#さんのさん(ある意味問題アリです読む前に深呼吸をお願いします先に謝っておきますスミマセン)
あたしがあまりにもげんなりしていたせいか、大作家先生はタクシーを呼んだ。
運転手さんに告げた地名は全く知らないけど、このまま帰らせてはくれないらしい。精神的疲労はピークだというのに。
車のエンジンの単調な振動と適度の冷房。うっかり、美大時代の忘却のかなたに追いやった記憶が。
「あれはあたしがまだピッチピチの美大一年生だったとき」
こうなったら、聞け! あたしの恐怖体験を!!
コレを聞いてもなお、あたしにマッチョを描かせる気になるかね?
油絵の具とか、アレコレ使う有機溶剤の鼻を突くにおいとか、ほこりとかカビとか、放置されたデッサン用の果物とか、いろんなモノが混ざった特殊な臭気漂う教室。
デッサン用の石膏像が無造作に乱雑に置かれていたり、製作途中のカンバスが脇に寄せてあったり、とにかく整理整頓とは程遠い空間だった。
基礎のデッサンでは、毎回モデルさんが来て、ただひたすら素描を描いていた。速写とか、今でも悪夢に見るくらいだ。
そんな中で、頻繁に来るモデルさんのなかに、ボディビルダーがいた。
ノリノリでポーズするし脱ぐのも嫌がらないし筋肉だし、デッサンモデルとしてはありがたい存在だったが、如何せんナルちゃんだった。実物以上にカッコ良く描かないと臍を曲げるのだ。
なんとゆーか、美大生にも問題があるのだが、モデルさんを対象物として見て、人間として尊重することを忘れるときがある。
何時間も裸のままポーズさせたり。他科の学生が窓やドアから覗いても放置したり。
女性のモデルさんが泣き出しちゃったりする場面もあったりして。
だからそんな中、多少扱いが難しかろうと、むしろ喜んできてくれるモデルは貴重だった。
「しかしヤツがっ、あたしのマッスルへの嫌悪感を決定的なものにしたんです!!」
もともとムッキムキの筋肉は苦手だったんだけど。
ある日、いつもの如く制限時間10分のクロッキーでグロッキーになっているときに、地震が起きた。割と大きい地震だった。後から確認したら震度は4だった。
学生は皆動かなかった。疲れ果てて頭が鈍っていたのだ。壁際に積み上げられた石膏像とかが落っこちて割れても、皆何となくぼんやりしていた。教師ですら、動けないでいた。前日提出の課題があったのも原因だ。
しかしそんな中、ただ一人瞬時に動いた人物がいた。ムキムキモデルである。
ヤツは、裸だというのに、外に避難しようとした。ソレはいい。別に止めないし間違っていない。
だが、ヤツと出入り口との直線上に、偶々、あたしがいた。
最短距離で脱出しようとしたマッチョは、箱いすに座ったままのあたしに衝突し、ふっ飛ばし、自分も無様に倒れた。
一瞬の意識の空白を経て気付いたときには、あたしの上に裸マッチョが馬乗りになっていたわけだ。
しかしそんな状況下、あたしは見てしまった。見えてしまった。
……スッポンポンのヤツのナニが僅かに反応していることが。
その恐怖たるや、筆舌に尽くしがたい。
叫んだよ。力の限り叫んだよ。命の限りに泣き喚いたよ。母親の胎内から生まれ出でた時よりも魂の叫びだったと確信している。
瞬間的にヤツの股間を力の限り蹴り上げたことは、正当防衛だ。
友達の女子は皆同情してくれて、恐怖を分かち合ってくれた。しかし教師をはじめとする男性陣は、オトコのセイリは不随意だとか抜かしやがって、むしろケダモノマッチョの肩を持つ。その時股間を押さえて蹲るマッチョからの発言は無かった。
その後の、女子の授業ボイコットやら、男女クラス別化運動やら、学年学部を越えての大騒動に至る発端となった。
…………聞くも涙、語るも涙の物語、その被害者たるあたしの心の傷は如何に深いか!
「わかりますか、男の先生にわかりますかあの恐怖が!! 分からないなら一回ムキムキマッチョに押し倒されてくださいこの恐怖を実感してください!!!」
話しているうちにエキサイトして、また涙が。
大作家先生は、なんとも微妙な顔で、詰め寄るあたしから目を逸らした。
所詮貴様も遺伝子XY、マッチョの味方か。ヤツを擁護する発言するなら、それなりの覚悟をすることだ!
どんな言葉が、と身構えていると。
「……精神的に未熟だとは思っていましたが。……本当に小学生並だったんですね……」
うぇ?
…………それはどーゆー意味デスカ。
「ひょっとして、赤ちゃんはコウノトリが運んでくると信じていませんか?」
「どーゆー意味ですか! 人を馬鹿にするのも大概にしてください!!」
憤然と、胸を張った。
「赤ちゃんはキャベツのゆりかごに眠っているんです!!」
キュキュキュー!!
タクシーが急停車した。
………しーん………。え、ええとぉ……この空気、どうしたら……。
お約束のボケは、イタかった。痛すぎた。
ターゲットの先生は平然としているのに、誤爆で耐性の無い通りすがりの運転手さんに致命傷を与えたらしい。
「ゴホン。運転手さん、ちょっとしたジョークですから。ちゃんと分かってます。今更そんな」
運転手さん、ごめんなさい。
イロイロごめんなさい。
心底反省してる。このとおりだ。
「あ、あの、降ります。ね、先生、降りましょう、ココで今すぐ!」
大作家先生の腕引っ張って、無理やり降りた。
大作家先生がお金出して、釣りはいらない、と言っていたが、運転手さんお金受け取る気力すらなさそうだった。とりあえず助手席に5千円札放り投げて、その場を可及的速やかに後にした。