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010 ジョングルール・ヒプノシス

 太古の樹木を思わせる、緑に覆われた高い塔がある。


 その塔の南に流れる川の向こうは、<シーマーシュ>といってかつては精霊たちが守る豊かな地であった。過去の諍いにより精霊たちの恩恵を受けられなくなってからは、エネミーたちの闊歩する荒れ果てた湿地帯と化していた。



 その塔は実に不思議な場所に建っていた。

 怒り狂った精霊たちが水に瘴気を孕ませ、南側の土地を湿原に変えたのだが、北側には特に影響はなかった。そこはもともと精霊の加護する地ではなかったためだ。

 しかし塔のある一角は、<シーマーシュ>の一部でありながら、そこだけ川の北側にある。<ハストゥル>と<イワツキ>という二つのゾーンと川に囲まれて、湿地化の害から免れ、ぽつんと忘れ去られたようにある地である。


 この高い塔は神代からの建造物ではない。<シーマーシュ>の妖精たちが蟻塚のようにして積み上げ、妖精たちを祀る人々たちが内部を作り替えて建造物に仕上げたという逸話でも残っていそうだ。だが、残っていない。


 要するにこの塔は、ゲームで用いるためデザインしたものの、名前も仕掛けも報酬もフレーバーもほとんど残すことができなかった<忘れ去られた塔>であると考えられる。


 <大災害>以降、そうした建造物には<冒険者>が住み着くか、エネミーたちの巣窟となるのが一般的であるが、ここはなぜだか誰も住んでいない。



 塔の入り口の前に薬草売りの少年が座っているのみだ。彼も最初は<シーマーシュ>のダンジョン攻略のためのアイテムを売るという役目を背負っていたのかもしれない。忘れられた地であるため、彼もそのような義務を忘れ去っているのだろう。義務ではなく日々の生計を立てるための習慣としてそこにいるようだ。


 このような忘れ去られた地で生業が成り立つのかというと、不思議なことに日に数人の<大地人>が品を買っていくのだという。


 物書きの習性で、気になると何でも調べずにはいられない。ぼくは不思議な<大地人>同士のつながりを調べるため、そこでしばらく話し込んだ。その間にダリエルはどこかに去ってしまった。まあ、いつものことだ。


「おねえちゃんのそのメガネくれるなら教えてあげるよ」

 赤いアンダーリムのメガネをねだられたが、情報提供のためには仕方がない。それもよくあることだ。


 きっと、青い星の夢の女性もこのメガネでぼくに気づいたのではないかと思っている。これを取ったら没個性になってしまうだろうが、そんな高級アイテムというわけではない。またどこかで手に入れられるだろう。ぼくは気前よく少年に手渡した。


 しばらく話を聞き込んでからその場を立ち去る。少年はニコニコとしながら手を振ってくれた。


 <ハストゥル>の小さな集落で、ダリエルの後ろ姿を見た気がした。追っていくとそこにダリエルの姿はなかった。


「あの、すいません。ここら辺で男の<冒険者>を見かけませんでしたか。背の高い、ほら、<年代記作家>なんでいつも本を片手に抱えている……」


 ぼくが話しかけた女性は、ふわりと踊るようにこちらを向くとにこりと微笑んだ。

「あら、奇遇ですこと。わたしも<年代記作家>をしておりますの。でも残念ですわ。そのような方にお会いしたらじっくりお話ししてみたいものです。では、ごきげんよう」


 その女性はスキップでもするように軽やかに立ち去った。

 豊かな髪を肩のところで結んだ彼女は、春風のようにロングスカートを翻して角を曲がった。


 ぼくはダリエルを探すために、いつものように能力をオンにしていた。彼女の消えた方向はぼくの来た道だ。偶然にもぼくは彼女の声を拾ってしまった。



(ふふふ、懐かしい。ちっとも変わってない。変わったとしたら、メガネくらいかしら。ふふふふ)


「え?」

 今の彼女の声だ。うっかりと名前を確認しそこねたが、どこかで会っていただろうか。胸が高鳴り、ぼくは踵を返し彼女を追った。


「あれ? どこに行ったんだろう」

 

 もう彼女の姿はどこにも見当たらなかった。


 <ハストゥル>のどこを探しても彼女の姿はなかった。それどころか<ダリエル>の姿も見かけることはなかった。

 ただひとり老婆から<ダリエル>らしき男を見たという情報を得た。片手に本を抱え、片手に少女の手をつないでいたから覚えていたという。


「少女が一緒だった?」


「ええ、ええ、そうですじゃ。こっちを向いてニコニコと手を振ってねえ。とても可愛いお子じゃったよ」

「あ、ありがとう。お婆ちゃん! どっちに行ったの!」


 老婆の指は家の屋根の上に少しだけ見える塔の方を指していた。

「振り出しか!」


 塔のところにいたのはもうずいぶん前だ。

 ぼくは急いで彼の後を追った。もう悪い予感しかしない。


 塔の前に出た。

「メガネのおねえちゃん!」

 慌てた様子で薬草売りの少年が駆け寄ってくる。ぼくのあげたメガネがずり落ちかけている。よほど慌てているようだ。


「ここにこれくらいの背の男の人来なかった?」

「それそれそれ、それなんだよ。それそれそれ。おねえちゃん聞いてくれよ。オイラ、なんだか怖くなっちゃって」


「どういうこと? 落ち着いて教えて」


 薬草売りの少年をなだめて座らせる。

「オイラ、いつもここに座って仕事しているだろう? ホラ、塔の入口の前なんだ。塔にはここしか入口はないんだ。この塔の後ろはすぐ川があるから誰も通らねえ」

「うんうん、それで」

「だからここに座ってれば、ここの道を通る人のことはよく分かるんだ。まずあっちから、女の子の手を引いてそのくらい背の高い人やってきて、塔に入ったんだ。しばらく経ったら、またそっちから同じ男の人が現れてここの塔に入っていったんだ」


「同じ人が二回? 一度塔から出てきたのではなく?」


「オイラ、一歩も動いてないよ。怖かったけどじっとしてたよ」


 ぼくはポンポンと肩を叩いて落ち着かせてから、塔の中に入ることにした。


「おねえちゃんが塔に入ったのにもう一度ここの前を通ったら、オイラこわくてここじゃもう仕事できねえよう」

「大丈夫。じゃあ、ぼくがここから下りてくるまで、ここでちゃんと見張ってて」

「うん。おねえちゃん、気をつけて」


 

 入った塔から出るためにはこの世界では大きく分けて4つあると思う。

①堂々と入口の扉から出入りする。

②入口以外の出入り口から出入りする。

③一見出入りできそうもないところから出入りする。

④瞬間移動する。


 入口はこのようにギリギリと開閉する際に音がする。例えば透明になって出入りしたとしても少年がこれに気がつかないはずがない。

 入口以外の出入り口があったのではないかと、ぼくは一階の床や壁を仔細に調べる。抜け穴はまず考えられない。


 二階に上がる。一階の扉は自動的に閉まった。ここは先程より明るい。窓があるようだ。だが外を覆う緑がそれを塞いでいて人が出入りできるような隙はない。


 二階も一階も中心には柱が通っているようでこれがエレベーターシャフトになっている可能性を考えて耳を押し当てる。ただの石の柱であるらしかった。階段は壁に沿うように二ヶ所ある。ぼくが上がっている間に降りてくれば柱の影になって姿を見ない可能性はある。しかしたとえすれ違いになったとしても入口の外ではあの少年が見張ってくれている。


 上に上がるほどに塔は明るさを増してくるのだが、悪い予感ばかりがして駆け足になる。早くダリエルを見つけたいがすれ違いにならぬよう注意はしている。

 五階までは同じような作りであった。外からは川の反射を使って光が飛び込むようになっている。天井に波模様に光が満ちていて明るいのだ。


 六,七階には部屋が四つずつあった。一階より一回りは小さい床面積だが壁で仕切って生活できるようにしてあるらしい。ただし、ギルドホールなどでよくみかける部屋と違うのは、扉を開けても部屋用の異空間につながっているわけではないというところだ。


 ギルドホールなどは限られた床面積で多くの人数を収容しなくてはならないから、扉だけ設置してある。その扉から別空間に接続する仕組みなのだ。

 これを利用すれば、入口を使わず出入りできるのではないかと考えたが、部屋を開けてみるとそこは人が寝られるくらいのスペースしかなく、もちろんダリエルもいなかった。


 八・九・十階には部屋はなかった。ここまで登るとかなり高い。明かり取りのためか窓も心なしか広い。身を乗り出そうと思えば、ぼくなら出来る気もする。ただしそこから飛び降りるのは危険だろうし、飛行生物に乗って飛び出すには窓が狭すぎる。


 自分の小説に使おうとストックしていたネタに滑車と縄を使ったトリックがある。

 縄の一端に自分とほぼ同じ重さのおもりを用意して、反対の端を持って飛び降りるのだ。すると、ゆっくり降りることができる。しかしおもりよりちょっと重くないと途中で止まってしまうから、拐かしてきた少女を抱き抱えて降りたのか。川を使えば目に触れることなく塔から離れられ、薬売りの少年の前をもう一度通れる。


 でもなんのために。ワイダニット作家であるぼくが頭を悩ます問題である。そしてダリエルがそんな準備をした可能性と必要性がないことを考えてこの方法も否定する。


 ぼくは浮立舞華だ。自分の創作した名探偵よろしく推理してみたものの、あともう二つほどしか薬売りの少年の前で起きた現象を説明する手がない。


 ひとつは、瞬間移動の可能性だ。

 考えられるのは<帰還呪文>と<死者蘇生>だ。

 ここがダンジョンとして機能していれば、街の入口や復活ポイントで蘇生するから一度死ねば現象としては同じことが起こせる。ただしダンジョンとしては機能していなさそうだし、これまたそうする理由が見つからないのだ。ダンジョンとして機能していなければダリエルは<アキバ>まで戻ることになる。


 もしダンジョンとして機能していて、なおかつ理由があるとすれば、監禁した少女に反撃され、逆にダリエルの方が殺されてしまった場合だ。

 そうすると少女が危ない。ダリエルはもう一度この塔にやってきているし、少女はまだ下に逃げてはいないと思われる。

 ぼくは出入り口の探索を諦めて急いで駆け上がる。


 もうひとつの可能性を期待しながらも、一歩進むごとに不安が心の中に広がっていく。心が不安でいっぱいになったとき、ぼくの悪い予感が的中し、涙となってこぼれ落ちた。

 心柱に血が伝っているのを目にしたのだ。


 階段を駆け上がる。

 明るい波紋が天井や柱にうつっている。

 ぼくはゆっくりと床に目をやった。

 少女は心柱にもたれるように床に倒れていた。

 白い顔に血の気はなく、人形のように見えた。だけど、狼に食いちぎられたような胴体は<マヴェール盆地>の<猫人族>の少年とそっくりだった。

 ほんの数分前に亡くなったかのように、床には血だまりがまだ広がっていた。


「ダリエル!」

 ぼくが塔に入った頃ならひょっとすると助けられたのではないか。そう思うと己の無能さとダリエルへの怒りが沸いてくる。


 階段を登ると次の階には心柱はなかった。階段は斜めにかけたはしごのようになっていた。

 もう間違いない。次の階が最上階だ。


 窓ひとつない天辺の部屋にはダリエルが立っていた。


「あれは、君がやったのか!?」


 ダリエルは悔恨の表情を浮かべているようだった。

 そして軋るような声を上げた。

 ダリエルは足元から虹色の泡になって消えていく。しかし、その向こうに幻影のようにまだダリエルは立っていた。


 やはりもうひとりダリエルがいたのだ。

 もうひとりのダリエルはぼくに手のひらを向けると悲しげな表情を浮かべた。


 それが<アストラル・ヒュプノ>だと気付いたのは、その効果時間が過ぎてからのことだ。

 ぶれるようにダリエルの姿が二重になった。

 <アストラル・ヒュプノ>の魔力のせいであろう。

 ダリエルはゆらりと大気を揺るがせたと思うと幻の尻尾を出現させた。

 艶やかな髪、ぴょんと立った耳、九つの尻尾、美しい肢体。常闇の羽衣。漆黒の瞳。懐かしいあの人の姿だった。


「濡羽」


 ぼくの声はきっと届かなかったであろう。だが濡羽はこちらを見て微笑んだ。

 その微笑みの直後、ぼくの精神は凍り付き意識を失った。


 消えた意識の中で、濡羽の甘い声が聞こえた気がした。

「夢を見るといいわ。貴女と私の甘い夢を」



 心の中で濡羽を求め続けていたせいかもしれない。これはその心が見せた幻影だったような気がする。

 目が覚めても体に痺れが残っていて、ぼんやりとしている。

 天井に波の反射がたゆたうのをぼんやりと見上げ、下に降りた。

 ダリエルはやはりいない。

 それどころか、少女の亡骸も血痕もなかった。


 ぼくはふらふらとさまようようにして塔を降りた。

 途中ぼくが開け放した八つの部屋にもダリエルはいなかった。

 全ては夢で、下に降りればダリエルが待っている。

 そんな空想だけがぼくを支えている。

 ぼくはもたれかかるようにして扉を開く。

 世界が眩しく見えた。


「大丈夫だった? メガネのおねえちゃん」

 駆け寄った薬売りの少年の頭を撫でてぼくは聞いた。

「ダリエルは?」


 すると少年の表情は見る見るうちに曇った。

「会わなかったの?」

「いや、会ったには会った、と思うんだけど」

「下りては来ていないよ」

 やはりダリエルは……消えたのか。


 ぼくは聞いた。ひょっとして黒髪の美しい女性がここから出てこなかったかと。

 だが、少年は泣きそうなほど怯えた表情で言った。


「ここを出てきたのは、おねえちゃん一人だよ」



 どういうことだ。どういうことなんだ。

「オイラ、じっとここにいたよ。塔の周りも見逃さなかった。鳥だって飛んでこなかったよ」

 どういうことなんだ。ダリエルのことも濡羽のことも少女の遺体のことも夢だったのだろうか。どういうことなんだ。

「おねえちゃん。顔が真っ青だよ。オ、オイラの家に泊まっていくかい。おねえちゃん!」

 ぼくはふらふらと<シーマーシュ>を出た。それから十分間は少年の心配そうな声が聞こえ続けていた。

 そしてぼくは再び旅を続けた。

 誰が人狼だったのかという謎を残したまま。



■◇■


 舞華は薄れがちで途切れがちな記憶を、なんとかつなぎ合わせて語った。きっと思い込みや錯誤はあるのかもしれないが、嘘や誇張はなく伝えたと舞華は感じている。


「それからぼくはダリエルと会うことはありませんでした。どこをどう彷徨ったのかもわかりません。桜童子さんのおっしゃるように首飾りをかけてしまったのかもしれません。ぼくはいつのまにかここにいたのです」


「だから夢だと、君は思っているわけだね」

「どこからか夢かわかりません。もうこの世界にやってきたことさえも夢のように感じています」


 しかし、桜童子はぴしゃりと言った。

「この世界は現実だ。君は考えることから逃げ出したいだけさ」 



「でも。でも、考えれば考えるほどわかんないんです」

「そうかねー。おいらには実にすっきりした話だと思ったけどねえ」


 舞華は飛びかかるほどの勢いで聞いた。

「まさか! わかったんですか!? 桜童子さん」


「答え合わせが必要かい?」


 桜童子はぴょこんと椅子から飛び降りた。

「そろそろ時間だねー。よっと。待ちましたよー」


 エントランスに現れた人影に桜童子は声をかけた。

 牛にまたがった幼子は姿に似合わぬ喋り方で言った。

「たまにはゆっくり待つのも佳いであろう?」


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