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Calamity Children  作者: 輝血鬼灯
Bloody Blood
6/11

3.夜を彷徨う者

 とかく最近は吸血鬼騒ぎのせいで、街中に活気が少ない。昼はそこそこ人の賑わいがあるのだが、夜は不自然なほどに人通りが少なく、おかげで深夜営業の酒場などはどこも閑散としている。

「いいのかい、兄ちゃん。客なんかろくに来やしねぇぞ」

「ありがとう、御店主。でもほら、何事もまずやってみなければわからないでしょ?」

 このご時世にも店を開けている数少ない酒場の一つを選びファタルは店主に頼み込んで演奏のための場所を借りた。常に持ち歩いている竪琴を膝に置き、弦の調子を確かめる。

 教えられたとおり、普段酒場が盛り上がる時間帯になっても客の入りは少ない。多いとは言えない席の半分も埋まらず、やってきた連中はこの時間酒を飲む以外にすることがないというような風貌をしていた。

 事件の陰鬱さによる暗さとはまた別の不思議な空気を纏い、今宵の酒場では吟遊詩人の演奏が始まる。領主にも褒められた声でファタルは竪琴を弾きながら様々な歌を歌いだす。

 子どもにも好まれる勇者の冒険譚。女性を虜にする恋歌。心に訴えかけるしっとりとした抒情歌。とにかく明るい流行りの唄。

 同じ竪琴を弾いているとは思えないほど、その指と声が、いくつもの熱情を、哀惜を、歓喜を、絶望を、そして希望を紡ぎだす。

 酒場の客たちはいつの間にかその世界に引き込まれ、誰もが手を止めて聞き入るようにしていた。ファタルの演奏にはそういった力があり、それは傍で聞いているソーンも例外ではない。

 一休みするためにファタルが竪琴から手を外し立ち上がって礼をすると、一瞬後にはそこかしこからまばらな拍手が聞こえてきた。

 人数が少ないだけに、若き吟遊詩人をネタにして夜通し騒ごうとするようなお祭り気分は少ない。だがそれ故にこの場に集まった者たちは余計なことを考えず、ただただ音楽に聞き入ることができた。

「いや、よかったよ。次も期待しているよ」

 店主はファタルにそう声をかけ、自分の奢りだといって甘い蜜酒を二人に出してやると、他の客に料理の追加注文を受けて店の奥の厨房に消えて行った。

 何曲も歌い終えて喉が渇いているはずのファタルよりも先に、甘いものが好きなソーンが蜜酒に手を伸ばす。それをにっこりと微笑んで見つめながら自分もグラスに手を伸ばしたファタルに、隣の席から声がかかる。

「いい声をしておるな、お若いの」

「お褒めに預かり光栄の至り」

 雪の白い髪の老人が、懐かしいものを見る目でファタルを見ていた。

「まさかお前さんのような若者の口から、あんなに古い歌を聞けるとは思っておらんかった」

「連れがその手のことに詳しいもので」

 ファタルのように本業ではないが、ソーンも歌は人並にできる。彼が知っている歌は、それまでファタルが聞いたこともないような響きを持っていた。

 それが老人の耳に懐かしい音として届いたという。彼はどう見ても子どものソーンを見て目を瞬かせた。

「しかしお前さんたち、この街で今起こっている事件を知らんのか? 吸血鬼の歌を歌うなど酔狂な」

「事件を知っているからこそですよ。ああすれば誰かが僕たちにいろいろと教えてくれるでしょう?」

「何故そんなにも、事件のことを知りたがる」

「僕が知りたいのは吸血鬼に関する事柄です。僕は、とある吸血鬼を探していまして」

 悪くすれば喧嘩を売られることも覚悟していたのだが、どうやら穏便に済みそうだ。老人はファタルの言葉を面白そうに聞いていて、怒り出す様子はない。ファタルは老人に尋ねた。

「この街では吸血鬼による殺人事件が起きている。吸血鬼は赤い髪の忌子を狙っている。……この街の吸血鬼とはつまり何なんです?」

「目の付け所が良い」

 いまや街の若い者は誰もそれを知らないと、老人はにやりと白い髭を揺らして笑う。

「よく聞け旅の者よ、そもそもこの街にとって吸血鬼とは――」

 老人の言葉を聞いて、ファタルはようやく得心がいった。余所者ということでどうにも納得いかなかった吸血鬼事件と赤き忌子の伝承が一つになっていく。

「ありがとう、おじいさん。この酒場に来た甲斐がありましたよ」

「なら、もう一曲歌ってもらおうかの。この曲は知っておるか?」

「それも確かソーンから聞いたことが……。ええ、喜んでやらせてもらいますよ」

 酒場の夜は更けていく。


 ◆◆◆◆◆


「ヘザー! こんなところにいたの?!」

 涼しい夜風に乗って流れてきた近くの酒場から聞こえる旋律に耳を傾けていたヘザーは、自分の名を呼ぶ尼僧の声に振り返った。いつもは法衣の下に隠れている長い髪を、エマは手で押さえながらこちらへとやってくる。

「こんな時間にどうして外に出ているの? 危ないわよ。教会へ帰りましょう」

 安堵と、その裏返しの僅かな怒りを乗せた声で発した言葉に、ヘザーは頷かなかった。いつも洗濯に使う川辺でヘザーを発見したエマは、少女の手に握られているものを見て、ヘザーがこんな時間にわざわざ一人でこんな場所にいるわけを知る。

「……誰がやったの?」

「知らない。見つけられたのは、運が良かった。捨てられちゃってたとこだったから」

 少女がきつく両手に掴んでいるのは洗い立てのハンカチで、洗い立てだからこそ、何度布地をこすっても落ちなかったのだろう汚れまで見て取れる。

「赤い髪は鬼子だから仕方ないんだって。でも、このハンカチは借り物だから」

「――あなたはもっと怒っていいのよ」

 ヘザーは否定の印に首を横に振った。その頬を両手でそっと掴み、エマは彼女の顔を自分の方へと向ける。

「ヘザー。こっちを見て。私のことをちゃんと、よく見て」

「……エマ?」

 薄青い闇に竪琴の音が聞こえる月夜。今日の月は怖いくらいに明るい。その光の下でヘザーは見た。

「エマって……赤い髪?」

「そうよ。私も赤毛なの。不吉な、忌まわしい鬼子の赤」

 いつもは法衣で隠れている若き尼僧の髪は、燃える炎のようと言われるヘザーのものよりずっと暗い色をしている。睫毛や眉はより茶に近いから、髪をすべて隠している分にはエマが赤毛だと誰も気づかなかったのだ。

「私もあなたと同じよ。あなたの苦しみは私の苦しみ。だから一緒に怒らせてちょうだい」

「エマ、私……」

 視線を落として震える声で呟いたヘザーの背後に、ふと月明かりを遮る影が差した。

 振り返った二人の目前に突如として闇の化身のような男が現れた。その手に鋭い鎌を持って。黒い靄をまとわりつかせたその姿は、確かに魔物じみていた。

 呆然と立ち尽くすヘザーと違い、エマの判断は早かった。硬直した少女の手を引いて、教会へと駆け出す。

「何してるの?! 逃げるわよ!」

 逃げる二人を、鎌を持つ男が追ってくる。

「きゃあ!」

 いくらも経たないうちにエマの長い髪を男の手が掴んだ。あっという間に尼僧を腕の中に収めると、掴んだ長い髪を引いて白い首をのけぞらせる。

 月明かりを反射して、鎌の刃が鋭く光る。

「離せ! 離せよ! この殺人鬼!」

 相手は体格から見て確実に男だ。けれど輪郭がはっきりせず、まるで黒い影のように見える。噂通り人間というよりも魔物のようだ。

「誰か……!」

 悪あがきとわかっていても叫ぶヘザーの言葉を、耳を斬りつけるような怪音と衝撃が遮ったのはその時だった。

「きゃっ!」

 誰かが目にも止まらぬ速さで、尼僧を拘束していた鎌男へ攻撃を加えた。男の手が離れたはいいものの、地面に投げ出されそうになったエマの体を砂色の髪の青年が受け止める。

「ファタルさん、ソーン……」

 すたっと身軽に地に降り立ったのは、鎌男に痛烈な蹴りを食らわしたソーンだった。

「やぁ、そちらが最近ちまたで流行りの通称吸血鬼さんかな」

 吟遊詩人は尼僧を庇うように抱きしめながら、鎌男に声をかけた。

「……ふーん、どうやらそちらさん、純粋な人間じゃなさそうだ」

 いくらソーンの身が軽くとも、先程の一撃で昏倒することもない男はただの人間ではないのだろう。けれど。

「だからと言って吸血鬼というわけでもなさそうだけどね」

 黒い靄の塊のように見える鎌男の目がぎらぎらと光る。人間ではないが、魔物でもない。異端の生き物。

 危険を察知したソーンが叫ぶ。

「このバカ……!」

 ファタルの挑発に憤った鎌男は、そのまま彼に斬りかかってきた。

 避けようにも後ろは川で後がなく、腕にエマを抱いたままのファタルはその手を離すこともない。

 閃いた白刃の後を追う血の軌跡。

「――ファタルさん!」

 ヘザーは瞳を見開いた。

 誰に教えられずともわかる。あれは致命傷だ。あんなにどくどくと血を流して、体が糸の切れた操り人形のようになって、生きていられるわけがない。

 しかし場が硬直したのは一瞬だった。ソーンはファタルの死に様にもまったく動じることなく、鎌男に攻撃を仕掛けた。

「……っ!」

この場に留まっても勝機はないと感じたらしい男がその場を立ち去る。

 あとには、ソーンとヘザーにエマ、そしてファタルの死体だけが取り残される。二人は声も出せなかった。――ファタルの死体を前にして。

 呆然と立ち尽くすヘザーと、足から力が抜けてへたりこんでしまったエマ。

「ファタルさ、ファタルさんが、私を庇って……」

「エマ……」

 尼僧として魂の安寧を祈ることも忘れ、怯えたように震えるエマをヘザーもまた涙を堪えた悲痛な面持ちで見つめる。そもそもの事の発端はヘザーだ。彼女がこんな夜中に一人外歩きなどしなければ、吸血鬼に襲われることもなかったのだ。

 それぞれの後悔に打ちひしがれる二人とは裏腹に、冷めた翡翠の眼差しを血まみれで地に伏すファタルに向けるのは誰よりも彼と親交深いはずのその連れであるソーンだった。

 彼はいかにも面倒そうに自分の前髪をかきあげると、あろうことか地面に横たわるファタルの死体の頭を、ガッと乱暴に蹴りあげた。

「さっさと起きろよ、バカ」

「ソーン! あんた一体何を……!」

 仮にも友人ではあっただろう相手の物言わぬ躯に対する暴挙に、エマは零れ落ちそうなほど目を瞠り、ヘザーはファタルに代わって彼を責めたてようとした。

 けれど今にも罵倒を紡ぐはずだったその唇の動きが、ふいの驚きに引きつれる。

「――え?」

 一瞬ぴくりと跳ねた指先と、血の滲んだ衣服が立てる少し歪な衣擦れ。それをかき消す、どこか眠たげな呻き。

「……うぅ。ソーン……」

 相棒の名を呼ぶ声はかすれているが、間違いなくファタル自身のものだ。

「おはよ。夜だけどな」

「僕、もしかして今、死んでた……」

「ばっちりな」

「あたたたた。参ったねぇ――って」

 ソーンにいつもの情けない笑いを見せながら自分の全身の状態を確認するように頭をめぐらしたファタルは、それでようやくこの場にエマとヘザーがいることに気づいた。

 二人とも完全に恐怖と驚愕で硬直している。

「ちょ、ソーン! こんな人がいるところで起こさないでよ! って痛たたたたたたァ!」

 叫んだ途端傷が疼いたのか、一人悶絶するファタルをこれ以上ないほど冷たい眼差しで見下ろしながらソーンは言った。そもそも酒場での演奏帰りにこの事態に気づいて駆け出したのはファタルなのだ。

「ここまで見られたんだ。下手に隠そうとするよりもバラしたほうがマシだ」

「まぁ……そうかもね」

 ファタルは怪我をした部位を庇うように腕で押さえながら、引きつり笑いを何とか苦笑に変えて、立ち尽くすエマとヘザーに目を向ける。

「ごめんね。驚かせてしまったね」

「あ、あんた、何者なの?!」

 ヘザーはいまだ血まみれのファタルの姿に怯え、自分の身を庇うように胸元に腕を引き寄せながら一歩、二歩と下がり距離をとった。対して冷静さを取り戻したエマは、半信半疑といった表情で巡礼を名乗る少年たちに問いかける。

「まさかファタルさんは……本物の吸血鬼なのですか」

「――違うよ」

 一瞬の間をおいて、しかしファタルははっきりと否定の言葉を口にする。

 薄青い月を背にした彼の姿は、その色素の薄さやいまだ頬を汚す血と相まって、ファタルを幽鬼めいてみせる。実際彼は人間であれば致命傷である傷から何をせずとも生還したのだから、人外であることには間違いない。

 血の気の失せた唇に淡い笑みを刻んでファタルは告げる。

「僕はただの――不老不死なだけの人間だよ」

「不老不死……」

 この時代、吸血鬼にも負けず劣らずのお伽噺めいた単語に、エマは青い目を瞬いた。

 手当するまでもなく癒えていく傷口。幾らか痛みも和らいだのか、竪琴もなく吟遊詩人は彼自身の物語を語りだす。

「昔々、とある呪われた王国に、実の姉弟の間に生まれた子どもがいました。近親相姦の末に生まれた忌子。誰もが忌避するその生まれの子どもは、長じて自らが吸血鬼という存在によって不老不死の呪いをかけられた存在であることを知ります」

「俺たちは、こいつのこの呪いを解くために旅をしている」

 ファタルの言葉にソーンがつけたした。先程は死んでいたファタルの頭を足蹴にするなど乱暴だったソーンだが、それでも相棒のことを多少は気遣う気持ちがあるのか今は彼が顔を拭くための布など差し出してやっている。

 その姿を見て、エマは安堵を覚えていた。血濡れで立ち上がるファタルの姿は、確かに恐怖を誘うものだ。けれどそれがあったからといって、彼の人格まで否定されるものではない。むしろその呪いがあるからこそ、今のファタルがあるのだろう。

 けれどそうは思えない者もいた。

「……化け物!」

 自分自身痛みを堪えるかのように両手で頭を抱えて蹲りヘザーが押し殺した呻きで叫ぶ。

「不老不死なんて……そんなの信じられない! そうやって信用させて、どうせみんな殺す気なんだ!」

「ヘザー!」

 咎める声をエマが上げるが、少女は聞かなかった。内なる恐怖に突き動かされるままに一目散に、教会へと駆け出していく。

 あとには気まずい空間に、溜息だけが残された。


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