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オネーサンとバトンタッチした藤埜さんが、息も絶え絶えに説明するところ。
なんでも普段は高尚な純文学をお書きあそばされる大作家先生が、何を思ったかイキナリ少年少女向けの小説を、所謂ライトノベルを書きたいと仰ったそうな。
曰く、最近の若者は高尚な文学を毛嫌いし惰弱なモノばかりを好む、これはけしからん、これは幼少の頃より良き物語に触れていないためではないのか、ならばこの私が一肌脱ごうではないか、ライトノベルを装いつつも深遠なる純文学の片鱗をキラリとちりばめた良質の若者向け大衆小説を書いて進ぜよう、とな。
この発言は藤埜さんフィルターのような気がするけど、とにかく、ラノベ風の良質な小説を書きたいそうだ。
そこはソレ、出版社としては、売れない純文学より売れるラノベ、大作家先生の実力は本物なのだからライトノベル風でも充分と踏んだ。
そして企画は、ペンネームを変えて期待の新人作家を装う、ところまではトントン拍子に進んだのだが、ライトノベルの重大要素、イラストレーターの段で躓いた。
大作家先生は、芸術に造詣が深く目が肥えていて、しかも我侭だった。
キャッチーな萌え絵はコトゴトク却下、有名な萌え絵師を軒並みクビにしたそうだ。
ジャケ買いなんてあるように、ラノベは表紙が重要だ。表紙と帯が良ければ中身はどうあれそこそこ売れる。
逆に言えば、中身が良くても手にとってもらえなければ、そもそも読んでもらえない。
大作家先生は、ペンネームを変えて新人作家を装う以上、今までのネームバリューは役に立たない。つまりは全くの無名。
先ずは有名な萌え絵師で読者を釣るのも一つの手だ。
なのに、大作家先生は、そのための萌え絵師を、出版社側が必死に掻き集めた売れっ子萌え絵師を、ぜーんぶ気に入らないと切って捨てた。
普段大作家先生が出すハードカバーは、有名な書家が題字を書いたり、著名な日本画家が表紙絵を描いたり、そりゃもーご立派な装丁がなされているんだってさ。あたしは純文学なんて読まないから知らないけど。
つまりは大作家先生を満足させるキャッチーなイラストレーターが見つからない。どこをどう探しても。
万策尽きようかというときに、偶々、編集さんたちの横のつながりで、あたしの描いたカット数枚が藤埜さんの手に渡ったそうだ。
卒業シーズン特集ページ用のカットで、桜吹雪にセーラー服の少女の後姿、という、はっきり言って誰が書いても大差ないであろう絵だ。
だが、そのカットが、大作家先生のお眼鏡に適ったらしい。マジか。それが本当なら大作家先生の芸術的センスは疑わしいモノだ。
そんなこんなで藁にも縋る思いで、今回あたしにお話が来た、と。
……微妙に、この藤埜サンも失礼なこと言ってるよ。
「お話は分かりました。でも、そんなカット一枚で評価されて、いざイラスト見たらやっぱり気に入らないってことになりませんか?」
「いやぁ、もう、これで駄目なら、先生にも諦めてもらうってトコまで来てますんで。その辺は気兼ねなく描いて下さい。ちゃんと絵が描ける人だとは緒峯さんから聞いてますから」
藤埜サン、……多分、仕事のしすぎで、人としてイロイロ失ってると思う。気遣いとか言い回しとか。
「……でも、キャッチーな萌え絵師でジャケ買い狙うんなら、そもそも人選ミスじゃないですか」
「もう人選なんて余地がないんです」
藤埜サン正直すぎる。あたしのプライドなんてささやかな物だけどね。でもちょっと突き刺さるんだよな、トゲが。
「……もうどうでもいいから取り合えず一冊出して大作家先生の気が済めばいい、と」
「はい」
ハイって言った!! 『はい』って言ったよこの人!!!
「…………このお話、もし私がお断りしたらどうなりますか?」
「どうにもならなくなります」
口から抜け出る魂が見える気がする藤埜サンは、まさに生ける屍そのものだった。
「……お受けします」
思えば、自分の差し迫った事情よりも、同情とか恐怖とかが先だったのかもしれない。