#にのきゅう
頑張る、と決めたものの。
何をどう頑張ればいいのか。
用意されていた画材はそこそこ揃っているけれど、やはり使い慣れたものが欲しい。
どうしよう。一度取りに帰ってもいいだろうか。
どうせなら一旦家に帰らせてもらって、カンヅメは明日からじゃ駄目かな。
今日アレだけ振り回されて疲れたしね。
今思い出したけど、夕ご飯まだ食べてないよ。気が付いちゃったらお腹ペコペコだよ。
っつーか大作家先生はご飯どうすんだ。
何となく、この家には食料とか生命維持に必要不可欠な物が欠けている気がする。
ビクビクしながら部屋を出て、大作家先生を探す。
探す。
うん。マンションって普通、人を探すような広さじゃないと思うんだ。図らずもお宅拝見してしまった。うっかり大作家先生の寝室まで見ちゃったのは失礼しました。
でも寝室すら生き物の気配感じないって、大作家先生本当に人間ですか。二酸化炭素吸って光合成して酸素出してませんか。
リビング横のドア開けたら、先生発見。ここが書斎らしい。壁一面の書庫にビビッた。
「どうしました」
ああ。小さいつづら開けてたんですね。紙の束は、それ資料ですか。画集らしきものあるようですが。何の画集?
「ええと。画材が、やはり使い慣れたものが欲しいんです。一度取りに帰りたいんですが。それと、先生夕食はどうなさるんですか。あたしはここで缶詰めにあたって、どうしたらいいんでしょうか」
生き延びるために。
「そうですね。今から取りに行きましょうか。車を出します」
え? 先生が車? いやそれは申し訳ないです。
「いえ。そこまでは。PCまで持ってこようってんじゃありませんから」
ついでに、自前のお着替えとかも持って来たいんです。あんなオサレなお洋服でお絵かきできません。作業着が欲しいんです。あんな見た目重視(誰に見せるんだ…いや…愚問か)な下着類も着用したくない。
そしてどっか外でご飯食べてきちゃおうかなーと目論んでいる。ハラヘッタ。
「普段はパソコンも使うんですか?」
「使います。最近はデータ入稿のほうが早いですし。でも、手書きでやりたい絵もあるんで、半々ですね」
「なら、やはり持ってきましょう。それともここでも買い揃えますか? 機種を指定してくれれば取り寄せますが」
……大作家先生の金銭感覚がわかりません。
「使い慣れたものが良いので、持ってきます。今日はもう遅いですから、明日にでも藤埜さんに連絡してどうにかしてもらいます。なので先生はお気遣い無く」
「遠慮は無用ですよ。この仕事に関しては万全の体勢で望んでいただきたい。そのために必要な物は全部申し出てください」
なんでそんなにやる気なんだよ大作家先生。本業は純文学なんでしょ。ライトノベルは気まぐれなんでしょ。どうしてそこまでする必要がある。
「……じゃあ、お腹すきました。ご飯食べたいです」
正直に言ったら、大作家先生、ちょっと笑った。今のは感じ良い笑いだった。
「それは失礼しました。生憎、ここのキッチンはお茶を入れる程度しかできません。外食とデリバリー、どちらがいいですか?」
はぁ。お任せします。
つれて来られたのは上品かつ上質なリストランテだった。イタ飯か。周囲に大作家先生が馴染んでいる。昼間のイロイロよりもよっぽど。
「……不思議なんですけど。どうして先生は、ライトノベルを書こうと思ったんですか」
シェフお勧めのコースを頼んで、お酒は車だからと控えて、ナイフとフォーク操る手も優雅で。
なんつーか、これ僻み根性かもしれないけど、あたしとは次元が違うってゆーか。
大作家先生は、苦笑した。
「そもそも、ライトノベル、とは何ですか。純文学とは。その違いはどこにあるんです」
うわぁ…。また小難しいことを。
「私は、今でこそあんなマンションに住めるようになりましたが、最初の頃はバス無しトイレ共同の下宿でした。とある文学賞を取って、今や出す本はほとんど売り上げ上位になる。図書館に行けば、私の本は当然のように置いてあるようになった。しかし、賞を取る前と取った後と、どちらも書いたものは自信作です。内容が飛躍的に変わった訳ではない。中身が同じなのに、じゃあ何が違うんです?」
ええと。……あたしはここ、どうしたらいいのかな。
背中に冷や汗かいてると、大作家先生は、目を瞑って大きく息を吐いた。
「失礼。こんなことを言われても困りますね」
さらりと、大作家先生は話を変えた。
うん。鴨のロースト、美味しいです。このハーブのソース、絶品です。はい、このお店デザートもお勧めなんですね。じゃあドルチェミストお願いします。
大作家先生、本名何て言うんだっけ。
今度、こっそり藤埜さんに聞いておこう。