#さんのいち
……どうしてこうなった。
泣きたい。マジで泣きたい。っつーか涙目になってる。
目の前の地獄絵図からなんとしても逃れたい。なのに、ヘンタイ大作家先生サマがそれを許してくれない。
会場は空調もちゃんと効いている。なのにこの暑苦しさ、息苦しさ、不快指数の高さはなんなんだ。
ステージ上では、ボディビルの全国大会とやらが行われておりまっする。
「……あの。なんでこんなモノを見物にきたんでしょうか」
客席にも、ダンベルがお友達みたいな人たちがいっぱいだ。
三冊目のための取材です、と連れ出された記憶がある。今朝の話だ。遠い昔のような気が。いや、気が遠くなってるんだ。
「ですから、取材です。次作は、ボディビルを題材にs…」
「のぉおおおおお!!」
叫んだ。叫びましたよマジに。
「なに考えてるんですかラノベでしょうライトノベルでしょうライトって軽いって意味じゃないんですか軽い読み物なんでしょうなんだってこんな重苦しいもの持ってくるんですかありえないありえないですよ読み物って読む人あってのものじゃないですか誰も読みませんって信じられなーい!!!」
本気で、大作家先生サマの胸倉掴んで訴えた。
「なにが許せないってあのナルナルした筋肉ダルマ! オイリーに光る小麦色の肌!! 歯が命なのは芸能人だけで充分だろキラリン口元!!! あんな連中みんな脳内麻薬中毒なんですよ超人なんですよ人間超えちゃってるんですよ!!」
会場内でこの暴言は流石に拙いと思ったのか、先生はあたしを引っ張ってロビーに出た。
「そんなに嫌ですか?」
涙目の訴えに、大作家先生も多少は思うところがあったみたいだ。
「嫌です! 鳥肌がホラ!」
なにが嫌って不自然なムッキムキのマッチョが胡乱な笑顔で決めポーズとか、そんなのそっちの倒錯した趣味の人だけで充分だ!!
「もぉ生理的にダメなんですトカゲや蛇や蛙が嫌われるのと同レベルで嫌悪感です両生類や爬虫類と分かり合えますかいいえ無理です人との間には越えられない越えちゃいけない高くて分厚い壁があるんです」
「ほう」
腕のトリハダ突きつけてやれば、大作家先生サマは面白そうにブツブツを見やる。
「なにが『ほう』ですかフクロウじゃないですよチキンですチッキンとにかくあたし無理駄目あんな美しくないモン描けと言われても描けないあんなモン描く位なら大作家先生サマのヌードデッサンのほうがなんぼかマシ!!」
「……ほう」
先生サマの声が僅かに低くなったけど、気温もちょっと下がったけど、今はそんなん問題じゃない。
「なんでも描くから筋肉ダルマは勘弁して! あんな人体の美を勘違いした不自然な物体なんで描かなきゃならないのあんな益体も無い筋肉に価値は無い!!」
コレだけは譲れない。誰にだって一つや二つ触れちゃいけないブラックボックスがあるんだ。
「……ふむ。そんなに嫌なんですか」
「嫌です! 超嫌です!! ものすごーく嫌です!!! イヤとかいうレベル超えて無理です!!!!!」
涙目で訴えた。本気で駄目なんだよ分かってくれ先生。
「……ならば、是非、描いてください」
ニヤリ、と悪役の微笑で、変態逝け面大作家先生サマが、言った。
※ 作中の暴言は『あたし』がそう思ってるというだけで、作者はボディビルに偏見は……スイマセン。でも楽しくマッスルしている方々を誹謗中傷するつもりは無いです。