#さいごの、ご
考えろって。
なんで描くのかって。
そんなの、描きたいからだ。
だって気が付けば描いてるんだからしょうがないじゃないか。手元に筆記具が無くても、頭の中では見るもの全部が絵になってる。
言葉を聞けば絵が浮かぶ。音楽を聴けば絵に変換される。
「…そんなの、わかんない。なんでかなんて知らない」
先生が、正面から移動して隣に座った。真っ向から見られるよりも圧迫感が無くなって、だから、言葉がするりと出た。
「先生は何で書くんですか。書くために生きるって、じゃあ生きる目的はわかったけど、書く目的はなんなんですか。言葉って何かを伝える手段でしょう?」
誰一人読まなくてもって、そんな覚悟、誰も受け取ってくれない言葉でもいいの。
「何で書くことなんです。他のなにかじゃ駄目なの? どうしてかって、そんなの口で言えるようなことなの? 説明できるんですか」
……もしかしたら先生サマなら説明できるのかもしれない。
「描かずにはいられないんだから、しょうがないじゃない」
じっと両手を見た。もしこの手が、なんて考えたくも無い。筆を口で銜えて絵を描く画家もいたっけ。うん。この右手がもし怪我でもして動かなくなったら、左手でも、足でも口でも使う。
「……先生が、書くために生きるって言うなら、あたしは、……描いてないと息できない、みたいな」
口にしたら、スコンと納得した。
そうだ。呼吸するみたいに、受け取った刺激を絵にして吐き出す。泳ぎ続けなきゃ息できない魚みたいに、描けなかったら死ぬ、……とまでは言わないけど……いや、描かない自分を想像すらできない。
「そうですね」
先生が、よく出来ましたとでも言うように頭を撫でたからびくっとした。え。なにこの距離。いつの間に。
「あなたはいつだってスケッチブックを手放さない。いつだって何かを描いてる。何故描くのか。簡単だ。描かずにいられないから」
あのジムのトレーナーと同じですね、と付け加えられて、愕然とした。
いや、ちょ、それは! 同じにされたくない! 改めて思い出すと確かにあのトレーナーさんが言ってたことと一緒だけど、でも全然違う!! 違わないかもしれないけど、でも断じて違う!!
「その芯を見失わなければ、後は余計なことを殺ぎ落としていけばいいでしょう。例えば、なぜ少女漫画なのです」
フェイントかよ!! 気を逸らしといて切り込むあたり先生取り調べの刑事サンですか!?
もう虚勢とかどうでも良くなって、だから、素直に応えた。
「……ええと。好きな漫画があって。だから、あたしもあんなのが描きたいナー、と」
うえ。口にするといかにも子供っぽい動機だ。単純な。
「いいんじゃないですか。最初はみんなそのようなものでしょう。ですが、あなたの適性は、多分少女漫画ではないですよ。少なくとも物語を構成する、という部分では致命的な気がしますが」
……ぐ。……もうちょっと容赦してください。
「……構成が駄目なら少女漫画に限らず漫画全般駄目じゃないですか」
「そうですね。しかし、適性だけで物事が決まるわけではない。適性が無くともやりたいことを選ぶ人も大勢居るでしょう」
うん。
「ですが、商業誌では難しいでしょうね。仕事としては成り立たない」
……だよねー……。
「……でも。あの、あたしは高校生のときに、雑誌の新人賞に応募して、それで佳作に入って、オネーサンが担当についてくれて、ずっと漫画描いてて。美大に行ったのも漫画のためで、……漫画を描くってことしか考えてこなくて。だから、今更」
「今更、『大人になったら何になりたい?』を考えるのは無理だと?」
……先生サマはイチイチ全くグサグサと。
「そうじゃなくて。他の道があったって、あたしは、この道を選びたいんだってことです」
だってまだこの道が無くなったわけじゃないんだから。細くて頼りなくてもまだ先があるんだから。
「ふむ。他の可能性は選びたくない。また一つ否定するものが見えてきた」
……先生と話してると、ぐちゃぐちゃに絡まってるいろんなことが、ばっさり断ち切られていくみたいだ。
はっきり目標が見えていれば、結構間違わないものですよ。
気軽に言ってた先生の声を思い出す。
芯さえ見失わなければ。
うん。
あたしは、ただ絵を描くことが好きで、絵を描いていられれば良くて。でも、描かされるのは嫌なんだ。
……仕事をえり好みしてたのも、そこだ。自由度のあるカットなら請ける。でも原作付きは制約が多くていやで、マッチョは描きたくない。
それが分かっちゃうと、仕事と口では言いながらも、結局好きなことを好きなようにやっていただけって分かる。
先生が、甘ったれだと言うのも当然だ。
あたしは、『仕事』なんてしてこなかったんだから。
「そこは、私も同じです。好きなことをやって、それが偶々仕事として成り立った。それだけの幸運な人間です。売文稼業と割り切っていたら、仕事を整理したりしない」
……ああ。そうですね。大作家先生サマはね。
「……自己否定、というのは」
省みて考え込んでたら、先生が声音を和らげてポツリと言う。
「過ぎればただの馬鹿ですが、成長のためには必要なものでもあります。自分のここが嫌だと思う。だから直そうとする、より良い方へ努力しようとする。正しく自己否定ができれば、その人は成長するでしょう」
歯並び矯正少女もコスプレ少女もボディビル少女も。先生の話の中で、みんな最後には笑顔だった。
「今回、いつもより低年齢の読者層であることを考慮して選んだテーマがそれでした。……しかし、二十代女性にも応用できるようですね」
ムッカ。一瞬流石大作家先生サマと尊敬しかけたのに。最後に茶化すように付け加えられて、ポイントマイナス。
「あなたがあくまで少女漫画を選ぶのか、描くことなら別の手段もあるのか。後はじっくり考えればいい話です。ですが私としては、今後私の本の挿絵はあなたを指名したい。その余地だけは残しておいて欲しいと思います」
……うん。結論がどうなるにしても、描くことは大前提だし。
先生の小説は、正直、面白いし。描かせてもらえるなら、それは光栄なことだ。