#さんのじゅうに
一つのことに気を取られると、周りが見えなくなるタイプだ。と、自分でもそう思う。
大失敗で痛感するって、……人間、痛い目見ないと分からないってことかな。
大作家先生のドSな指示を二の次にするなんて、我ながら後悔のコの字すら出てこないよ。
アレから何年経ったのか。
忘却の彼方だと思っていた『震度4で逃げ出すボディビルダー』の面影は、描いてみればはっきりと思い出せた。
とゆーか、散々スケッチしたからね。
最早、手が覚えてる。……なんてことだ。
自分の画力に絶望する日が来るなんて。
どうして忘れていないんだ。忘れたいと思っていたのに。忘れたと思っていたのに。
「苦悩は後回しにしてください。顔と全身、ちゃんと描くように」
センセイ。今あたし悲劇のヒロインな気分なんです。
この気持ちをネームにしたら、ひょっとして素晴らしい少女漫画がかけるかもしれません。
「それを現実逃避と言うんです。目の前の嫌なことから逃れようと、脳が勝手にほかの事を思考する。しかし、それが素晴らしいアイデアだと感じるのは、錯覚です」
ううう……。ぐうの音も出やしない。
ドS変態逝け面大作家先生サマは、自分で宣言したとおり、あたしに思考すら逃げを許してくれなかった。
そして強制されるままに手を動かせば、あやふやな所など欠片もない完璧な素描。
こうして見るとあのマッスル、全国大会に出場していた筋肉よりは劣っているみたいだ。何となく、上体に比べて足の筋肉が弱いみたいな。バランスが悪い。
……いやっ、マッスルの優劣なんて全く分からないけどね!!
「顔もきっちり描いてください」
先生サマ。
あたし先生に何かしましたか。
……いや、結構な態度だった気もしますけど、でも、ナンだってこうもあたしに関わるんですか。
絵か。
歯の矯正器具か。あれがあたしの敗因なのか。
今更時間を巻き戻せるはずもないしな。あのときの迂闊な自分をどうにかしたいものだ。ドラえも~ん!
「現実逃避も大概になさい。そもそも、あの矯正器具のアイデアは、敗因ではありません」
じゃあ何が悪かったっての。教えてくれたらちょっくらタイムマシンでもヒッチハイクしてやり直すから。
「なら、生まれる前まで戻って、母親の胎内から悟性と忍耐を拾ってきなさい」
……先生。舌鋒に容赦がありません。
「あなたに逃げる余地など与えないと言ったでしょう」
泣きたい。泣いていいですか。
「泣こうが喚こうが、やることは同じです。描け」
そんなこんなで、地獄の獄卒さながらのドS逝け面に見張られて、何枚も何枚も、憎いアンチクショウの絵を描いた。
描いてると、あの頃の必死に描いてた自分を思い出す。制限時間10分地獄の速写とか。ちょっとでもデッサン狂ってると無言でスケブの右上にバツ描いてく講師とか。
とにかく、まともな技術身に付けたくて、頑張った。描きたいモノを描くために。
描きたいもの。
…………っこんなマッチョが描きたいわけじゃないっての!!
「なーにやってんだろあたしってば。こんなのナルナルしてるだけで美しくない、全くカッコいいなんて思えない」
イライラしてきた。
「大体ね、鍛えるって、その筋肉有効活用しないでどうすんのよ」
ばき、と鉛筆の芯が折れた。
「その無駄なエネルギー青年海外協力隊にでも費やせってのよ世のため人のために使えってのよ」
そうだよ、自己満足だけで終わるようなモノに価値は無い!
「そんなもんに、どうしてあたしが煩わされなきゃならないんだ!!」
折れた鉛筆先生に突きつけて宣言した。
「もーいいです! 充分わかりました!! こんなもんに煩わされる自分が馬鹿みたいですよ、丸めてポイです! ポイ!! この先マッチョだろうと筋肉ダルマだろうと人体標本だろうと平然と描きますよ描けます!」
大作家先生は、勝ち誇った顔で、頷いた。
「次は、教えられる前に自分で気付いて欲しいものです」
ピキ。
……馬鹿でスイマセンね! でもあたしこんなネタもー無いし! 次なんて無いし!!




