#さいごの、きゅう
例えば。
今、リンゴが欲しい。リンゴを買いたい。
なのにどこにもリンゴが売ってない。
探し回ってようやく売ってるところを見つけたら、なんとお値段一個十万円! えええー!!!
そんな時横から、こちらのリンゴは一個千円ですよ。百分の一です! お安いでしょう?
百分の一なの! 安い! 千円なら買える!
………でもよくよく考えたらリンゴ一個千円もおかしくない?
結婚という一個十万円のリンゴを前にして、ルームシェアという一個千円のリンゴを買ってしまった。
あれ? でも、そもそもあたし最初っからリンゴ欲しがってなんかいないよ?
………騙されてる………?
高尾紅葉の4冊目は。
画家を目指す少女は、あれこれ技術に拘って本質を見失っていたことに気付いて。素直に描きたいものを、感動をそのままに描くことを思い出して。当たり前すぎて意識もしなかったことに気付かされて、そうしてまた絵を描き始める。
気付くきっかけをくれるのが、ヴァイオリンでプロを目指す男の子で。既に海外のコンクールなんかでも活躍しちゃってるけど、やっぱり競争に疲れてて。その男の子も、主人公に会って、自分がただ音楽が好きでヴァイオリンを弾き始めたことを思い出す。
お互い原点を確認して、考えすぎてぐちゃぐちゃに絡まって見えなくなってた芯の部分を、絡まった糸を断ち切ることで取り出した。そして、それぞれの道で頑張ろうって、エールを送って、……そのまま別れちゃうんだな。男の子は音楽で留学しちゃうし。主人公は日本で美術専科の高校に進学だし。恋愛要素は、予感だけ残して発展せず。
でも最後、男の子のソロデビューCDのジャケットを、主人公が描くってゆーエピローグがついた。
最後の1冊は、今までの3冊と違って、主人公をギリギリまで追い詰める自己否定じゃない。否定するだけじゃない、自分が自分を認めるっていう部分を丁寧に描写してた。
身に付けた技術は無駄じゃない、多彩な表現が出来るようになったんだ。コンクールのための勉強は、楽曲の理解を深めるのにも必要だ。
より自由に、自分の世界を広げるために。技術も勉強もただの手段で、目標さえ見えていれば、見失わなければ、手段に振り回されない。
そんな風に、完結した。
挿絵はね。
うん。主人公以外は、いい出来だと思うよ。男の子が河川敷でヴァイオリン弾いてるシーンとか、音が聞こえそうだと藤埜サンに褒められたしね。
問題は主人公でね。
先生サマに何度もダメだしされて、しかし一度自分がモデルとか聞かされちゃうと、どう描いていいか分からない。
こればっかりは、いくら先生サマに言われてもどうしてもダメで。
んで、じゃあ、これが自分なら。と、ふと思いついたアイデアをね。
「…………それが、これですか」
ラフスケッチを、ビクビクしながら提出です。もー再提出何度目だか。
「手、だけとは」
はい。手だけです。
鉛筆や絵筆を持った右手。スケッチブックやキャンパスを持つ左手。それに描いてる途中の絵。ヴァイオリンのスケッチとか河川敷の夕景とか、まるで描けなくてぐちゃぐちゃに描き潰した紙とか。
描き手の目線です。鏡がなきゃ自分って見えないじゃん!! 小説が主人公一人称なら挿絵だって主人公の目線で良いじゃん!!
「……なるほど。あなたらしいと言えるかもしれません」
だってね! 顔とかどうしていいかまるっきり考えられないんだもん! 課題で描いた自画像思い出すよ。アレはえっぐい課題だった。
「これなら、他のカットもすべてスケッチブックに描かれた絵のようにして合わせましょう」
先生が、頷いた。おお。合格?
「挿絵全部、主人公が描いたスケッチという演出にします。既に描き上げた分は、予告や他に回せばいい」
え。折角藤埜サンに褒められたアレは、せめて隠れたカバー下あたりにして欲しいな……。
ともあれこれで、最後のお仕事にも目処が付いた。後は描くだけ。うん。いい絵に仕上がる予感。
よっし、と気合を入れなおして、自室に、……先生のマンションの、あたしの部屋に、こもった。
先生は、ルームシェアを言い出してすぐ、本当に引越しその他あれよあれよと手配して、今、あたしの大事な画材その他家財道具一切合財が、ここにある。不要なものは捨てたからこの一部屋で充分なんだけど。
あの時、主人公のモデルとか、いきなり婚約指輪とか結婚とか、テンパッてパニくってるときに譲歩した条件出されて、思わず頷いたけど。
詐欺の手口じゃないか? 先生立派に詐欺師になれるよ?
……んでも、ソファはフカフカだしご飯はおいしい。
このマンションは賃貸でなく実は分譲だそうだ。ローンもないって、先生の印税収入どうなってんだ。恐ろしい。
だから、管理費の一部を払わせてもらってるだけで、お家賃は0円。ルームシェアってそう言うモンだっけ、と疑問に思わなくも無い。
なんか、こー、……あたし凄い得してる?
実は、このルームシェアには非常に嬉しい特典が。
あたしがネームで構成に詰まってると、先生サマがアドヴァイスしてくれるのだ。そうだよね、先生サマは話作りのプロだ。あたしが詰め込みすぎでアレモコレモと考えすぎて肝心のテーマが埋没するんだとか。読者がストーリーを理解するために必要なポイントとか。流石先生です。拝んじゃいます。
ひょっとしてオネーサンよりも的確な指導をしてくれてる気がする。
オネーサンは、あの後問い詰めたらあっさり自供した。曰く、あたしがいつまでも鳴かず飛ばずだから、売れっ子作家との仕事は刺激になると思った。一冊目の後、先生があたしに興味持ってたから、これ幸いと暗躍したって。
……ちょっとやり方ってもんがさ。ショック療法とか言われてもさ。
あたしの連絡先住所が変わったことを告げるとニンマリと笑うんだから。性質が悪い。
でも、この挿絵が終わったら、またネームを見てもらう約束だ。
あたしの出した結論は、少女漫画も頑張る。で、それ以外のお仕事も積極的に請ける。とにかく前向きに頑張る!!
……挿絵のお仕事に限っては、なんちゅーか、先生サマ専属的な扱いっぽいんだけどさ。。
先生の本の挿絵が好評で、イラストレーターについての問い合わせがいくつかあったらしい。けど。
あたしは今回のお仕事の契約とかちゃんと確認してなかったんだけど。先生サマが偽装ペンネームなのにあわせて、実はあたしも名前を伏せてたみたいだ。……献本もらってたのに。イラストレーターの名前ってカバー折り返しとかに小さく載るだけだから見てなかったよ。どうせあたしの名前なんて売れてないんだから伏せる意味あんのかと思うけどね。
その名前での挿絵は、先生と組むときだけにしてくれって。そしたら、結局あたしは実績の無い漫画家だし? 名指しのお仕事なんかこないし? …とゆーことで結果的に先生の本だけ。
先生も、当初一年の予定だった覆面ラノベ作家を今後も継続する。ライトノベルってジャンルの自由度が良いらしい。そうだよね、一口にライトノベルって言っても、読み捨てから本気で読み解きたい傑作まで、いろいろあるし。
当面は漫画を頑張るから、仕事量的にはこれでちょうどいい。だって先生の挿絵はそれなりに大変だ。先生のご注文も厳しいけど何より編集的意向とのすり合わせが。ライトでキャッチーな萌え絵ってもんについて先生と話し合いたい。
そんなこんなで、結局、やってることは今までとあんまり変わってない。
けど気持ちが全然違う。
描きたいから描いてるんだって。ある意味開き直ったというか。
周りと見比べて落ち込んだってしょうがないし。……デビュー作がいきなりヒットとか、高校生デビューとか、いっぱいいるけど。
あたしはあたしのペースでやるしかないし。売れたいから描くわけじゃないし。……ちょっとは売れたいと思うときもあるけど。やっぱ評価されると嬉しいと思うけど。
………いやいやいやいや、だから、ぐちゃぐちゃ考えたって、しょうがないし!!
前のめりに頑張る!
……。
…………。
………………。
……いろいろ棚上げしてる問題は、ね。
あ、例の醜聞騒ぎは、これもオネーサンの陰謀だったらしい。どんだけ暗躍してたんだろうか。逆境もスパイス!ってオネーサン……あたしも他人事ならそう思う……。あたしには大げさに言ってたけど、実際、一般人が記事になることはほとんど無いんだって。だから心配無用。……藤埜サンもグルだったんだよ。オネーサンに脅されて協力させられてたとか言い訳してたけどホントかな。脅すって何。
……プロポーズ云々のほうは。
先生の態度は今までとほとんど変わらない。あれ以来、変なこと言わないし。
だから多分、絵とか読み手とか、一緒に住んでればいつだって応じられるから、それで事足りたんじゃないかなー、って思う。
でも書斎に篭る時間がちょっと少なくなってその分リビングで寛いでいることが多くなったとか、ご飯連れて行ってくれるときにドライブや遠回りな散歩が増えたりとか、時々思い出したように服買ってくれたりとか、ちょっとしたスキンシップが増えたとか……もう慣れたけど。慣れちゃったけど。慣らされたとも言うかも知んない。
首輪、もとい、首にかかってる指輪は、未だ外れてない。
この留め金外れないんだもん。鏡見ながら弄ってみても首元じゃ良く見えないし、これ知恵の輪じゃないかと思う。先生にお願いしても取ってくれない。実は外し方知らないんじゃないかと疑っている。
オネーサンなら取れるかもしれないけど、オネーサンに頼む度胸は無い。これ以上ネタを提供したくないじゃないか。指輪なんて知られたら。恐ろしい!
だから、あたしが本格的に居候になっただけで、今までと変わってない。
うん。変化なし。
だから、問題なんか無いってことだよ。
無いよ。ナイナイ。
……デスヨネ先生?




