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011 花の下にて儚くなりゆく

「そこな町娘は、あの<金ぴかヤモリ>に乗れぬのか?」


「町娘って。あー、ぼく、苦手で」


 ぼくは、ヤマト最大級の怨霊<火雷天神>と普通にしゃべっているということをなんだか不思議なことに感じていた。その<火雷天神>がまるで稚児行列に出てきそうな童形であるというのもその気分に拍車をかけている。


 【工房ハナノナ】のメンバーによって「みっちー」と愛称がついた<火雷天神>は、桜童子と盟約を結んでいるそうだ。

 従者として桜童子の命を聞くこともあれば、桜童子を従者のように呼びつけて<冒険者>の排除をさせたりすることもあるらしい。不思議な間柄だ。



「誰だって苦手なものくらいあるさ。<火雷天神>さんにはないのかい」

「そこもとに言うわけなかろうが、あやかしウサギめ」

「では余計なおしゃべりはおしまいです。乗ってください。飛梅はお留守番よろしくお願いしますよ」



「答え合わせが必要です! ぼくも連れて行ってください」

 桜童子たちの話に割り込んで、ぼくは叫んだ。


「舞華君。話なら念話でできる。だが、おいらは君も一緒に行くべきだと考えている。山丹!」


「がう」

 入り口脇の小ホールにつながる通路から虎が出てきた。サーカスの虎のようにおとなしくぼくのそばに寄ると「乗れ」といわんばかりに傅いた。


「この子は?」

 ぼくは虎を指していった。


「イクスが調教(テイム)している<剣牙虎>山丹だよ。イクスの分身ともいえる存在さ。だが、イクスが変身しちまって戸惑っていたようだねー。一緒にイクスの元まで行ってやってくれ」


 ぼくはおそるおそる山丹に跨る。

 桜童子がロビーの扉を開けると、山丹はぼくを載せて、勢いよく駆け出す。

 後ろを振り返ると、桜童子が不思議な匣を抱え、表に召喚している黄金の<鋼尾翼竜>に乗るのが見えた。<火雷天神>もそれに続くようだ。



「聞こえるかい」

 桜童子は上空から念話で聞いてきた。

 ぼくは風を避けるように山丹の首筋に顔をうずめて返事した。

「はい」

「君が可能性として挙げ忘れているものがある。<薬売りの少年が嘘をついている場合>と<舞華君が全く物事を正常に認識できない場合>。ただしこれらは全ての出来事を説明できない。だから検討する余地もないものとする」

 

 大急ぎで桜童子は言う。

 すべてを説明するつもりはないのかもしれない。


「今からおいらが明らかにするのは、君の二つの認識のずれ、その結果から導き出せる濡羽の行動と目的、その行動に関わる君の重大な見落とし、そしてダリエルとは何者か。そっから先はこの件が片付いてから話す」


「は、はい!」


「まず、ひとつ目の認識のずれとして、君が気付くべきは、<アストラル・ヒュプノ>の最中に他人の声は聞けないことだ。だから、聞いたとすれば術前か術が解けた後の話だ」


「でも、確かに、夢の中で聞いた感じが……」

 ぼくも大急ぎで記憶を遡った。だが、それを待たず桜童子は告げる。



「つまり、君は断続的に<アストラル・ヒュプノ>をかけられていたことを意味する」


「な、何のために!」

 ぼくは口に出したあと、失言だったと感じた。

 その言葉のあとに来るものはいつだって悲劇的だ。



「おそらく君が邪魔だったからだ」


 桜童子は冷徹に言う。ぼくの幻想を払うためだったのだろうが、ひどくぼくの心は揺さぶられた。


「でも、魔法をかけたのだとしても、あの言葉は、ぼくに囁きかけてくれたあの言葉は」


(夢を見るといいわ。貴女と私の甘い夢を―――)


「そいつは君に言った言葉じゃあない」

「わ、わかりません。どういうことですか」


 桜童子はため息をついたようだった。


「耳元で聞いたように錯覚しているんだろう。だが君は、その濡羽って女性の声を<盗聴調査>で聞き取っていたんだ」


 ああ、とぼくは呟いた。

<鋼尾翼竜>の背から念話を通じて聞こえる桜童子の声は、山丹の背に乗るぼくにもすぐそばでささやいているように聞こえる。

 でも、証拠が欲しい。

 察したように桜童子は言った。


「君が<アストラル・ヒュプノ>をかけられたのはどこの部屋だったんだい」


「ダリエルたちがいた最上階です」

「目が覚めたときにいたのは」

「最上階です」


「いや、違うね。君は最上階のことをこう言っていたじゃないか。『窓ひとつない天辺の部屋』と。だが、目が覚めて君が見たものは何だ。『天井に波の反射がたゆたうのをぼんやりと』見ていたんだろう」


「ああ」


 ぼくは吐く息とともに己の錯誤を認めた。川の水面の反射があるのだから、窓がそこにはあったのだ。



「はしごが上がっていて気付かなかったんだ。これが君の二つ目の認識のずれだ。」

「ぼくはひとつ下の階に下ろされていたのか。どうしてぼくは最上階にいてはいけなかったのですか」

「ある目的を遂げるため、最上階にこもる必要があった濡羽女史は君を別の人間に命じて下の階に下ろさせた」

「下ろさせた!?」


 また驚かされる。最上階にはダリエルに変化していた濡羽か、泡となって消えてしまったダリエルしかいなかったはずだ。



「死んでいた少女さ」


 わけがわからない! わけがわからない! 桜童子は謎を解いていっているはずなのに混迷の度合いが深まってくる。


「言っているじゃないか。濡羽という恐ろしい<付与術師>は、君に声をかけたんじゃない。よく考えるといい。君の<盗聴取材>の能力を濡羽女史は知らない。最上階で発せられた声は君にかけたものではなく、別の誰かにかけたものだとわかるだろう。つまり声をかけられた可能性があるのは少女の遺体だけだということさ。死体を最上階に上げ、尚且つ君を一つ下の階におろすという労力を使いながら、君に一分間に三回ほども魔法をかけなきゃならないなんてそんな面倒なことを濡羽女史がするだろうか。断言していい。そんな面倒なことはしない。そんなことをしなくても、楽な方法が他にある。死体に歩いてもらえばいいのさ」


 桜童子の言葉にぼくは震えた。さらに意味が分からない!



「あ、あれだけ腹を裂かれた女の子がぼくを動かせられるわけないじゃないですか。死んじゃっていたんだ! 間違いなく死んでいたんですよ、あの<大地人>の少女は!」


「君がもう数秒間、じっくりと見ていれば気づいただろうね。少女の体が再生し始めていたことに」

「死んでいたよ! 彼女はダリエルに殺されたんだ!」


「ダリエルというのも紛らわしいね。だが、それを説明するのは後回しだ。次は濡羽女史の目的だ。彼女がとんでもない死体愛好家でもない限り、見ず知らずの死体と一つの部屋に閉じこもる理由なんて考えうるのはひとつだ」


 桜童子は続けてこう言った。


「彼女は<黄泉返りの冥香>を用い、彼女の<復活>を図った。これで、<大地人>といえど、三分間は死なない。蘇生呪文のない<付与術師>の濡羽ができることといったらそのくらいさ。君が見たのは死体のまま<復活>しかけている少女だったわけだ。そう、濡羽の本当の目的は、<大地人>を<冒険者>として<蘇生>させること」



「<大地人>を、<冒険者>に? でも、あの体じゃもう」

「君は<ルークィンジェ・ドロップス>を持っていたんだ。あれは<不死者の再生を早める>力がある。濡羽が問答無用で<アストラル・ヒュプノ>を使ったのは、すでに君の真後ろに少女が立っていたからだろうさ」


 ぼくは背筋がぞくりとして山丹にしがみつく。


「待て、あやかしウサギ。<冥香>を使えば匂いでわかるじゃろ」

 <火雷天神>が会話に加わったようだ。


「彼女は匂いに気付けないんですよ」

「なぜじゃ」


「彼女は目を開ければ視覚に頼り、目を閉じれば聴覚に頼る。この二つの感覚が鋭敏すぎて、嗅覚の情報が弱くなるんです。こちらの世界に来てから特にね」

「そんな馬鹿な」


「濡羽の登場についてなんて言いました。彼女は目で見たものばかり語ったでしょう」


(艶やかな髪、ぴょんと立った耳、九つの尻尾、美しい肢体。常闇の羽衣。漆黒の瞳。懐かしいあの人の姿だった―――。)



「彼女の叙述には決定的に匂いが足りません。これが彼女の重大な見落としです。彼女は昔からそうなんですよ」


 確かに、たった一度デビュー前に指摘されたことがある。

 だから、章の頭などには匂いのことを意識的に入れるようにしている。でも、叙述が進むにつれて癖が出てしまうものだ。



「言ったでしょう。『浮立舞華シリーズなら読んだ』って」


 ぼくは謎が解けてくるにつれ、体を締め付けるような苦しみが徐々に緩んできているのを感じた。

 そして、ぼくの叙述にまで気を配ってくれる読者にこんなところで出会えるという奇妙な縁と幸運を感じ、目頭が熱くなってひと筋ぽろりと涙がこぼれた。


「濡羽は、少女をなぜ<蘇生>させたかったんでしょうか」

 声まで震えそうなのをこらえて、ぼくは聞いた。


「少女を殺したのはダリエルに化けた<典災>カホルだ。濡羽女史は自分の姿で犯罪を重ねるカホルの尻拭いをしたかったんだろう。きっと望んではないだろうけど」


「<典災>? カホル?」

「君と旅を続けたダリエルは……うーん、なんと言えば伝わるか。最凶のミミックというべきか、未曽有のシェイプシフターというべきか。その恐ろしい本体から伸びた子機のような存在、チョウチンアンコウの誘引突起のような存在、それが君の知るダリエルだ」


「ダリエルが……」 


「ダリエルはどこかで濡羽女史の変化した姿に出会っただろう。真似されて面白くないのは濡羽女史だ。場所によっては容疑者扱いもされたかもしれないしね。だから、この塔に登ってカホルに一撃を食らわせた。能力の大部分を変形と会話能力に使っていただろうから、カホルの分身はあっさりと倒されてしまったがね」


「じゃあ後から塔に登ったのは」

「そう、濡羽だ。彼女が追い詰める前に<大地人>少女が殺害されるという惨劇が起きた」


「だから<黄泉返りの冥香>を使って……」


「そう、彼女は<東の外記>を真似て<大地人>を<冒険者>として蘇らせようとしていたのだ。成功か失敗かは分からないが復活した少女が再死亡したら、血痕も泡と化して消えてしまうだろうね。君が塔を下りるとき何も見つけられなかったのはそのためだ」


 だからゾンビ化した少女を使ってぼくを部屋から追い出したのだ。その術を見られたくなかったのであろう。<狐火>の中の濡羽を想像した。


「簡単な引き算だったんだ。薬売りの少年が嘘をついていない限り、塔に上ったのは君を含めて四人。そのうちの一人は泡となり、そのうち一人が死体となって、そのうち一人の君は外に出てきた。するとあとひとりは塔内部に残っていることになる」


 そんな近くに濡羽がいたことに気付けないなんて。どうやらぼくは『エンドウ豆の上に寝たお姫様』にはなれそうもない。


「そろそろ答え合わせはおしまいだ。見えてきた、急ぐぞ!」




■◇■



「イクスゥゥゥウウウウウウウウ!」

 バジルの膝の上にぐったりとしたイクスがいる。もうすでに体は虹色の泡と変わろうとしていた。


「回復が効かへん!」

 HPが時間差で0に達する。シモクレンは泣いていた。

 カホルの攻撃がクリティカルとなり、イクスの側でもファンブルが起きたに違いない。胴に大穴を開けたイクスに回復呪文はもう効かない。


 ハギも唇をかみしめた。このとき有効な<リザレクション>を発動させるMPはもう残っていない。MPを増大させる方法など思いつきようもない。


「おいおい、なあ、おい! 死ぬ時ぐらい、銀色仮面脱げよな」

「ばじ・る・も・素顔・見せ・て・にゃ」


 バジルの顔に触れたイクスの手は泡と化した。

 微笑みをやや見せた後、降りしきる花びらの中でイクスは消滅した。


「オオオオオオオオオオオオオオ! イクスウウウウゥゥゥ!!!」


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