1
あれはいつの事だっただろう――私には『お母さん』と呼べるものがいなかった事に、いや、母親と言う自分を生んでくれた者の存在(生物学的に)を始めて知ったのは。
いつの事だっただろうか。
確かあれは、私がまだ小学校に通う前の事だったはずだ。年齢にして五、六歳と言ったところだろうか。
何のことは無い。
それまで母親と言うものの存在を――家族構成では欠かせない母親の存在を知らずに、何の不自由も無く、家の者には可愛がられて育ってきたのだ。それは父親だけでなく――私の家は一般家庭と少し違う、と言うか、家族だけで過ごしている家ではない。私は組長の娘と言えば察してくれると思う。柔らかく言えばヤーさんである。
別にその存在、母親の存在が無くても何も不満や寂しさを感じる事は無かった――だって、何度も言うが、私にとって家族は家にいる者だけでそれ以外は違うと幼いながらの私でも感じていたのだ。
母親不在の家庭。
母親のいない家庭。
母親の存在が無い家庭。
だから、私は知った時――父親がいれば母親が必ずいると知った時。
聞いたのだ。
素直な疑問を投げかける子どもの私は。
父親に。
「おとうさん。どうしてわたしには『おかあさん』がいないの」
当時の私はなんて事は無い。好奇心から聞いたのだろう。それは、まるでカブトムシを初めて見て、興奮して手を伸ばすかのような好奇心。それと似ていたに違いない。
その時、父はどんな顔をしていたかは、私の記憶には無い、思い出せないのだが、それでも決して、なぞなぞが解けたような悪戯な表情――子どもをからかう表情はしていなかっただろう。
父が何と答えたのかも私は思い出せない。
私はそれくらい、私にとって、どうでも良いような質問をしたのだと言う記憶だけはあるのだ。
思い出せないだけで、父は私の記憶に深く刻まれるような(思い出せないのだが……)複雑な顔を――表情をしていたのだろう。
その顔が私にこんな事を思い出させているのだと私は思う。
いや、何度も言うけど、思い出せないのだけれど。
幼いながらの私にも何かあることを感じていたのは確かだった。
それ以来、私から母親の話をする事は無くなったそうだが。
時は流れて。
中学生に入学した日の事だ。
父から母の話をされた。
そして家の奥に隠されていたかのようにあった、母の仏壇に生まれて初めて手を合わせた。
父の話を聞いてみれば何の事はない。
母は病気で亡くなったそうだ。
もう、私の家には母の存在が無い状況で育って来たため、いきなり仏壇の前に連れて行かれて、これがお母さんだ、と言われても。
と言った感じである。
ただ、仏壇の写真の女性――母はとても奇麗な人だった。美しい人だった。
大和撫子を思わす長いまっすぐな黒い髪の毛は艶が感じ取れるくらい奇麗だった。
写真を見ていたので、写真が奇麗だった可能性も無きにしも非ずだが。
私のお母さんと言われれば目や鼻、口と言ったパーツは確かに似ている。
どうやら私はお母さんに似ているらしい。
しかし、だ。
やはり、あまり親近感もわかない。
だって、もう亡くなっているのだから。
だって、もう死んでいるのだから。
だって、もうこの家にはいないのだから。
だって、私は一度も話したことが無いのだから。
「私に似てるのかな……。でも……何か、お母さんって男勝りだった?」
「お前に似てるんじゃなくて、母さんに……
さくらさんにお前が似ているんだよ。それにしても男勝りに見えるのか? それはお前も男勝りだからかな……」
悪態をつく父。
意地悪な表情だ。
ニヤニヤ顔がムカつく。
しかし、私は父親の悪態を華麗にスルー。
私の何処ら辺が男勝りなのか教えてほしいくらいだが……。
しかし、どうやら男勝りな性格らしい。
と、言った具合に私は中学生になった初日、母とのファーストコンタクト(生まれた時、母はまだ生きていたので厳密には違うが……)を私は終えた。
これは私の、五月女つばきの母の物語。
美しく、気高く、強い。
母の物語。