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あのー、すいません……この右から2番目にある『夢』っていくらで買えますか?

 学校帰りに立ち寄った個人経営の小さな喫茶店兼本屋で、私が本を物色していると、唐突にゆりがそんなことを言い出した。また変なことを言い出したと私が顔を上げると、なんと相手はウェイターをしていた店主の息子である。


 黒縁で分厚いレンズの嵌った眼鏡を掛けた神経質そうな彼は、眉を寄せて、怪訝そうにゆりをみている。髪は邪魔にならないようにか短髪であるが、どこかもっさりしてみえるのは店主譲りの天然パーマな髪質のせいだろうか。ちなみに店長は無理矢理にポマードでオールバックにまとめているが、いつもどこかが二、三跳ねているという壮年の男性である。店主の眼光が鋭いことはまずないので、おそらく息子の目元は母親譲りなのだろう。


「あぁ?」

「あれ、聞こえませんでしたか?」

 不機嫌そうに返ってきた答えに、ゆりは首を傾げる。いや、たぶん、聞こえているはずだけど、なんだこいつと思われてるよ、ゆり。同席している私までゆりと同類と思われるのは面倒だが、フォローしたところで被害が及びそうだし、放っておくかと私は手元に視線を戻した。


「この右から2番目にある『夢』って」

「聞こえてる」

 不機嫌そうな男はしかし、ゆりを否定するでなく、父親を呼んだ。


「親父」

「パパって呼んでくれなきゃやだ」

「誰が呼ぶか!」

「じゃあ、ダディで」

「親父」

「もー、そんな可愛くない呼び方するなら、返事してあげないよ?」

 ……店内で親子漫才するのはやめていただけないだろうか。いくら私たちの他に客がいないとはいえ、一応仕事中だろう。


「パパさん、この右から2番目にある『夢』っていくらで買えますか?」

 親子のじゃれあいに割り込んだゆりの声は、至って真剣で、私は怪訝に顔を上げた。店主は柔らかな双眸を暖かに緩ませて、ゆりに微笑んでいる。息子は渋い顔で、ちょっと、なんでこっちを睨みつけてくるんだ。別に私が無理矢理に連れてきたわけじゃなく、この子が勝手についてきただけなんだからな。


「買いたいの?」

「買えるなら」

 ゆりは真剣であるが、内容はふざけたものだ。だが、店主は嘲笑うことはなかった。


「買える夢なの?」

「わかりません」

 そもそも夢を買うとか、意味がわからない。夢は見るものであって、買うものじゃない。


「夢は掴むものであって、買うもんじゃないだろ」

 似ているようで全然別の答えを出した、店主の息子に私は瞠目した。


「夢は見るものでしょ」

「あぁ? 何言ってんだ。掴むものだろ」

「違うよ、叶えるものだよ。あと、あやめちゃんもりーくんも黙ってくれるかな」

 店主に注意されて、私たちは口を噤んだ。睨んでくるな、こら。店主に怒られたのは私のせいじゃないだろう。お前が先に口出ししたせいだろうが。


「えーっと、あやめちゃんのオトモダチの」

「ゆりです」

「そう、ゆりちゃん。ゆりちゃんが買いたい夢はどんな夢?」

「あやめちゃんとずーっと一緒にいられる夢です」

「……買う必要あるのか、それ」

「ありますよ。だって、今のままじゃ、いつかあやめちゃんが結婚しちゃったら、私を置いていっちゃうじゃないですか。私はずっとずーっと、あやめちゃんの一番でいたいんですっ」

 誰がいつ一番だと言った。まあ、今一番仲がいいのはゆりだけど、私だって他に友だちがいないわけじゃない。ゆりが一緒にいるのは、ゆりが私の後をついてくるからだ。だから、ゆりの一番が私じゃなくなれば、自然と私たちは別々の道を歩むことになるだろう。そんなのはあたりまえのことだろう。


「そう、ゆりちゃんはあやめちゃんが大好きなんだ」

「違います」

「え?」

「大好きなんじゃなく、愛してるんです。他の何もいらないぐらい、私はあやめちゃんを愛してるんですっ」

 なんかこっ恥ずかしいことを言い出したゆりにつっこみをいれる前に、ゆりは私に満面の笑顔で抱きついてきた。


「ちょっ、ゆり!?」

「なんだおまえら」

 おいこら、人を変態みたいに見るのをやめろ、店主の息子。


「私はノーマルだっつってんでしょ! 巻き込むな、ゆりっ」

 この間の話はすっかり終わったものと思っていたのに、なんでこうなった。


「女子高生が戯れてるのっていいよね、りーくん」

「俺を巻き込むな、変態親父」

「ひどいなぁ、りーくんだって」

「っ、俺はノーマルだっ。いつまでも蒸し返すんじゃねぇっ!」

 店主が言いかけた何かを店主の息子は慌てて遮る。何を言いかけたんだろうと首を傾げる前に、ゆりはマイペースに話しかけてくる。


「あやめちゃん、いつお婿に来ますか?」

「男になる予定はない」

「えーじゃあ、ゆりが男の子になるんですか。それでもいいですけど」

「ゆりとそういう関係になる予定もないっ!」

「あはは、ひどいですね、あやめちゃん。ゆり、泣いちゃいますよ?」

 混沌としてきた状況に私は頭を抱えたくなったが、抱きついてきたゆりがそうさせてくれない。よって、私はいつもの手段に出るしかない。


「ていっ」

「たっ」

「冗談は程々にしなさい」

「ひどいです、あやめちゃんー」

「あと読書の邪魔するなら、先に帰って」

 ゆりを引き剥がしてから、手元の本に視線を戻す。ああもう、どこまで読んだっけ。


「ゆりちゃん、それで夢ってなに?」

 何故むしかえすのか、この店主。普段はほっといてくれて、居心地も悪くない店だと思っていたのだけど。寡黙でクールで渋い店主だと思っていたのに、けっこう好みだったのに!


 本を閉じて、私は店主の息子に席料を押し付けて、店内唯一の出入り口へ足を向けた。


「あやめちゃん、置いてくなんてひどいですよー」

 案の定ゆりは慌てて追い付いてくる。なんか背後からの視線が生ぬるいので、ぎろりと睨むと、へらりと気の抜けた笑顔の店主が手を振っていた。


「またおいで」

 妙に毒気を抜かれるほんわかした雰囲気に少しだけのまれたが、私は無言で店を後にしたのだった。

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