#さんのろく
こういうとき、なんて声かけたらいいんだろうか。
慰める?
なんて?
むしろ古傷抉っちゃったらどうしたら……?
「せ、先生。あの……」
沈痛に顔を伏せていた先生は、ふぅー、と深々と息を吐いた。
「……ですから、私は、この体験を最大限生かそうと考えたんですよ」
はい?
「文筆業なんてね。身を削ってナンボ、自分ネタなんか切り売りしてナンボです」
へ?
「あの遣る瀬無さをぶつけた三作目が賞をとって、おかげさまで風呂付のアパートに引っ越すことができました」
ええ?
「作品として昇華したため、私は変にトラウマになることも無く、むしろステップアップできたという訳です」
あの出来事には、今や感謝さえしています。
……などと晴れ晴れと先生は仰った。
えええ~!?
車両内、今みんな目が点だ。この一体感はナンなんだ。
「だってそうでしょう? 賞を取るほどのインスピレーションとモチベーション、根拠の無い矜持をそれと知らしめてくれたこともプラスです。以後は危険回避に気をつけるようになりましたしね」
ちょっ、あの、……ぇえ…えええええ~?
「ですから」
呆気にとられて言葉も無いあたしに、大作家先生は、厳かにのたまった。
「あなたも、是非、描くべきです」
……なんでそーなるっ……?
「これから行くジムは、去年の全国大会優勝者が所属しているところですよ」
「え」
言われた言葉を理解するのに数秒かかった。
血の気が引く、って、こういうことだ。
「大丈夫です。私が一緒ですから」
にこやかに駄目押しする先生。
大丈夫に聞こえない。先生が一緒だから逃げ出せない、と脳内変換される。
「……せ、先生、あの、あ、あたし、お、お腹、お腹痛い、アイタタタ、ほんとーに痛い、痛いからここで失礼しますっ!!」
我ながらわざとらしい。でも本気でお腹痛いような気もする。
「そうですか。ではちょうど次の駅ですから、ジムのほうで少し休ませてもらいますか?」
そりゃ、こんな見え見えの言い訳が通用するはずも無いけどさ。
「いえそんなご迷惑をおかけするわけにはいきません、アタシならダイジョウブです一人で帰ります帰れますからっ」
このまま連行されたらどんな地獄が……。
「具合の悪い女性を一人で帰すわけにはいきませんよ」
この似非紳士!!
「じゃ、じゃあ、ジムのほうは後日に……」
お願い。お願いします!!
「いいえ。折角都合をつけてくれているんですからね」
一人で行け!!
「じゃ、や、やっぱりあたし」
一瞬でも先生に同情したあたしが馬鹿だった!!
「では。自宅にボディビルダーを大勢呼んで取材しますか?」
ぅひいぃぃぃ!!
「…………今行けば、もう絶対行かないでいいって、約束してください……」
白旗振ったあたしに、変態逝け面大作家先生(←受認定)が、爽やかに笑った。
「そうですね。必要なことがきちんと取材できれば」
……うそ臭い笑顔だ。約束なんて破る気満々だ。っつか、一言も約束とかしてねぇし。
逃げられないようにがっちりホールドされて駅に降りたとき、車両内から妙に生暖かい眼差しが。