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Calamity Children  作者: 輝血鬼灯
Bloody Blood
10/11

epilogue 翼のない鳥


 シルフェの街では珍しい蒼天の下で、荘厳な鎮魂の鐘が鳴り響く。街で一番大きい教会で本日は、領主の大事な友人の葬儀が行われているのだった。

 クレイグのしたことをすべてなかったことにすることはできない。ジュゼ自身にも罪がないとは言えない。けれどせめて、今日くらいはその死をただの友人として悼みたいのだというジュゼの願いを誰も拒絶することができなかった。

 エマがフェニカ教会の司祭に話を通し、手早くもしめやかに、領主の側近兼長年の友人の葬儀が行われる。噂は静かに広がって納棺が終わる頃には、教会に多くの人々が、若き青年の死を悼み悔やみの言葉を述べるために白い花を持って立ち寄った。

 誰も来ない教会の裏手からいつもよりずっと抑えた小さな音で竪琴の音が聞こえる。聞く人もない鎮魂歌が終わる頃を見計らってヘザーは吟遊詩人とその連れの前に姿を見せた。

「……ヘザー! それに」

「エマ。いいのかい? こんなところにいて」

 すっかり旅支度を整えて出発準備万端の巡礼二人組に、別れの挨拶をしに来た二人だ。

「もう出発されるのですね。お見送りもさせてくださらないなんて、あとで子どもたちに恨まれますよ、ファタルさん」

「すいませんねぇ。でもほら、ソーンがどうしてもって言うんで」

「ふざけんな。言いだしたのはお前だろう」

 後で知った事実だが、見た目通り今はまだ十九歳だという不老不死のファタルよりも、吸血鬼のソーンの方が実は二百歳ほど年上らしい。とてもそうとは思えない二人のやりとりを目にし、ヘザーはかけようとした言葉の一つを喉の奥に飲み込むことにした。

 聞きたいことも話したいこともたくさんあるけれど、全てを伝えきることは不可能だろう。その代わりに別れを口にする。

「また立ち寄ってね。何年後でも、何十年後でも」

「うん。――もしかしたらその頃には、ヘザーも結婚したり、子どもが生まれていたりするかもしれないよね。どう? ソーン」

「なんで俺にそんな話題振るんだよ」

 きっと数十年くらいでは外見も何も変わらないだろう二人は、それでもヘザーと硬く握手を交わす。

 少女は恐らく彼らに会ってから初めて、曇りのない心の底からの笑顔を浮かべた。

「その時はきっとファタルさんの呪いも解けて、ソーンにもファタルさん以外に好きな人がいっぱいできてるように、あたしも祈ってる。毎日きっと――神様に祈り続けるよ」

 ファタルとソーンが虚を衝かれた顔で固まった。

 くすくすとエマの軽やかな笑い声を耳にしてその呪縛がようやく解ける。

「あらあら。先に言われちゃったわね」

「……ありがとうございます」

 ファタルが作ったところのない笑顔で礼を言う。そしてソーンが憮然とした顔をしているのは照れ隠しだろうと誰でもわかる。白い頬が滅多になく淡く染まっていた。彼らは踵を返しながら二人に手を振った。

「――元気で」

「あなたたちも」

 ありきたりな別れの挨拶。でも心からの言葉。

 こんな時代だ。また会おうと約束して別れ、その約束が叶うことは少ない。

 それでも人は再会を約束し、その積み重ねがこれまでの、そしてこれからの彼らを作っていく。


 ◆◆◆◆◆


「行ってしまったわね」

「……」

「寂しくなるわね」

 ぎゅっと唇を噛みしめて泣くのを堪えているヘザーは、しみじみと言う尼僧に尋ねた。

「ねぇ、エマ。なんで巡礼の旅から帰ってきたの?」

 彼女がかつて巡礼の旅に出た理由は聞いた。

 けれど何故わざわざ、忌子と呼ばれて辛い記憶のあるこの街に戻ってきたのかは知らない。そのまま吸血鬼伝承のない遠くの街に留まることもできただろうに。

「旅路というのは、人が思うほど楽なものじゃないのよ。隊商や旅団の手を借りない個人の旅は特にね。だから私は一年で懲りたの」

 にっこりと笑う尼僧の顔はいつも通りその笑顔の奥にある感情は読ませない。けれど彼女がずっと苦労をしていたことはエマにもなんとなくわかった。

 忌み嫌っていた孤独な神の家が、それでもエマにとって唯一の居場所だったと彼女は巡礼の旅路で思い知ったのだ。

「この教会は私の帰る場所なの。辛いことがまったくないわけじゃなかったけれど」

 弔問客もまばらな聖堂の方へ懐かしさにどこか痛みの入り混じった視線を向けるエマは、続けてこう口にした。

「私は旅を終えたけれど、あの人たちの旅は、まだ終わっていないのね。あの人たちは自由な羽を持つ――けれど帰る場所を持たない鳥なのね」

 血染めの手を持つ尼僧はこの上なく優しく微笑みながら、聞きようによっては辛辣な台詞を吐く。

「あんな大人にはなっては駄目よ。――こんな大人にもね」

「じゃあ、どんな風になればいいの?」

 まだ何も、空を飛ぶ翼さえ持っていない非力な自分。歌しか神に捧げるものがないと口にしたファタルより更にヘザーには何もない。

 けれどエマは微笑んでこう口にした。

「あなたは、あなたになればいいのよ」

 ――どんなに人を羨もうと、神を呪おうと、僕は僕で、君は君だ。

「……うん」

 少女は小さな声で、しかし確かに頷いた。

「そうだね」


 ◆◆◆◆◆


 運良く乗せてもらえた荷馬車の幌なしの荷台で藁に埋もれながら、ファタルはしばし転寝をしていた。心地の良い眠りからようやく目を覚ました彼が何かを探すように手を彷徨わせると、ぶっきらぼうな声が答を返す。

「ここにいる」

「……そっか」

「まだ寝てろよ。お前昨日も結局寝てなかったんだろ?」

 ファタル自身はシルフェでの事件の結末を最後まで目にすることがなかったのを悔やんでいたが、ソーンの方はそれを最後までファタルに見せることがなかったことを良かったと思っていた。

 以前立ち寄った街でファタルが愛した少女は、禁断の恋に生きた己自身の存在を罪と判断し、愛した男諸共自らを殺した。彼女とその恋人の関係性はファタルの両親のそれで、だから彼女の遺した言葉は余計にファタルの心を斬り裂いた。

 彼女もエマと同じ、深く暗い紅髪をしていた。だから彼女によく似たエマがクレイグを殺す瞬間をファタルが目にしなかったことにソーンは密かな安堵を覚えていたのだ。

彼はファタルに事の次第を簡単に説明した。

「そうか……あの人が……」

「まぁ、あいつは最初から尋常でない血の臭いをさせてたしな」

「……ソーン? もしかして君、本当は全部知ってたんじゃないかい?」

 血を吸う前にも五感と第六感だけは通常の人間より発達している吸血鬼であるソーンは、殺人事件の犯人が領主とその側近であること、エマこそが本物の吸血鬼であることを最初から知っていた。ソーン自身は魔力を持たないが、魔力を持つ相手を判別することはできる。

 ソーンという無魔力者の吸血鬼は、魔力に対する感覚は優れているが、例えば自身に魔力がなければ使えない暗示能力などは持っていない。

「なんで教えてくれないの?!」

「クレイグはともかく、エマの正体なんか俺たちに関係ないだろ。教会で静かに暮らしている大人しい吸血鬼が、お前に呪いをかけるような奴と関係あるとは思えないし」

「それはそうだけどさぁ……」

 それでも知りたかったのが男心ならぬ吟遊詩人心だなどと訳のわからないことを言ってファタルが拗ねる。

「知りたいついでと言えば、クレイグは、最期に何を言ったんだって?」

 ヘザーが気にしていたことを思い返し、ファタルはソーンに尋ねた。当事者のエマは謎めいた笑みを浮かべるばかりだったと言うが、人間より聴覚が優れているソーンはまず間違いなくその言葉を耳に捕らえたはずだ。

「ああ……〝これだから女は嫌いだ〟って。エマはそれを聞いて笑ってた」

「ふうん……。クレイグさんって、領主様が大好きで、でもエマのことも心のそこでは憎みきれなかったんだろうね。それでエマは領主様との方が仲良さそうに見えたけど、本当はクレイグさんのことが好きだったのかもね」

 ソーンにとってはまるで意味不明だった一言から、ファタルはあの幼馴染三人の関係をそんな風に推察してみた。驚くソーンのまん丸い瞳を見て、見てれば気づくよと苦笑する。

 クレイグの運命を大きく歪めたのはエマと実母、二人の女。最後に彼の前に立ちはだかったのも大雑把に考えれば同じ赤毛の女であるヘザー。彼女たちはクレイグの人生観に強い影響を与え、彼はそれを最期まで振り切ることができなかった。

「彼らは誰が一番幸せだったんだろうな……」

 今回の事件で領主として一皮剥けたジュゼ。けれど彼はもう、あの教会で祈ることは決してないだろう。

 本物の魔物であり、その手をクレイグの血に染めながらも教会に留まり続けるエマ。己の信念と血の真実に引き裂かれて狂気に堕ち、最期には彼が忌み嫌う魔物であるエマの手によって殺されたクレイグ。

「幸せなんて人それぞれだろ。大事なのは自分や相手が幸せかどうかで、誰が一番かなんて問いはくだらねぇ」

「それもそうだね」

「少なくとも奴は、自分に関わった人間の未来に大きな影響を及ぼした。それは確かだ」

 どれだけ短い人生でも、その中で何かを残すことには意味があるのだろう。何年何十年と生きても一人、この世界を無為に彷徨うだけの存在などと比べたら。

「ソーン、僕は君を置いてはいかない」

 唐突なその言葉に、俯いて考え込んでいたソーンは思わず顔を上げた。

「そして君に置いて行かれる気もない。だから、僕の呪いを解く方法を一緒に探してね」

 何人もの死を見送ってきた。誰と心を通わせても、最後には誰もがソーンを置いていく。

 不老不死のファタルにはその心配はないけれど、呪いが解けなければ逆にソーンの方が彼を置いて先に死ぬかもしれない。そうならないために、二人は旅をするのだ。

 ソーンの瞳の縁に涙が浮かぶ。涙と血液の成分は同じだという。けれどどんなに呪われていようと、その身にどんなに血塗られた血が流れていようと、涙の色だけは清らかに透明だ。

 死に向かう旅、死ぬ方法を探す旅だというのに、吸血鬼にとって忌まわしいはずのこの太陽の下というのは、どうしてこうも心地よく温かいのだろう。

「……バーカ」

「ふふ」

 旅はまだまだ続く。呪いを解く方法はまだまだ見つかる気配もない。呪いをかけた吸血鬼を探すと言うのが有力な手段である以上、今回のように立ち寄った街で騒動に巻き込まれることもきっと少なくはないだろう。

 けれど、今この時だけは。

 ソーンはファタルの隣の藁山に潜り込むと、しばしの穏やかな眠りを楽しむことにした。



 了.



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