが、次第に顔に血の気が戻ってきた。

 この本殿は、ドワーフ族による封印術が施されている。そのため、<アルヴ>の血を濃く引くアウロラは起きたまま常に夢の中にいるような状態だ。

 ただし、<ルークィンジェ・ドロップス>が近くにあると、ようやく意識を自らの手中にわずかながら戻すことができるようだ。


 だから、イクスが近づくほどに、姫の表情がはっきりとし始めた。


「あなたも、あのウサギさんのお友だち?」

「ウサギってリーダーのことかにゃ。桜童子にゃあっていうにゃ」

「ええ。覚えていますわ。私に外を見せてくれると約束してくださったのです」


 アウロラはきっとその約束にすがって夢を渡り続けているのかもしれない。ただその笑顔には悲壮感はなかった。

 信じることこそが生きる力なのかもしれない。


「それで、あなたはどうしてここに?」

「ああ、イクス、死んじゃったみたいにゃよ。でも蘇ったにゃ。どうも、この首飾りのおかげにゃのかねー」


 アウロラは<二姫の竪琴の糸巻き>を、目を細めて見つめた。

 彼女は<ニ姫>の直系の子孫のようである。さらに<ルークィンジェ・ドロップス>の声を感じる力を持っている。だから、この首飾りが心を鋭く突き動かしているようだ。


 ぽろりと涙が落ちた。

 その時、神殿が揺れた。

「地震にゃか!? いや、これ、何にゃ」


 <二姫の竪琴の糸巻き>もひどく音を立てている。共鳴音のようである。

 アウロラの肌がぼうっと明るく輝く。衣服を透かして肌が見えるほどになった。


「母・さ・ま」

 

 そう言うと歌を歌ったように見えたが、あれは悲鳴だったのかもしれない。イクスは崩れ落ちるアウロラを抱きとめた。

 イクスもひどい音に片耳を押さえる。糸巻きの力で蘇った身である。イクスにも多少の影響があるのかもしれない。


「ひ、姫様。大丈夫にゃか。気を確かに持つにゃー! 一体これ、何なのにゃー」



 イクスは知る由もなかった。その頃、遠く離れたサフィールの地でアルクィンジェがその強大な力を行使したことなど。

 彼女を使役した月からの使者がその後、南に向かって旅をし始めることなど。



■◇■

 


 街は戦場の騒音に満ちている。

 家族が離れ離れになる嘆きの声。<鋼尾翼竜>が激突して崩壊する家の音。魔法と剣が立てる衝撃音。悲鳴。轟き。嘶き。叫び。

 全ての音に痛みと苦しみが混じっている。

 それを少しでも和らげようとする歌声がする。


 その歌声を聞きながら、どこかこの景色にそぐわぬ表情の女性は静かに言った。

「わたしは、誰だい? どこから来て、どこへ行く?」

 そう問われた少女は静かに目を閉じた。


 戦場に向かって手を伸ばす女性は、浮立舞華が月で出会った女性である。そしてダリエルが<典災>であることを見抜いていた人物である。

 その指し示す手が、この戦場に救いがないことを告げているようだった。


 少女は意を決したように目を開き、願望を口にした。

「ロエ2さんはわたしたちのお姉ちゃんです。遠くから来て、遠くへ行っちゃいますけど、今はここで、ここに、一緒にいますっ」


 ロエ2と呼ばれた女性は、驚き、笑い、頭を撫で、励ましの心をもって確認する。少女の決意は固い。


「お願いの言葉、聞いたぞ」

「はい」

 召喚した馬に二人で跨り戦場を駆ける。

「弟妹諸君!」

 ロエ2は高らかに宣言する。

「お姉さんは妹分を見捨てない!」


 高く掲げた杖に白い光が集まっていく。

「かつてわかり合えず、見捨てられた亡国の姫がわたしの中で叫んでいる」

 閃光があたりを包む。

「汝契約を破られしもの、我と共に歩め。<ソードプリンセス:アルクインジェ>」


 雪のように真っ白な羽が現れ出る。それは戦場の騒音を包み込むように、街のすべての音を安らぎに変えるために現れたかのようであった。その安らぎをもたらすのは、抱えた竪琴の音色か。それとも圧倒的な殲滅力か。


 

 その戦場となったサフィールの街には濡羽もいた。

 その側に使えているのは親衛騎士団のロレイル=ドーンだ。

「この街はミズファ様の指示で戦場となっているようです」

「そう」

 こともなげに激戦の街中を歩いていく濡羽。

 <アストラル・ヒュプノ>を歌でも歌うかのように詠唱する。

 

 望めばなんでも手に入るヤマトの王の座に登りつめたのに、感じるのは息苦しさと手に入らぬもどかしさばかりだ。

 子犬か奴隷のようについてくるロレイルにも嫌気がさしてきた。ミズファの作戦に水を差すような無茶な指令を出して無理矢理に下がらせる。

「しかし、よろしいのですか?」

「<西の納言>の命令です」


 濡羽は一人になると微笑みを浮かべた。

 効果が停止していた<情報偽装>の力が蘇って、伸びた影から鴉が舞い上がり黒い羽毛が舞い落ちる。


 そこに立っているのは穏やかな表情をした<年代記作家>の<大地人>の姿である。

 彼女こそ浮立舞華が<シーマーシュ>の隣町で声をかけた女性、ダリエラである。無論それは、濡羽が偽装した姿である。


 すべてが片付いた翌朝、ロエ2とダリエラは南へ向けて出立した。一時旅を共にした弟妹たちに別れを告げて。



■◇■



「オレ様、イクスを迎えに行こうと思うんだ」

 長旅でもするかのように大きなリュックを抱えてバジルは言った。

「ぼくも一緒に行ってみようかと。イクスさんにはすごく迷惑をかけちゃったし。それに、旅は慣れていますし」

 舞華もバジルとともに旅支度を整えていた。


 <P-エリュシオン>は夜の帳が下りて少し肌寒い。南国のような気候といえどもまだ三月に入ったばかり。朝晩の冷え込みは激しい。


「明日の朝立てばいいじゃねえかって言いたいところだが、そりゃあ、イクスも安心だろうよ。念話だって使えないしなあ」

 桜童子は言った。


 <ユーエッセイ>の特殊な環境のため、念話が使用できない。そればかりかイクスは<冒険者>になったばかりで、フレンドリストには誰も登録されていないのだ。

 夜通し走って明日の昼前についた方がすれ違いにもならず安心というものだろう。


「あー、舞華くん。君はジョングルールだし、旅をいきなりやめるというのは落ち着かないかもしれないが、イクスを連れ戻したら、ちょっとは羽を休めるのもいいんじゃないかな」

「え?」

 桜童子は頬を掻いている。これは照れている時の仕草だ。


「にゃあちゃん、それ遠回しすぎて伝わらんわー」

 サブギルマスのシモクレンが代わりに伝えた。

「落ち着いたら【工房ハナノナ】に入ったらええって話よ」


「お、ちょっと待て。オレ様勧誘されてないぞ。何だそれは。差別か、いじめなのか、こんにゃろう」


 バジルの言葉に少し笑ったあと、舞華はほんの少しだけ迷った表情を浮かべ、そして力強く頷いた。


 舞華は己にとってのギルドの意味について自問する。<大災害>のときは生き抜くためにギルドを利用した。草食系男子の顔が思い浮かぶ。その後入った<Plant hwyaden>は濡羽とのつながりを示す唯一の証拠だ。だが、自分がギルドのために何かしたという覚えはない。ギルドに所属していることで得られる恩恵なら多少はあるが、濡羽との関係は希薄になる一方だ。


 女一人で旅をするのに<Plant hwyaden>のギルド名は通行手形ほどの価値がある。御守りの役目にもなる。旅で出会うのは、いい人たちばかりではなかった。「ぼく」と呼称するのはそんな時のための小さな予防線である。ちっぽけな自分を少しだけ大きく見せるための虚勢である。


 ここなら、そんな虚勢は必要ない。そんな不思議な安心感が【工房ハナノナ】にはあった。濡羽のことを愛している自分すら許容してくれている、そんな実感がここにあった。だから旅の終着駅にしようと決心した。


 旅をすればたくさんの人に会う。いい人たちにだってたくさん会った。強い人たちにもたくさん会った。だけど、安心感を得たのは初めてかも知れない。


 そう考えると舞華が濡羽に求めていたものが分かる気がした。きっと安心感なのだ。自分だけじゃないと感じる安心感。

 だが、濡羽から旅立つ時が来たようだ。舞華は、少女的な憧れをもって人に接する時代から、家族的な絆を仲間に求める時代へ差し掛かったに違いない。


 今、舞華には濡羽への感謝だけがあった。そして濡羽がくれたものを誰かに返していきたいと願った。


「みなさん、よろしくお願いします。でも、まずはイクスさんを連れ戻さなきゃっすね」


舞華の声に、のそりとあざみが立ち上がる。

「アタシも行くかねえ。お葉婆を久々にからかってやらなきゃだし。ポチの散歩もしなきゃだもんねえ」


 腰の刀以外は何も持っていく気がないらしい。本当に散歩にでも出るかのような勢いなので、大荷物のふたりとは対照的だ。

「お前、もうちょっと緊張感出ねえのかよ」

バジルは鼻白む。


「思い立ったが吉日なんだよ! ハイ、行くよ。バジルンルン」

「ぶぉ、なんだそのカビルンルンみたいな響きは。っていうか絡み辛えなあ、お前さんはよお」

「ナニ、アンタ、アタシニモンクアルノ」

「なんで片言なんだよ、あざみの介。ねーよ! 行くよ、行きますよ。ほれ、じょんぐるの介も行くぞ」

「おー!」


「なんなんだよ、なんなんだよ、どういうノリなんだよ」


 イクスを手の中で失った痛みがあるバジルには、この緊張感のなさが受け入れられないようだ。

 だが、ここにある笑顔が舞華にはたまらなく居心地が良かった。



■◇■


エピローグ


■◇■


 桜童子は推理ミスをしている。


 そのミスはほんの少しだけ人間関係に影響を与えるものであるため、ここに特筆すべきであろう。


 そのミスとは、「濡羽が<盗聴取材>の能力を知らない」と考えた部分である。



 ―――濡羽は、浮立舞華の能力を知っていた。


 その事実は、浮立舞華の旅の道連れが誰だったかという点に示唆を与える。

 舞華がジョングルールとして旅をしている間、側にいたのはダリエルである。

 そのダリエルは<西の納言>濡羽の偽装なのか、<典災>カホルの分身なのかという問題がついてまわる。



 舞華の認識する濡羽との接点から整理していこう。


 出会いは<ミナミ>の大神殿である。この時舞華は能力を使用していない。

 ギルドホールで舞華は能力を使用した。舞華は既に旅立ち始めていて濡羽がその能力に気づく余地はない。


 次の接点は声だけである。<オワリ地方>で舞華は濡羽の声を聞いた。だが対面は叶わなかったようである。

 そして、<シーマーシュ>での出来事である。この後、舞華は放浪し首飾りをつけたところで獣へ変貌し<ナインテイル>に至る。


 ここに挙げた部分で、濡羽がその能力に気づく余地は全くないのだ。それでも濡羽が能力を知っているのならば、浮立舞華が濡羽だと認識していないところで能力を知る必要がある。



 そうなると、ジョングルールとして旅をし始めてからしかない。

 浮立舞華と旅を共にしていたダリエルの正体がある部分では濡羽でないといけないということだ。



 ここで濡羽とカホルの関係を整理しよう。

 ダリエルの姿にはじめて偽装したのは濡羽である。カホルはその姿や能力をコピーしたのである。つまりオリジナルは濡羽だ。


 つまり舞華と先に旅をし始めたのは濡羽なのだ。

 なぜダリエルの姿で現れたのか。

 それは浮立舞華を傷つけて弄びたいという濡羽の加虐欲をちょっぴり満たすための出会いであった。

 ダリエルの発言を振り返れば納得がいくであろう。濡羽に失望し落胆する舞華の姿が気に入った濡羽はその後もダリエルとして行動する。


 では、いつからカホルに入れ替わったのだろう。

 確証はないが、<オルキヌスキャッスル>の辺りではもうすでに入れ替わっていたと考えられる。

 <オルキヌスキャッスル>とはその名の通り「魔物の城」である。カホルが潜んでいたとしても不思議ではない。


 そこから入れ替わったとすれば、濡羽はそれ以前に舞華の能力を知っている必要がある。



 すると<ミランドスクエア7>での濡羽の声は、<盗聴取材>の能力を意識しての声ということになる。


 ギルドホールを抜け出し、浮立舞華を呼び出したやり方は、濡羽らしい回りくどいやり方ではないか。

 しかしカホルに再会を阻まれた。

 それ以降、浮立舞華と出会う機会はなかったが、自分の玩具を取り上げたカホルだけは懲らしめたいという思いが濡羽にはあったに違いない。



 それが<シーマーシュ>の忘れ去られた塔での出来事につながるのである。


 いかがであろうか。

 これらの事実が桜童子の推理と違っていたとしても、大局的に見れば影響はほとんどない。ほんのわずか、人間関係を修正すれば済む話だ。



 ただこの言葉の意味合いだけは、大きく変わってしまう。

 忘れ去られた塔で呟かれたあの言葉の意味が。


 それは、死にゆく者への悼みの言葉ではなかったのだ。

 それは、同じ眠れぬ夜を過ごす者から心を寄せる者へ捧げるささやかな贈りものとしての言葉だったのだ。



(夢を見るといいわ。貴女と私の甘い夢を―――)




-『ジョングルール・ヒプノシス』- 完

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