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Calamity Children  作者: 輝血鬼灯
Calamity Children
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夜語り 【後編】

 異端者だった。

 何処に居ても、何処に行っても。

 群れの中では力不足を罵られ、けれどひとたび外に出てかよわき人間族に混ざれば明らかに頑強で異常だった。野の獣と共にあるは気楽だが言葉を交わして孤独を癒すことは叶わず、かといって結局のところ、同族にしろ異種族にしろ、言葉を交わせる知能を持つ相手からの意志には常に傷付けられてきた。

 異端者だった。

 何処に行っても、何処に居ても。

 真冬の凍える雪の中、暖かな火の灯る暖炉。やわらかい声で迎えてくれた人好きのする一家。けれど窓の外を見ていた。扉の向こうを思い描いていた。家の中が暖かければ暖かいほど、早く冷たい雪原に飛び出したかった。

 真実の姿が受け入れてもらえないならばと、偽り、隠し、欺き続ける。周囲だけでなく、時には己さえも。優しい人々の中にいて優しい気持ちになれても、それはいつもひとときの夢、はかない幻でしかなかった。現実に立ちかえれば己が混ざれる群れは存在せず、今は穏やかな眼差しを向けてくれる人々も、きっと己の真実を知ればおぞましいと顔を背けるに決まっている。

 だからそれが知られる前に、全てが明るみに出る前に、今が幸せの絶頂というその時に、ぬるま湯の中から逃げ出して来た。また会おうと別れ、だけど多分二度と会うことはない人たち。会いたい。けれど会えない。何十年の時を経ても変わらぬこの姿を見れば、彼らの顔はきっと驚愕と恐怖に歪むだろう。だから、会えない。

 異端者だった。

 どこにも居られなかった。

 どんな夢のような理想郷でも決して留まること叶わず、時の移ろうままに宛て所なくこの世界を彷徨う。求める場所がこの世にないと知っていても、留まれないから進むしかない。己の尾を飲む蛇の背を辿るように、終わりなき円を描く旅路。世界は丸く、けれど上下に延びる螺旋を描いている。

 ひとたび通り過ぎて来た時の中に置き去りにしてきた――あるいは己を置き去りにした――人々には二度と会えず、自分一人、ただ、永遠の。

 ずっと一人で旅を続けて来た。

「……ふん」

 口元の血を拭い、ソーンは鼻を鳴らす。

「何が、共通点だよ。何が、呪いだよ」

 忌々しげに吐き捨てる。銀髪の少年は殊勝な仮面を引き剥がして、自らが喉首を食い破って殺した男の死体を見遣る。

 若い男らしい生命力に溢れた健康な血液をたっぷりとソーンに提供した相手は、今や全身血にまみれ四肢を投げ出し横たわっている。からからのミイラにこそなっていないが、青白い皮膚からは完全に血の気が引いている。

 焚き火の炎は完全に消えていたが、ソーンにはこの闇の中でも周囲の状況がはっきりと目に見えていた。吸血鬼は夜目が利く。闇に棲まう魔性と呼ばれる生き物は大概そうだ。これは肉体的なものであって魔力でもなんでもないから、ソーンもその例に漏れなかった。そう、“忌子”と呼ばれる彼であっても。

 彼は異端者だった。魔力を持たない魔性。それは忌子と呼ばれる。吸血鬼の世界では、ソーンはできそこないとして嘲られ軽んじられる存在だった。親兄弟にも見放され、本来吸血鬼よりもずっと弱いはずの人間に混じって暮らす彼を、同族たちは侮蔑の眼差しで見つめる。魅了の魔力で黙っていても餌となる人間を呼び寄せられる同胞と違って、ソーンは時と場合に合わせて、あらゆる努力をしなければ相手の油断を誘えない。

 例えば今日のように、無駄だとわかっていても相手の油断を引き出すために世間話に興じる振りをしなければならない。なまじ数日間餌を逃し続けたせいで彼は空腹だった。ようやく獲物を見つけたはいいものの、闇夜の中を二十歳にも満たない子どもが一人明かりも持たずに歩いているというあまりにも不自然な様子を晒した邂逅に、内心では緊張していた。夜目の利く彼は闇の中でも灯りを必要としないが、ただの人間にとってみればその状況は不審だ。

 そして魔力を持たないソーンは、獲物を組み伏せる時も己の腕力と肉体だけで勝負しなければならない。獲物の方で勝手に跪いて愛を請うてくる同胞たちとは違い、自分自身の力で人間をねじ伏せねばその新鮮な血液にはありつけない。

 それでも今日は、なんとかなった。

 相手がお人好しの一人旅だったため、さして腕力のないソーンにも組み伏せることができた。第三者が通りがかれば惨劇の現場にしか見えない血塗れの森の中、少年はようやく安堵の息をつく。

 饒舌な吟遊詩人は、今は物言わぬ屍と化している。代わりに物静かな少年の仮面を脱ぎ棄て素の顔を晒したソーンが、口数を増やした。

「何が、不老不死。何が、罪。何が、呪われた王国だ。不老不死だってその王国内では当たり前のように受け止められ、針の筵でも王子には居場所が存在し、両親から決定的に捨てられたわけでもないのに」

 ソーンの端麗な面差しが、笑みを形どる唇から歪む。翡翠の瞳に、暗い光が浮かんだ。

 唇から零れる刺々しい言葉は、先程ファタルの語る“物語”を聞いていた時、つい引き込まれてしまっていた自分自身への苛立ちの裏返しだ。ファタルに指摘されるまで、ソーンは自分が呪われた王子の孤独に自身の想いを重ねていたことさえ気づかなかった。そしてただ相手を油断させるための時間稼ぎのような世間話のはずだったのに、そうまで自分を惹きこむ話術を持った吟遊詩人に嫉妬した。

 羨望と憧憬。そこから派生する嫉妬。彼は妬んでばかりだった。あらゆる意味で、この世の力ある者たちを。ソーンにはいつも何もない。何もないからこそ、ただ奪うことしか知らない。

 そんな自分の身の上を思えば、絶望と希望を等しく抱えた王子様は共感と同時に嫉妬の対象でもあった。ソーンからすれば王子様の抱える不幸は随分生温く、物語として幸せな結末を願うと同時に、そのまま彼が何もかも失って不幸になればよかったとも思っている。

 ソーンの中には二つの感情がある。この想いを、この痛みを、誰かにわかってほしいという願いと。この痛みは誰にもわかるはずがないという半ば意地のような諦観と。

 だから彼は普段自分がされているように、物語中の王子様に対して皮肉気に嘲笑った。

「その程度で“呪われてる”なんて笑わせる」

「――酷いな、これでも私は苦しんでるのに」

 唐突に発された声に、吸血鬼の少年はバッとその場から飛びのいた。

「なっ……!」

 愕然と目を見開き、目の前の信じられない光景を凝視する。

「やれやれ。また派手にやってくれたもんだね」

 子猫の悪戯を嗜めるかのように穏やかな口調で言いながら、ファタルは――先程自分が殺したはずの吟遊詩人はその血塗れの体を起こした。


 ◆◆◆◆◆


 それは課せられた苦役。終わりの見えない贖罪。


 運命の王子は血塗れた身体で口の端を吊り上げる。

「な、んで」

 常に優美たることを好む吸血鬼が尻もちをついて倒れるところなんて滅多にお目にかかれるものではない、などと思いながら、ファタルは呆然としているソーンを見つめ返す。

「言わなかったかい? “不老不死”だと。それとも話に余程聞き入ってくれたのかな? “これはただの物語です”」

 先程の無防備なまでに人懐こかった顔とは打って変わって皮肉な笑みを浮かべたファタルの言葉に、ソーンもようやく合点がいく。

「あの話、あの物語の主人公はまさか」

「そうだよ。あれは私の国のこと。呪われ忌み嫌われた近親相姦の子である王子とは、私だ。ファルディランタル=アレスヴァルド」

 かつて、この地上には神の末裔を名乗る王国が存在した。神託によって人々の運命が導かれる王国、アレスヴァルド。しかし国を滅ぼすと予言を受けた王子の登場により、一度滅び、また復興した王国。今では往年の栄華の影もないと噂されていたが……。

「不老不死の呪いだなんて、聞いたこともない」

「人は意外と世間に関心を持たないものだよ。それにこれでも、他王家にはこの話は充分伝わっている。市井の人々には何故ここ数百年のアレスヴァルドがかつての大国の勢いを失ったのかまではわからないだろうけど、もともと復興後のアレスヴァルドはもはやかつての神聖アレスヴァルド王国とは言えないものだったからね。今のあの国に、神の血は伝わっていない」

 古王国アレスヴァルド。神の血を失い、予言に滅ぼされたという曰くつきの国には、他国には公にできぬ事情が溢れている。もっとも、王家などどこもそんなものかもしれないが。

「さて、今度は君の話だよ。ソーン。君が話してくれた吸血鬼の“忌子”とは、君自身のことだね?」

「……そうですよ」

 今まさに殺されて生き返りました、というには落ち着き過ぎているファタルの様子に観念したのか、ソーンが溜息と共に肯定した。

 闇の中、ソーンと違って体は普通の人間であるファタルは本来火がないと何も見えない。しかしソーンはその白い肌も銀の髪も目立つので、彼がどこにいるのかを知るくらいならば困らなかった。

「僕は吸血鬼でありながら、魔力を持たない“忌子”。そのために集落を追い出されて何十年も一人で生きてきました」

「何十年? すると君の実年齢はその見かけ通りではないというわけか」

「ええ。あなたよりずっと年上でしょう。あなたが見た目通りの年齢であれば、の話ですが」

「私は今、十七だ。もっとも、この後どうなるかはわからないけれどね」

 アレスヴァルドの王族は不老不死の呪いをかけられてから、滅多に婚儀を結ばなくなった。けれど中には欲望に負けて子を成す者たちもいるわけで、そうやって生まれて来た子どもは大概が成人まで人と変わらずに成長し、大人になってからはゆっくりと歳を重ね人よりも少しばかり永く生きて死んでいった。少なくとも片親が不死者ではなくただの人間である子どもたちはそうだった。

 ファタルに関しては、彼自身のことは実をいうとよくわからない。呪われた王族同士で子を成した前例が、そもそもないからだ。けれど両親共に不死者である以上、普通の人間よりもかなり永い生であることは確実だ。それが半永久的なものになるか、いずれ終わりが来るのかについては今はまだ知れない。

「で、私たちはこれからどうすればいいのかな?」

 ファタルは彼自身の血に濡れた指で頬を掻いた。

「そんなこと、僕に言われても困ります。それともあなたは、僕に何かを要求するつもりなんですか? 生憎と、持ち合わせも隠し財産も何もありませんが。それとも、地べたに這いつくばって謝罪でもしろと?」

 ソーンは翡翠の瞳でキッとファタルを睨む。

 彼は魔力を持たないが吸血鬼。ファタルは呪われてはいるが人間。ソーンにとってファタルは獲物で、ファタルにとってソーンは捕食者だ。お互いの正体を知ってしまえば、対等に話をするというのがまず不自然な状況なのかもしれない。

 ソーンにはファタルに謝罪などするつもりはない。けれどファタルの要望は違った。

「いいや。ソーン。私はそんなことを言っているのではないよ」

「では何と?」

「これも何かの縁だ。お互い人より永い寿命を持つ異端者同士、これからも一緒に旅をしないかい?」

「は……」

 吸血鬼の少年は絶句した。

 勧誘者である呪われた王子こと吟遊詩人は、この凄惨な状況に不似合いな程の笑顔だ。恐ろしいことに、そこには裏も含みも何もない。

「……阿呆かよ、あんた。自分を殺したっていう相手に――」

 思わず素になって呟くソーンに、ファタルはなおもにこにこと言葉を重ねる。

「そう? 我ながら名案だと思うけどね。だってここで別れたら、私は君が吸血鬼だと触れ回るかもしれないよ? そうしたら君だって何とかして私の口を塞ごうとするだろうし。そうやってぎすぎすした敵対関係を回避するためには、お友達になるのが一番じゃないかな?」

「さっき、そのまま僕が姿を消すまで死んだふりをしてれば良かった話じゃないのか?」

「ああ、そうか。でも起きちゃったからなぁ。うーん、時は戻せないし」

 のほほんと言うファタルの姿に完全に気が抜けて、ソーンが切り株に座り込む。

「……僕が怖くないのか?」

「ちっとも。君のその可愛い顔を見て怖いと思う男の方が少ないんじゃないか?」

「顔のことじゃない。だって僕は、吸血鬼で……あんたを殺したんだぞ。その気になれば人間なんて簡単に捻り殺せるのに」

「でも私は死なないよ。今のところ不老じゃないが、少なくとも不死だからね。君こそ僕が気持ち悪くないの? この呪いのこともあるし、それに僕の親は、兄と妹でまぐわったんだよ?」

「そんなの……」

「君がそういう人だから、私は君に興味を持ったんだ」

 ファタルの言葉に、ソーンは瞳を揺らした。

「僕と一緒に行こう。一緒に生きよう。ソーン」

 差し伸べられた手は血に濡れている。ファタル自身の血であり、それを流させたのはソーンだ。それなのにファタルは、臆した様子もなくソーンに手を差し伸べる。

 血塗られた手。血塗られた一族。血塗られた血脈。

 その中でも更に疎まれる禁忌の子。だから誰かと共にあることなど、望むどころか夢に見たこともなかった。

「豪胆すぎる」

「ありがとう。歌と語りを除けば私の唯一の取り柄なんだ」

 くすっと笑ってファタルが血色の手でソーンの手を掴み、包み込むようにする。真実血塗られているのは、果たしてどちらの手なのだろうか。

「僕は……」

 ソーンは唇を動かし、初めてファタルの名を呼んだ。


 やがて夜が明ける。


 終わりのない夜はないという。だが昼と夜は必ず繰り返す。この世のものは何もかもがいずれ失われる。だがその事実自体は不変である。こんな世の中に、何がありえることで何がありえないことなのか。何が永久不変で、何が変わりゆくものなのか。

 誰もその答を知らない。

「さて、行こうか」

 吟遊詩人が手を伸ばすと、吸血鬼は無言でその手をとり立ち上がった。少なくとも今この時、彼らの歩みは揃っている。永遠の保証などまるでない、脆さを内包した絆。

 物語は語り出した瞬間から終わるために全てが始まっている。けれどそれが喜劇か悲劇かは、最後まで聞いてみなければわからないものだ。



 了.


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