8
何も無かった。
誰もいなかった。
お花見の準備でプルーシートや飲み物、食べ物。お花見なんて行われてなかったかのように。
何事も無かったかのように……。
「え?」
剛は隣で木にもたれて寝ている。
私は剛の肩を揺すって起こす。
「ねぇ、剛……」
「ん? 何だよ……?」
何だ? これ……。と目を覚まし辺りを見回す剛は立ち上がった。
「お花見はいつ終わった? それともお花見は夢で、終わったのはその夢か?」
「確かに夢は終わったと思うけど……。お花見が夢だったってことはないと思う。だって私も確かにお花見をしていたもん」
「同じ夢見てるかも知れねぇだろ?」
「気持ち悪いことを言うな」
気持ち悪いとは失礼な――剛はそう言って携帯電話を取り出した。
「電話してみりゃ一発だろ? って、圏外?」
「いくら山の中に神社があるからって圏外なんて……」
本当に圏外だった。私の携帯も例外ではないようだ。
「時間もおかしいな……」
携帯の時間は十時三十分を少し回ったところである。
「時間は合ってるよ」
「太陽の位置が違うって言ってんだよ。」
え? そんなこと言われてもよくわからないな……。
「太陽はどっちから昇るか知ってるか?」
「西から昇ったお日さんが……。だから、東」
「その覚え方は中々斬新だな。ま、正解だ。じゃ、午前中は太陽はどちら側にある?」
東。と答える私を何か難しそうな顔で首を傾げている剛。私何か間違えたことでも言ったのだろうか?
「ま、正解にしてやる。じゃ、正午は太陽は?」
「真上!」
「違う。南の方角だ」
自信満々に頭の上を大きく指まで指したけど、どうやら違っていたらしい。
「ここは赤道直下の国ではない。正午にはちょうど南を指すはずだ。んで、沈んでいくのは西側になるわけだけど……」
「え? じゃあ、今太陽が北向いてるとか?」
「違う。そんな位置のズレ方していたら世界の危機を感じざるえない。恐ろしいことを言うな。太陽が午前中の位置になかったら駄目なのに、今太陽のあるのは午後の位置だ。つまり西側」
ん〜。西とか東とか言われてもいまいちピンとこない。そんな方角全く分かんないし……。剛が嘘をついていることもありえるし。
とは言え、携帯電話が圏外なのはやはり謎だ。私の携帯のみならず、剛の携帯も圏外なのだから――二人の携帯が同じタイミングで壊れたと言う確率もあるのだが、どうやらこの山には電波が届いていないようだ。
「とりあえず、山を下りる。家に戻れば誰かいんだろ?」
「そうだね……」
私たち二人は山を下りることにした。
危機感がなかったとは言わないにしても、それでも私には足りなかったと言ってもいい。剛はさっきからずっと険しい顔をしている。いつもの気怠い感じとは違う。
その表情が私に危機感を持たせる。
何か本当に大変なことになっているんじゃないかと思わせる。
剛の口は開かない。その表情を見ている私は剛に話しかけにくく、私たちは結局、山を下り始めてから家に着くまで一言も口を開くことはなかった。
剛はきっと何が起こったのか考えているのだろう。私は、何が起こっているのか、何かが起こっているのかさえも分からなかった。能天気と言われることもしばしばあるが、死ぬわけではないのだから、そんなに深く考える必要はないだはずだ。それに、何が起こっているのかも分からないのに、一体全体何をそんなに不安に思うことがあるのか。
そもそも、今の現状だって、携帯が壊れていて――時間が止まっていて圏外になっていいて、ただそれだけの問題であって、剛の言う通り太陽の位置からもう既に午後になっていると言うのなら、皆が寝ている私たちを放っておいて片付けをして、家に帰っただけかもしれない。
何も心配することはない。
私はそう思うのだけれど。
いや、仮に目の前に宇宙人がいたりとか、妖怪が襲いかかってきたりだとか、タイムスリップして江戸時代に来てしまったとかなら、信じてしまうだろうけど、実際この場所は何かが現れるわけではないし、何かが襲ってくるわけでもないし、周りの景色がゴロッと変わって何処にいるのか分からなくなるなんてこともないわけであって、問題なんてあってないようなものだと思うのだ。
とは言え、家に着いた私たちだが、剛は扉の前で止まって中々扉を開けようとしない。
何故扉を開けようとしないのか聞くと、嫌な予感がする、と言って扉に触れることすらもしない。
「大丈夫。大丈夫」
私はそんな剛の行動とは裏腹に、堂々と扉を開け放った。
「何だ? てめぇら……」
中には角刈りの中年の男性が一人、私たちに睨みを効かしている。
「え? あ、いや……」
この家の中にいるのだから組の人なのは間違いないのだが、私この人の顔知らないんだよなぁ……。
「わ、私は……」
つばきです、と名乗ろうとしたところで、剛は私の口を手で塞いだ。
「いや、何でもねぇよ……。邪魔したな……」
扉を開けて一歩踏み込んだ私を強引に外の道に引っ張りだした剛はそのまま立ち去ろうとしたが、
「待ちな。見ねぇ顔だな……。何処の組のもんだ?」
五月女組です。と言いたかったが、剛に口を塞がれているので言えない。
「別に何処の組でもねぇよ……。だって高校は卒業しちまったからな。あ、高校の時なら四組だったけど……。って、そんなこと聞くってことは同じ高校卒業? あ、もしかして三組の角ちゃん?」
「てめぇ、ふざけてんのかこら?」
角刈りの男は近づいてくる。
「毎日、ど真剣ですけど。それじゃ、お邪魔しましたー」
剛は私を引っ張り来た道へと引き返そうと振り返った。
しかし、そこには既に背後から回った別の男とたちが立っていた。
「ま、来たんならゆっくりしていけや」
外にいた二人の男のうち大柄の男が近づいてくる。反対側の道も――神社とは反対方向に行く道も細身のチャラチャラした男に塞がれている。
「おいおい。てめぇら堅気の人間に手、出すつもりか?」
「人様の家に不法侵入しといて堅気も糞もあるか?」
「ねぇな……」
そして、てめぇらは見逃してくれることもねぇな――と剛は言って、私を背中側に隠した。
「よく分かってんじゃねぇか」
大柄な男は飛びかかってきた。
剛は私を後ろに少し突き飛ばし、自分は大柄な男に向かっていく。
大柄な男の拳をよけて、腹に一発食い込ませた。大柄な男は少しよろめくが踞ることはなく、体制を立て直そうとする。しかし、剛は次の手に移った。腹に拳を一発食い込ませたら次は流れるような動きで、大柄な男の太ももに膝蹴りを入れた。
「なっ?!」
これには男もたまらずに地面に膝を着いた。剛はすぐに大柄な男から距離を取った。
「てめぇ……」
反対側にいた細身の男は腰の辺りからナイフを取り出し、刃先を剛に向けて走り出した。
一瞬。正に一瞬。
剛は自分に向かって突き出されるナイフを半身をずらして避け、ナイフを持ている手首を掴んだ。そして、掴んだまま剛は細身の男の背後に回る。そして手首からいつの間にかナイフを握る男の手をがっちりと握ってナイフを離せないようにしていた。
剛はこれもまた流れるような一連の動きで細身の男の背後からナイフを持った男の手を掴んで男の喉元にナイフを突き立てた。
「暴れるな……。暴れるとナイフが刺さるぞ……」
剛は喧嘩が強いのは知っていたけど、まさかここまでとは……。
「そこまでだ。そいつを離してもらおうか?」
道まで出てきていた角刈りの男はそう言った。右手には拳銃が握られている。そしてその銃口は私を向いていた。
「お嬢ちゃん。動くと頭が吹っ飛ぶよ……」
角刈りの男は私に一歩、また一歩と近づいてくる。そして私のこめかみの当たりに銃口を突きつけた。
大ピンチである。
「どの道、銃を出された時点でお前の負けだ」
「そいつはどうかな? 勝負なんてしてるつもりなんてこれっぽっちもなかったからな……。それにそれが本物だって言う証拠もねぇからな……」
「そいつはそうだな……」
全く……。面白いことを言う。と私の頭から銃を離し、空に向けて放った。
いや……。めっちゃ本物なんだけど……。
この音といい、火薬の焼けた匂いといい……。極めつけは薬莢がチャリンと小気味いい音を立ててコンクリートの地面に落ちた。
そして銃口は私のこめかみ辺りに再び構えられる。心無しか銃口が熱を帯びているような気がした。
何か定位置みたいに銃口が私の頭に向くのだけど……。あまりに自然な動作で普通のことをしているように銃口を向けているけど、実際向けられてる方は大事だからね……。
「どうだい? いい音なるだろ?」
「てっきり、運動会のやつかと思ってたけど……。どうやら違うらしいな」
「おい! いい加減踞ってないで、こっちに来やがれ!」
「す、すんません!」
大柄の男はゆっくりと立ち上がり、片足を引きずりながら角刈りの男に近づいていく。
「この女を離すなよ……」
大柄な男に両手を掴まれ後ろに回された。力はとても強く、私が振り払うことは不可能のようだ。
角刈りの男は剛の方へ一歩一歩近づいていく、銃口は剛の方に向けられている。
「おっと……。それ以上近づかれると喉元から血が噴き出すぜ」
「おお、それは怖いな……」
角刈りの男は一旦歩を止めたものの、また、一歩一歩踏みしめるように歩き始める。
「おい! 聞こえなかったのか?」
「聞こえたよ……。でも残念だな。どうやってもお前は生き残れないよ。そいつを殺したとしても、俺に銃で撃ち殺される。そいつを離したとしても、俺に銃で撃ち殺される。何もしなくても、俺は前に近づき、銃でお前を撃ち殺す。もう、お前の生き残る術はないねぇ……」
絶体絶命。と言うやつだろうか……。
私が迂闊に扉を空けてしまったがために。こんなことになるなんて……。
いや、でも私の家に帰ってきただけなのに、何でこんなことになっているんだ?
普通に帰ってきただけで、不法侵入扱いとは困り果てたものだ。
そうだ。とりあえず話の通じる人を呼んでもらえばいいんだ。例えば父さんやギンさんを……。
私は大柄な男に話しかける。ギンさんを呼んでもらうために……。
「あの……」
「何だい? 騒がしいね」
私の声を掻き消して大きな声が背後から――家の中から飛び出した。
「家の前で喧嘩なんてするんじゃないよ……。全く銃まで出して……」
「あ、姐さん」
そこには剣道着に――紺色の袴に白色の道着に身を包む奇麗な女性が立っていた。長く黒く美しい髪は後ろで結びポニーテールにしている。凛々しく整った顔は奇麗で、かっこ良くて、でも勇ましさもあって。
って言うか……。
お母さん?
「銃をしまいな」
「え? いやでも……」
「しまいな」
仏壇の写真しか見たことなかったけど、確かに、似ている。本人と言っても過言ではないくらいに。
「女の子も離してやりな」
「へい」
私は大柄な男から解放された。解放されたからと言ってすぐに剛の下へ行かずに、ただ女性を見つめる。
「こっちは人質を放したんだ。悪いけどあんたもそいつを離してくれないかい?」
剛は握っていた手を離すと同時に、ナイフの刃の部分を摘んで細身の男からナイフを奪い取った。そしてそのまま適当にナイフを誰もいない場所に投げ捨て、男の背中を突き飛ばした。細身の男はヨロヨロと前に三歩くらいよろけはしたものの倒れることはなかった。
「いやぁ、争いごとはあんまり好きじゃないんだ。私は。ところで、あんた達は……」
「姐さん!」
またもや、家の中から声が聞こえてくる。
何やら、何処かで聞き覚えのある声の気がするのは気のせいだろうか?
扉の中から出てきたのはギンさんだった。
剛も私も目を疑った。
何と、ギンさんは若かったのだ……。
「あの〜。今って何年何月何日ですか?」
私は恐れ多い中、片手を上げて――さながら、学校で授業中に先生に質問するかのように聞いた。
何年何月何日なのかと――
何年なのかと――